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三日月堀のぶろぐ

お城・歴史の記事がメインのぶろぐです〈(_ _)〉

藤橋城 東京都青梅市

2014年02月08日 | 東京 城址

勝沼城の南側を流れる霞川沿いに入間方面に下って行くと、右岸段丘に藤橋城があります。

勝沼城から北東に約2.5kmの位置にあります。

藤橋城の存在を示す当時の史料は無いのですが、城主については

  • 『新編風土記稿』『武蔵名勝図会』江戸時代の地誌・・・平山氏
  • 『皇国地誌・西多摩郡村誌』明治の地誌・・・平山氏、藤橋氏
  • 武蔵野歴史地理』昭和初期の地誌・・・平山氏=藤橋氏

としています。

※『資料青梅市の中世城館跡 藤橋城 3)歴史的背景を参考にまとめました。

 

 1 北側より望む藤橋城   

 2 腰郭を東西に走る土塁 

 3 本郭南側の虎口跡?

 4 本郭西側の土塁と北西の櫓台

 5 本郭北東の出郭?

   旅レコの記録(^^;

  高度は。。。あまり当てにならない。。。(-_-;)

 

遺構は現在公園となっている本郭を中心に、土塁・空堀・腰郭などが残ります。

本郭は元々方形の形だったようですが、昭和30年代の道路建設で南東側が削られてしまったようです(T_T)

また虎口も南側にあったようですが、これも道路建設で消滅してしまったようです(写真3)※南側の公園入り口が虎口跡なのかは不明です

本郭の北西と南西隅は、一段高く郭より張出した形をしていて、櫓台があった事が伺えます(写真4)

本郭の周りは腰郭が巡っています。北東側には土塁も残っています(写真2)

 また本郭から道路を挟んだ北東には、長方形の郭状遺構(出郭?)がありました(写真5)

郭の中は確認していないのですが、小古塚があり人骨や歯牙が出てきたそうですよ(@_@;)

その他、外郭の堀もあったようですが、現在は消滅しています。

事前に『多摩丘陵の古城址』の縄張り図をコピーして訪れたんですが、城主などは記事を書きながら資料を読んで調べました f(^^;)

遺構が消滅したり、周りは住宅が立ち並んでいるのですが、それなりに楽しめた城址でしたョ。

ちなみに昭和44年に学習院大史学部が発掘調査をしているそうです。

機会があれば、こちらも調査したいと思います。

 

  • 城名 藤橋城
  • 所在地 東京都青梅市藤橋
  • 年代 -
  • 城主 平山氏・藤橋氏
  • 分類 平城
  • 遺構 郭・土塁・空堀
  • 規模 130メートル×120メートル 標高166メートル
  • 文化財指定 市指定史跡
  • 訪城日 2014年1月12日

参考資料

  • 日本城郭大系5埼玉・東京
  • 多摩丘陵の古城址
  • 資料青梅市の中世城館跡
  • 東京都の中世城館跡
  • 現地解説版

 

2014年2月16日 Goo地図追加


勝沼城 東京都青梅市

2014年02月01日 | 東京 城址

管理人のみかづきぼりです。

今日ご紹介するのは、三田氏の居城といわれている勝沼城です。        

城の東側にある妙光院に御参りしてから登城しました。 

 

 1、妙光院と城内との間を南北に走る土塁と空堀

 2、2の郭南側の空堀

 3、井戸跡?

 4、3の郭西側の空堀と土塁

 5、本郭

 

三田氏について       

三田氏は関東管領山内(やまのうち)上杉氏の被官だったが、北条氏が進出してくると北条方に、そして上杉謙信が永禄4年(1561年)関東に出馬して北条氏を攻撃すると上杉方になった。上杉謙信が撤退した後、北条氏はすぐに反撃し永禄4年、三田氏は滅亡した。

「関東の名城を歩く南関東偏」より引用・要約

※三田氏の滅亡時期は城址にある東京都教育委員会の解説板や「日本城郭大系5東京・埼玉」などは永禄6年となっていますが、最近の研究により「関東の名城を歩く南関東偏」などでは永禄4年としています。

青梅市郷土博物館企画展戦国時代の青梅」でも三田氏滅亡時期について触れられていますので、これから行かれる方は注目してご覧下さい。

で、下の画面キャプチャをご覧下さい(^_^)

 

 

これは旅レコ(GPSロガー)から抽出したデータ(キャプチャ画像)です。 

旅レコ(GPSロガー)については「物欲の庵」で後ほどご紹介するつもりです(^_^;)

写真の撮影場所(番号表示)と地図・グラフ図の番号(カメラのアイコン)が同じ位置になります。

赤い線は管理人の軌跡です(^_^;)

グラフ図は縦軸に高度(メートル)、横軸に移動距離(キロメートル)となっています。

旅レコの精度なんですが、軌跡(位置)はそこそこ合っている(時々ずれます)感じ、高度は・・・同じ場所を行って帰ってくると違ってる・・・なんて事が多々あります。

ところで、「日本城郭大系5東京・埼玉」の勝沼城の項目で「標高237メートル」、「比高30メートル」とあります。

今回管理人が勝沼城を歩いた場所で、一番高度が高い位置を旅レコのデータで調べてみました(旅レコの精度の問題はありますが)

場所は3の郭の土塁上(だったと思う)、高度は237メートルでした。(地図の星印、グラフ図の赤い縦線の位置)

一時間半ほどの訪城でしたが、2の郭南側の馬出や見落とした箇所がありましたので、改めて訪城したいと思います。

最後になりますが写真3、管理人は井戸?だと思うんですが、どうなんでしょ(~_~;)

 

  • 城名 勝沼城
  • 別名 師岡城
  • 所在地 東京都青梅市東青梅
  • 年代 14世紀後半~永禄年間頃
  • 城主 三田氏
  • 分類 平山城
  • 遺構 郭・土塁・空堀・土橋
  • 規模 170メートル×400メートル 標高237メートル 比高30メートル
  • 文化財指定 都指定史跡
  • 訪城日 2014年1月12日

参考資料 

  • 関東の名城を歩く南関東偏
  • 日本城郭大系5埼玉・東京
  • 多摩丘陵の古城址
  • 青梅郷土博物館企画展企画展「戦国時代の青梅」
  • 現地解説版

 

2014年2月16日 Goo地図を追加