
親に対する感情を帳面に書き出して、少しこころの整理がついてきたら、今度は親からしてもらって良かったこと、嬉しかったことなどを小さい時から思い出してみてください。
どんな小さいことでも構いません。必ずありますので思い出してみてください。
それを帳面の反対側から書き綴って言ってください。
同じことを繰り返し書いても構いません。
できれば毎日繰り返してみてください。
それをまた仏様の前に供えて無心に御真言を唱えてみてください。
滅罪は2回目には母に対する許しをおこないます。
これに引っかかるというかたが、しばしばいますが、これもまた自然なことです。
私達は親から善悪問わず様々なもの、たとえば価値観などを飲まされてきました。
単純にいえば、それには生きていくための知恵である面と、自分を縛り苦しめる面があります。
親に対しての許しに抵抗をかんじるのはかまいません。それはそういう状況だったからです。
ただし、自分が楽になるために、
日々、親御さんに対する様々な感情を専用の浄化ノートに書くと良いと思います。
文章でも、単語でも、なぐり書きでも、ただグルグルと感情にまかせてペンを走らせても大丈夫ですよ。
どんな感情が湧いてもかまいません。
これが今の私です。と認めます。
それを仏様のまえに置いて真言を唱えてあずけてしまいます。
護摩木や絵馬と原理は同じです。
たまに開いて観察すると、なにか気づきがあるかもしれません。
懺悔の行をしていると親に対して怒りや恨みの気持ちが起きるという報告をたまに受けます。
心理的な視点でしばしば言われることですが、私たちは生まれながらにして両親の愛情を無条件で受け取りたいと感じでいると。
特に幼少時にそれが得られないと、怒りの気持ちや恨みの気持ちが起きることがあるようです。
もちろん他の理由もあるかもしれません。
あるいは全く感情を押し殺すというような場合もあります。
大人になってみれば頭では理解できるので、幼少期の親との葛藤の部分を仕方ないと抑えてることもあります。
ただ、こういうことは大なり小なり誰しもが抱えているものかもしれません。
ですから、親を許せないとか恨みや怒りの気持ちが湧くということを否定するのではなく、今そういう感情が起こっているのだという自分を認めてあげることが大切です。
そういう自分を許しますと。
そして後は無心に御真言を唱えて、自分のなかのそう感じている部分をやさしい気持ちで加持してあげてはいかがでしょうか。
そして、その上で親御さんに対しても、イメージのなかでよいので、無心になって御真言を唱えてあげることが大切だと思います。
これは親御さんが生きてても、なくなっていても構いません。
何でもいいので専用のノートを用意する。
寝るまでに、今日1日あった、ありがたいなあと思うことを箇条書きに書いてみる。具体的なことを書く。
ちょっとしたこと些細なこと、そこに無限の恩恵があるのだ。
健康や飲食、仕事なども当たり前と思ってるかもしれないが、実はそうではない。
ちなみに私自身は拝む時には「こうして無事に拝めることに感謝します。有難うございます」と念じてから拝んでいる。
寝る前にこのノートを読み上げてありがたみを感じる。
さらに信仰のある人は自分の信じている仏様の真言を唱えて感謝をする。
これを続けているといつのまにか心身ともに充実していることに気がつくであろう。
せっかく、今御利益を授かっているのに先のことを心配することがある。
それは人間だから機能的に無理もないことである。
しかし心配してても何も生まれないので、そういう気持ちが生まれたら、それを一度認めてしまう。
そして、今ここにある、有り難いことに感謝しよう。
私たちは今ここの連続を生きている。
今ここを感謝してると、それが先へと反映していくのだ。