goo blog サービス終了のお知らせ 

こころの探求

こころに関する情報

ご利益をうけとる心がまえ

2021-01-13 18:06:15 | 日記
ご利益を授かって逆に悩むという人がいる。

せっかく御利益を授かっても、こうなったらどうしようああなったらどうしようとさらに不安の材料にするのでは本末転倒である。

だから我々は御利益を授かったら、感謝の気持ちで「これを受け取ります」の姿勢でいることが大切である。

特に経済的にマイナスイメージがある人は「お金を受け取ることが汚い」と考えてる場合が多い。

そういう人は受け取ったお金をどう活用しようかということを普段から考える。そして神仏やご先祖にどういう恩返しをしようかと考えるのが良い。そういうことを考えてるだけでも楽しい。


あるいは収入が増えると「こんなに税金を持ってかれる」と悩む人もいる。まあそう思うのは無理もないことだが…

さて、こんな話がある。

大変貧乏だったか、信仰をよりどころにしてたくさん働き、だんだんと出世して多くの富を得るようになった人がいた。当然税金も高くなる。

この人は神様に「これだけ税金を収めれるようになりました。ありがとうございます」と感謝していたそうだ。

そして、ついに大実業家になったということである。

どういう心構えでいるかは自由である。どんな選択もできる。
さてあなたはどれを選ぶだろうか?





無知にして人の師となることなかれ

2021-01-12 12:03:59 | 日記
インターネットというのは便利なものだ。
様々な情報が溢れている。

私も少しリサーチしているが、宗教的なものには注意が必要だなぁと思う内容もある。

なかでも、「すぐに師匠になる」というのはちょっと眉唾かなと思っている。

昔から「無知にして人の師となることなかれ」という。

密教では、師匠にも弟子にも必要な徳がある。いくら形だけ阿闍梨であっても、本来それを満たしてなければ弟子を取ることはできないのだ。

そう言ってしまうと日本には該当する人はいないかもしれないが(笑)

インドには、サドゥが霊験あらたかなマントラを伝授してやると旅行者に持ちかける伝授商法があるらしい。

それのインターネット版をちらほら見かける。

そういう所に飛びつくなとは言わないが、よくよくリサーチしておかないと後で痛い目にあうかもしれない。

拝んでいる途中で作業をする場合

2021-01-03 11:08:01 | 日記
もし拝んでる途中に来客などがあってたたなければならない時には合掌して「ウン」と3回唱えてから立つ。金剛サッタが代わりに座っておいてくれるのだ。
戻ってきた時には特に作法はない。

真言念誦を途中でやめて他の人と喋らなければならない時には自分の舌の上に「ラン」という梵字を
イメージしてからしゃべる。
そうするとあなたがしゃべる言葉は全て仏様の言葉になるのである。

しかし、あえてこういう作法にとらわれなくても良いと思う。
心の中で「ちょっとすいません」ぐらいで大丈夫だ。
なぜなら仏様はあなたの心の中にいて、あなたがいるところが道場だからだ。
梵字「ラン」



令和3年

2021-01-02 19:58:35 | 日記
篤敬三宝 謹賀新年

本年もよろしくお願いします。

年末年始と多忙を言い訳にして更新ができておりません。

ご寛恕を乞う次第です。

さて、とんち和尚で知られる一休禅師は杖の先に髑髏を刺したものを持ち「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と唱えながら正月気分に浮かれる街を練り歩いたそうです。

正月から縁起でもないと思われるかもしれませんがこれは真実です。

どんなに長生きを望んでも、生あるものは必ず死にます。
それは明日訪れるかもしれません。30年後かもしれません。
しかし、その日はやってきます。

私たちの世界は、常に苦しみと楽しみが表裏一体となって訪れます。


苦しみと楽しみ、順境と逆境、明暗一如。

その時々において、どういう心構えでいるか。身の処し方をどうするか。

神仏を信仰する人は、常日頃からそこに意識を向けることが大切です。

合掌

対人関係の悩みの時の祈り ①

2020-12-26 11:33:15 | 日記
私達の悩みの多くは対人関係によるものだろう。

それは家族、友人、職場、学校などなど様々なものがある。最近ではネットによる関係性も含まれる。

人と人との間合いを適切にとることが有効だ。

多くは相手のことが気になって、その場にいない時まで頭の中でずっと一人芝居をして苦しんでいるのである。

それは相手との心の中の境界線が曖昧、いわゆる癒着ということが起こっている。

密教でも拝むときには仏様と自分の関係を大事にするので、それ以外のものとの境界線をはっきりさせる。それが結界である。

人と人との関係において境界線をはっきりさせるのには、次に紹介するゲシュタルトの祈りが役に立つ。


上記サイトから引用
 

ゲシュタルトの祈り(『』内)


『私は私のことをする、あなたはあなたのことをする。

私はあなたのために生きているわけではないし、 あなたも私のために生きているわけではない。

あなたはあなた、私は私。

【もしも、お互い出会うことができたら、それはすばらしいこと もし出会えなくても、それはしかたのないことさ】』


「あなたはあなた」のところに「〇〇さんは〇〇さん」と相手の名前を入れて応用しても良い。

また【】内は略しても大丈夫。


これを相手が気になって苦しい時に気が落ち着くまで繰り返し唱えるのである。

そうすると相手との間に、精神的境界線を作っていくことができる。

こうやって結界して精神的に距離を取り分離してしまうのだ。

相手の問題を自分の問題のように取り込んでしまう場合それを分離する必要がある。つまり、アドラーが言うところの課題の分離にも役に立つ。


するとかなり楽になる。が、これは守りである。


なにぶん「立ち向かう人の姿は鏡なり」なので、今度は積極的に対応する祈りがある。


これらを臨機応変に使って自分のこころ安らかにしていくのだ。

続く