本日のお施餓鬼で原爆犠牲者の回向をさせていただきました。
私は以前、広島のあるお寺で客僧をしていました。
原爆投下の時間になると広島のお寺は一斉に鐘を鳴らします。私のいたお寺は半鐘しかなかったのでそれを叩いていました。
そのお寺の信者さんで被爆経験者のかたがいらっしゃいましたが、信仰しているお陰で高齢になっても被曝による健康被害が全くないと言ってました。
この方にとって、大変な経験をしたにも関わらず健康でいられるということは、信仰の功徳と感じているのでしょう。
順境逆境、全てにおいて、そのひと相応に受け入れることが信仰なのだと思います。
ちなみにそのお寺の本尊はかなり大きくて戦争中は穴を掘ってそこに避難させていたそうです。
戦争が終わった後なかなか出せないでいたら、住職に「今日出る」とお告げがあり、その日は人手が少なかったにも関わらずらくらくと穴から出すことができたとのこと。
不思議なことに御本尊を出した途端に穴が崩れてしまったそうです。