京阪本線天満橋駅前にあるOMMビル(大阪マーチャンダイズ・マートビル)の屋上展望台にやってきました。ここから360度の大阪都心部のパノラマを眺めることができます。北側をズームで撮影すると、ビルが密集している先に梅田・JR大阪駅の高層ビル群が見えます。
展望台から南側(大阪府庁方向)を撮影してみました。大阪城公園の西側に位置しているこの一角は大阪府庁や大阪府警本部、NHK大阪放送局など、大阪府の中枢機関が密集しています。大阪市の中枢が中之島であるとすると、大阪府の中枢は大阪城脇ということになります。
正面やや左寄りに見える高層ビルが「NHK大阪放送局」です。京都や大阪へ旅行した際に宿泊したホテルのテレビでNHKの番組をつけると放送している「ニューステラス関西(夕方の時刻)」などはここで製作されています。この日に宿泊したホテルでも見ていました。
この辺は古い感じのオフィスビルが多いように感じました。
東側を見ると「大阪城公園」の広大な緑地帯が広がっていて、まるで東京の皇居を見下ろしているような感覚に囚われます。皇居と何が違うかと考えてみましたが、何といっても大阪城公園は濠などの水の量が桁違いに多いと感じました。皇居にも濠は存在しますが、大阪城公園の広大な濠と比較すると水路のようにしか見えないと思います。
大阪城公園の敷地内に見える緑色の屋根の建物は「大阪城ホール」です。大坂城築城400年を記念して1983年(昭和58年)に大坂城青屋口に建設された多目的アリーナで、約16000人を収容できる能力があります。大阪城など周囲の景観を配慮して、周りの緑地帯に溶け込むような外観となっています。
大阪城公園の北側、寝屋川に囲まれた中洲の突端には「大阪ビジネスパーク」の高層ビル群が密集しています。戦前のこの地には大阪城の敷地に隣接する形で「大阪砲兵工廠」がありましたが、戦後しばらくは更地になっていて、1980年代になってようやく再開発工事が行われました。
OMMビルの東側で寝屋川と旧淀川(大川)が合流しています。古来の昔からこの場所は二つの河川が合流していう場所で、水運の要所でありました。合流点から少し上流側(寝屋川)には大坂と京都を結んでいた京街道の「京橋」が架かっています。
弧を描きながら流れている旧淀川(大川)の左岸側に見える鬱蒼とした緑地帯は「桜ノ宮公園」です。対岸にある「造幣局・桜の通り抜け」と合わせて、春の季節になると大川の両岸は桜の花で満開となります。
北方向(JR大阪環状線桜ノ宮駅方向)を撮影してみました。梅田と旧淀川(大川)に囲まれている界隈は多くのビル群で密集しています。
中之島方向を撮影してみました。中洲の東部は「中之島公園」の緑地帯となっていて、中心部から西部にかけて高層ビル群が密集しています。
梅田・JR大阪駅方向です。梅田北ヤードに出現したグランフロント大阪の4棟の高層ビル群によって、あの界隈の高層ビルの密度というものが増した感じになりました。
ここから梅田の高層ビル群越しに六甲山地の稜線が見えるのですが、この日は霞んでしまいました。
この約5~10年くらいで東京と同じく、大阪市内でも高層タワーマンションが急増しています。首都圏で顕著となっている「都心回帰」という現象は関西でも見られるみたいですね。
大阪歯科大学附属病院の建物の奥に広がっている大阪城公園の緑地帯です。その敷地の中心部には「大阪城」の天守閣が見えました。旧淀川や寝屋川、付け替え工事がなされる以前の大和川が流れ込んでいたこの辺は天然の要塞と言われ、その中心に大阪城が築城されました。
最後に、ズームで撮影した大阪城天守です。現在の天守は昭和初期に再建されたものです。1928年(昭和3年)に当時の大阪市長、關一が天守再建を含む大阪城公園整備事業を提案し昭和天皇の即位記念事業として整備が進められます。集められた市民の募金150万円によって陸軍第4師団司令部庁舎と天守の建設が始まります。天守閣の基本設計は波江悌夫が行い、再建工事は1930年(昭和5年)に始まり、翌年に完成しました。
旧淀川(大川)と寝屋川が合流している天満橋にOMMビルが建っています。天満橋駅前には京都と大坂を結んでいた船着場「八軒家浜」があるなど、この辺りには大阪の歴史的な見所が多くあります。