三日月堀のぶろぐ

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小田原城 御用米曲輪 現地説明会 (2013年12月21日)

2014年03月02日 | 現地説明会

昨年の12月に、小田原城御用米曲輪の発掘調査現地説明会に行って来ました。
今更記事にするのもどうかと思ったのですが、自分への備忘録も兼ねて (^_^;)記事にしたいと思います。

小田原城は子供の頃、父親と一緒に車で目の前を通ったんですが、父親は釣りがしたくてお城には興味無くスルー(T_T) 私は車の中でダダをこねていた、思い出のあるお城でもあります。
それ以来行く機会がありませんでしたが、今回やっと念願がかなった次第です。

尚、遺構の説明は当日配布された『御用米曲輪の整備に伴う発掘調査~現地説明会資料6~』 より引用させて頂きました。
解説の番号は写真の撮影場所(城レコの記録)になります(^_^;A

 1:戦国時代の池の遺構  
池は上下2段の構造で、中心となる「下段の池」は外周45m以上、東側に続く未確認部分を含めると70m以上になると想定されます。戦国時代の地表面から190cm程度掘り下げられており、池の護岸に石が貼付けてあるところに大きな特徴があります。石は15段前後積み上げられており、使われている石のほぼ全てが石塔(供養塔)の一部であるいう点は稀有の事例です。使われている石塔の部材には、未成品や未使用品が含まれており、二次加工されているものも含まれていました。このような構造の池は全国的にも例がなく、大変珍しく重要なものです。

 5:新たに発見された遺構(平成25年12月21日現在)  
【切石敷遺構】【礎石建物と石組水路】【切石敷き井戸】

 2:切石敷遺構 
切石敷遺構は、鎌倉石や風祭石を用いて構築されています。

これらの石は凝灰岩と呼ばれる堆積岩で、池の護岸に使われていた石塔の材料である安山岩よりも加工しやすい石です。
中心部には井戸のような円形の穴がありますが、高低差を考えると切石上の水は円形の穴に流れ込んでしまうため、井戸とは考えられません。

 3:礎石建物と石組水路
礎石建物は、現時点で少なくとも5棟確認出来ています。
全体が確認出来ている建物が無い為、規模などは判断出来ませんが、石組水路により整然と区画された中に建物を配していたと考えられます。
                       

 4:切石敷き井戸
風祭石の切石を幾何学的に組み合わせて造られています。
井戸の内部は円礫を4m以上積み上げた石積みの井戸です。
遺物が出土していない為、井戸の時期を考える要素は少ないですが、戦国期の石組水路が並行に走っている様子や、近世の遺構面よりも80cm程度低位に位置することから、戦国期の井戸であろうと考えています。

 城レコ(旅レコ)の記録(^^;

戦国時代の池の遺構、石塔が想定2000個以上使われているそうですよ (@_@;)
切石敷き井戸は近づいて撮影出来なかったので分かり辛いのですが、切石敷遺構の中心部のような感じでした。

『関東の名城を歩く 南関東編』では「当時の小田原城の主郭が八幡古郭ではなく、近世の本丸周辺に位置していたことが想定出来る」とありました。
もしかすると、ここが北条氏時代の主郭だったんでしょうか(?_?)

ちなみに3月8日(土)に今年度(平成25年)の調査成果を総括する現地説明会を開催するそうです。
詳しくは小田原市のホームページ等でご確認下さい。
新たな発見があるかもしれませんね~
尚、池などの遺構が見学出来るのは今回が最後(遺構保護の為埋め戻すそうです)のチャンス、お時間のある方は行かれてみては如何でしょうか 三 (/ ^^)/




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