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-新河岸川の水運の要- 城山(福岡城) 埼玉県ふじみ野市福岡

2016年01月25日 | 埼玉 城址

城山(福岡城)は「新編武蔵風土紀稿」に後北条氏家臣富永善左衛門の居館であろう、と記載されています。
城址は島状の自然堤防上に築かれており現在は西側を新河岸川が流れていますが、これは大正から昭和初期にかけて河川改修されたもので、それ以前は北~東~南を囲むように流れていました。
昭和30年の土地改良により現在はっきりと分かる遺構はみあたりませんが、発掘調査でいくつかの遺構や遺物が確認されています。

  
〇下福岡城山公園と城山遺跡の解説板

城山の本郭と思われる場所は公園になっています。
公園には城山遺跡と下福岡周辺史跡の解説板がありましたので、これを参考にしながら近辺を探検しました(^^)


〇発掘調査で分かった堀跡
平成17年度の発掘調査で幅12mもある広い堀が北から東へL字状に屈曲しているが確認されました。
公園には堀跡の隅を示す柱が5本設置されています。
また平成7年に住宅建設に伴う調査(公園の北方)では遺構として柱穴・土坑・井戸跡・溝などが、遺物は板碑片・陶磁器片そして土坑からは渦巻きカワラケが出土しています(e_e)
渦巻きカワラケは扇谷上杉氏の勢力下の南関東で出土する遺物で、お皿の見込み(表面)に渦巻きが表現されています。
発掘された遺構・遺物の年代は、13世紀~18世紀以降と幅広いものであったようです。
誰もいない公園で暫くの間妄想モードに浸ってしまいました(^^;

 
〇城山の鬼門除け天満宮(天神社)
伝承によると戦国時代に後北条氏の家臣で福岡を領地とした富永善左衛門が館の鬼門の方角を守護するために勧請したと言われています。
元の場所は現在地から200m程北東にあったようです。

 
〇たかまま周辺を流れる新河岸川の旧河道と城山周辺の伝承地名
城址の東側に新河岸川の旧河道が蛇行しながら流れていました。
城山周辺には伝承地名として戸開き(大手門)・たかまま(高馬場・いぬ(乾の方位)木戸・湯殿(屋号、地名)・屋敷・西街道などがあります。

  
〇下福岡共同墓地内(左)と道端(右)に残る板碑
城山公園北方にある下福岡共同墓地内には文明8年(1476)阿弥陀三尊と明応6年(1497)月待阿弥陀三尊図像の板碑があります。
※緑色の2つの石碑が板碑、奥が図像板碑
図像板碑は写真ではわかりませんが、10名の俗名が記されていて民間信仰の板碑だったようです。
新河岸川の河川改修工事の際に出土したそうです。
城山公園南方にある道端の板碑は釈迦種子が刻まれていますが、種子の両側の文字は追刻されたもののようです。
割れた板碑?は「明海阿闍梨」と読めそうですが、調べた資料には記載されていませんでした( -_・)?


〇城山西方の新河岸川より望む城山と
富永善左衛門
富永善左衛門は江戸城代富永直勝の甥で、伊豆時代からの北条氏家臣富永家の一族で西伊豆の土肥を拠点とした海賊的(水軍)性格をもつ一族です。
永禄2年(1559)の北条氏所領役帳では福岡の知行者として5人の名が記され、その内善左衛門が最も多くの貫高を知行しています。
また城山の1500m程西にある長宮氷川神社の記録には「後北条氏が崇拝し善左衛門に命じて神領を寄進した」とありこれらの史料や伝承などから善左衛門が城山を拠点にしていたようです。
善左衛門の伯父富永直勝が江戸城代に起用され善左衛門が福岡に知行が与えられた事は、江戸湾と荒川・入間川・新河岸川の水系支配(江戸~河越)と関係があったのではないかと考えられています。


〇国土地理院の空中写真(1947年11月08日 米軍撮影)
国土地理院の空中写真に市史調査報告書第7集「城山と富永善左衛門」に掲載の地名と堀跡を落としてみました。
現在の地図と見比べて見て下さい~(^^;

今回は城山と福岡の中世の歴史をチョットだけ掘り返してみました

〇参考資料
・上福岡市史(通史編上巻 自然・原始古代・中世・近世)
・上福岡市史(
資料編第1巻 自然史・考古)
・市史調査報告書第7集「城山と富永善左衛門」 上福岡教育委員会
・第60回歴民学習講座「城山遺跡の発掘調査と展示解説」 上福岡歴史民俗資料館
・第16回特別展示図録「地図が語る上福岡」 上福岡歴史民俗資料館

・埋蔵文化財の調査17 上福岡市教育委員会
・「上福岡の板碑」中世の石の文化  上福岡市教育委員会
・入間東部地区歴史地図「板碑と城館」 入間東部地区文化財保護連絡協議会
・埼玉県ふじみ野市文化財ガイド~先人からのメッセージ~ ふじみ野市教育委員会
・平成26年度シンポジウム「戦国時代は関東から始まった」資料集 埼玉県立嵐山史跡の博物館
・続・埼玉の城址めぐり西野博通著 幹書房
・伊豆水軍 長岡治著 静岡新聞社


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
力作 (ししん)
2016-01-30 02:07:57
こんばんは~
読みごたえありましたよ
まさに力作ですね
私も2回ほど訪れたことがあるので「なるほど」と思う部分と「そうだったんだ」と思う箇所があり楽しく読ませていただきました

お疲れさまです
そしてとても参考になりました
Unknown (みかづきぼり)
2016-01-30 08:51:49
ししんさん
おはようございますー
地の利を生かして調べ始めたら図書館沼にドップリ漬かってしまいました(汗)
もちろん武蔵直登の皆様の情報も参考にさせてもらいました~(謝)
中世の新河岸川でも何らかの形で舟を利用していたのかな、と思うようになりました

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