金剛経の信仰者で、大船観音の建立発願者であった濵地天松師は、神仏に自分の願望成就について叶わない祈りがあると言う。
天松師曰く、真剣に真面目に祈り求めさえすれば、思いのままになり何でも与えられるかといえば必ずしもそうではないと。
その、かなわない祈りとは、
1、もしその願いがかなってしまえばその人にためにならない場合
2、その人が望んでる方法以外にもっと良い道がある場合
こういう場合には真剣に祈ってもなかなか叶わないので信仰が揺らぐことがある。ちょっと祈願したり供養して願い事が叶わないとすぐ辞めてしまう。
しかし、日が経つにつれて、あの時自分が思ったように、望んだ通りにならなかったのがかえって良かったとわかることがある。
自分が思い通りにならなかったことが神仏のご利益功徳なのだということを後で気がつく。
こういうことは信仰生活を続けていくと度々経験することである。
私自身、昔あるお寺への就職を祈願して、就職が決まったことがあった。しかし、急にそれを反故にされて困ったことがある。
ところが、それがご縁でまた別のお寺に導かれたのである。
もしあの時、思った通りのお寺に入っていたならば今は信仰を捨てていたかもしれない。
なぜなら、後で知ったのだが、そのお寺は住職と職員でしょっちゅう裁判をやっているような所だったからだ。ちなみに新聞沙汰にもなった。
こういうことから、天松師は神仏に祈る時には「現在自分はこのような難関に遭遇しているが、万事よき方に導いていただきたい」と大きく祈れと教えている。
そうすると、次第次第に本当にその人にとって良い方向に導かれるご利益を授かるのであると。