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こころの探求

こころに関する情報

心の法則

2021-03-05 11:04:30 | 日記
ある人から聞いたのだが、心の法則は出せば出すほど増えていくそうである。

それを伺ってから心がけていることがある。

それは感謝と祝福。
どちらもなかなかできないものである。

だから初めはちょっと努力が必要かもしれない。

はじめは身の回りのちっちゃなことから始める。
当たり前だと思っていることにも感謝する。トイレに対しても真言を唱えて感謝する。
車に乗っても真言をとなえて感謝する


祝福は外を歩いたり車に乗っている時に気になったものや、人に対して心で真言を唱え、祝福の意識を送っている。

出したものは自分に返ってくるのだと言うから、ただでいつでもできるので、とっても良い功徳行である。

ただし、その時や見返りは気にしないで、さらりさらりと手放して功徳を積んでいきましょう!



利他

2021-03-03 09:48:22 | 日記
仏教の修行は自利行、利他行がある。

単純に言えば自分のための修行と他者のための修行である。

しかしこれは明確に分けられるものではなく、自分の修行は同時に他者の為の修行でもある。

ちょうど車の両輪のようである。
つまり同時に回転するのだ。

これがうまくいっている証拠は、自分も他者も心が安らかであるということである。言い換えれば、自分も他人も功徳を受け取れるということ。


ここで気をつけなければならないのは、利他行のつもりで自己犠牲を行っている場合である。

自己犠牲は私は受け取らない。自分が犠牲になって苦しんで、他のの人が楽であれば良いということだ。

自己犠牲はいくら行っても自分は楽にはならない。ついには恨みつらみだけは残っていく

こういう自己犠牲の信念は多くは親子関係で形成されるようだ。

親が自己犠牲的な人だった場合はそれをそのまま自分に取り入れてしまうことがある。

あるいは親を助けるために自分が犠牲になるということもある。

どちらにしても自分は浮かばれないのだ。

ここから逃れるにはまず自分が自己犠牲をやっているということに気がつくことである。


そしてまずは自分自身にたいして優しい気持ちを持つ、自分自身が受け取ることを許す。

これを何度も繰り返して自己犠牲の信念を手放していく。


本当に利他行をするには、まずは自分が安らかでなければできない。

溺れている人は、他の溺れている人を救えないからである。



やさしい気持ちで

2021-02-27 22:13:33 | 日記
仏様に向かってやさしい気持ちで真言を唱えてみてください。

自分に向かってやさしい気持ちで真言を唱えてみてください。

ご縁のある方々に向かうと思って、やさしい気持ちで真言を唱えてみてください。

ご先祖様や亡くなられた方々、ペットなどに向かってやさしい気持ちで真言を唱えてみてください。

どんな感じがするでしょうか?

深川詣

2021-02-21 19:29:48 | 日記
過日、深川不動尊、永代寺、富岡八幡宮に参詣。皆様方のご多幸を祈念して参りました。

ちなみに私はどこにお参りしても基本的には「お参りさせて頂きありがとうございます」とだけ念じています。後はご縁のある皆様のことを祈念しています。











かつて永代寺は富岡八幡宮の別当寺であった。