緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

年明けのインペリアルパーク(3):二重橋(正門石橋)前から坂下門まで PART1

2013年01月02日 10時40分21秒 | 皇居周辺・城西


皇居前広場・二重橋濠の上に架橋されている「二重橋・正門石橋」を撮影してみました。雲一つない快晴の青空が、二重橋濠の水面に綺麗に写りこんでいました。皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋があるのです。




翌日(1月2日)に新年一般参賀を控えているためか、普段は閉鎖されている正門石橋の脇まで近づくことができるのですが、散策日は警察官によって封鎖されていました。




赤色ポールによって封鎖されているそばから二重橋へのアプローチ通路を撮影してみました。翌日になると一般参賀に訪れた人々の長い列ができるのでしょう。




二重橋前から北側部分の皇居前広場を撮影してみました。広場内には新年一般参賀に訪れた人の列を整理するためのコーンが設置されているのが見えますね。




広場内では制服警察官の人たちが至る場所に配置されていました。やはり、翌日の一般参賀の警備目的なのでしょうか?




しばらく眺めていると、たまに黒塗りの高級セダンの乗用車が広場を突っ切って正門石橋を渡っていくのが見えました。翌日の一般参賀の打ち合わせか何かで、日本政府の人たちが訪れているのかもしれませんね。




この位置からは見えませんが、正門石橋の奥には「正門鉄橋」という名前の橋が架橋されていて、その橋が本来の意味での二重橋なのです。





二重橋前を離れて散策を続けていきます。正面に丸の内の高層ビル群を眺めながら砂利で覆われている広場の中を歩いていきます。元旦だというのに皇居前広場はかなりの観光客の人たちで賑わっていたことが少し意外でした。




二重橋前の北側の敷地内でもテントが至る場所に設置されていました。




振り返って二重橋方向を撮影してみると、皇居前広場というのはイメージ以上にかなり起伏のある大地の上に整備されているのがわかります。




江戸時代初期の「天下普請」という名前の大規模な土木事業によって江戸城周辺には大量の土砂が埋め立てられて現在の地形が出来上がりました。それ以前のこの周辺は「日比谷入り江」という名前の海岸線と湿地帯が混在している場所だったのです。




赤いポールが整然と並んでいる脇を通り抜けていきます・・・。




冬枯れの芝生広場と松の木、そして広報に広がっている東京駅の丸の内側に林立している高層ビル群です。ここ10年ほどで丸の内周辺の高層化が一気に進みました。




砂利道の中をコンクリート製の散策道が整備されているのです。




東京地下鉄や都営地下鉄の路線が数多く交差している大手町地区の高層ビル群が近くに見えてきました。再開発工事が一段落した丸の内と比較すると、今でもタワークレーンが何機も建ち並んでいます。




高さ200メートルを誇る高層ビル「東京プライムステージ(仮称・大手町1-6計画)」をズームで撮影してみました。建設時は3機並んでいたタワークレーンも現在では1機にまで減っていました。皇居前広場内に植えられている松の木々との組み合わせて撮影すると絵になりますね。




1月2日(つまり、本日)の新年一般参賀では二重橋(正門鉄橋)の先の新宮殿前広場まで一般の人々は進むことができるのです。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年明けのインペリアルパーク... | トップ | 年明けのインペリアルパーク... »
最新の画像もっと見る

皇居周辺・城西」カテゴリの最新記事