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2月の神田神保町:JR神田駅前から神田淡路町一丁目まで PART1

2017年07月29日 06時00分00秒 | 皇居周辺・城西


2月下旬の平日、JR山手・京浜東北線の神田駅にやってきました。駅構内の南口コンコースの中を通り抜けて、神田駅の南西側(内神田三丁目地区側)の西口前にやってきました。




神田駅の西口前から、北側を見渡して撮影しました。この辺り一帯は、千代田区の内神田三丁目地区の駅前繁華街の町並みが広がっています。上の画像の左側の「神田多町大通り」の歩道を北側へ向かって歩いていきます。




「神田多町大通り」の歩道を北側(神田淡路町地区側)へ向かって歩いていきます。JR神田駅の西側の駅前繁華街の町並みが広がっています。




神田多町大通り内では、道路工事などが行われていました。




「内神田」の名称は広義には江戸府内・総構え内(外堀にあたる神田川以南)の神田全域、現在の神田川・日本橋川・竜閑川跡に囲まれた逆三角の区域を指す名称となっています。




東西方向に通っている「神田警察通り」との交差部前にやってきました。この神田警察通りから南側が内神田三丁目地区、北側が千代田区の神田多町二丁目地区の市街地が広がっています。




「神田警察通り」との交差点を通り抜けて、神田多町二丁目地区内を通り抜けていきます。




神田多町二丁目地区内を通っている「神田多町通り」の歩道を北側へ向かって歩いていくと、前方に「多町交差点」が見えて来ました。




南東側から「多町交差点」の全景を撮影しました。この辺り一帯は、神田地区のオフィスビル街と中層マンションや個人住宅が建ち並ぶ住宅密集地帯が混在した町並みが広がっています。




多町交差点前から、さらに北側へ向かって歩いていきます。江戸時代初期に当たる1606年(慶長11年)に起立した古町であります。慶長年間に名主の河津五郎太夫が二丁目に菜市を開き、明暦の大火後規模を拡大し、御用市場となって発展しました。




近代に入っても神田青物市場として繁栄を続けていましたが、関東大震災で壊滅し、1928年(昭和3年)秋葉原に移転、3世紀余りの歴史を終えています。前方に、靖国通りとの交差部のT字路が見えて来ました。




神田多町二丁目地区内の「京王プレッソイン神田」のビジネスホテルの敷地前を通り抜けていきます。




神田多町通りの北側の終点部、「靖国通り」との交差部前にやってきました。これから靖国通りの歩道を西側へ向かい、神田神保町のスポーツ用品街や古書店街へ歩いていきます。




靖国通りに架橋されている「須田町歩道橋」上にやってきました。歩道橋の上から西側(神田神保町側)を見渡して撮影しました。靖国通りの両側には、神田淡路町地区の市街地の建物群が並んでいるのが見えます。




須田町歩道橋の西側100メートルほどの場所にある「淡路町交差点」をズームで撮影しました。東京都心部を東西方向に横断している靖国通りの車の交通量は非常に多かったです。



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