心の器を清める 2020-06-12 08:42:34 | 日記 懺悔滅罪は心の器を清めることである。器の中に汚れた水が入っていたならば、清らかな水を注いでも無駄である。懺悔の行をすることによって器が綺麗になれば、仏様の功徳という清らかな水が十分にそそがれる。懺悔は自分と向かい合うのであるから苦しいのは当たり前である。しかし、やり通せば心が楽になりついには大安楽の境地に至る。
成就は信不信による 2020-06-11 12:47:22 | 日記 准胝尊の大行者、豪潮律師は法力無双、加持の霊験は掌を返すごとしであったとつたえられる。ただし、時折、霊験の現れなかったことがあるらしく、その原因を弟子にたずねられると、ただ加持を受けるものが准胝尊を信じるか、信じないかにかかっていると説かれている。わたし自身も中学生のころ、ある護摩に参拝して、一心に祈願したとき不思議な利益を授かったことがある。素直に信じて拝んだからだと思う。大人になると欲心や疑い、邪念がでるから、なかなか難しい…子供のように素直に拝みたいものである。
たくさんの御影 2020-06-10 12:47:06 | 日記 御影が増えてお祀りする場所がないと言うメールをいただきました。カードケースに入れてあれば普段は重ねてお祀りし、該当する修行をする時に必要な御影を表に出せば良いです。
ご利益があったことを自覚する意義 2020-06-08 20:29:16 | 日記 私たちが神仏を信仰していると、大なり小なりご利益を授かることがある。時にはご利益をさずからないことが後々ご利益だったりすることもあるが。ともかく御利益を授かったことを忘れずにしっかりと意識することが大切である。なぜならご利益を授かっているのに、他の問題点について意識が行くと問題の方が広がっていくからだ。授かったご利益を意識して、ありがたいと思っているとそのご利益が広がっていくのである。ありがたいという意識を一番広げるのが報恩の供養である。私自身も一番苦しい時に、随分准胝観音様や聖天様に助けていただいたので、真言念誦のときは毎日思い出している。有り難し有り難し。