北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

曇り空のもと舞鶴へ

2011-07-13 01:21:44 | 旅・交遊


最近何かと予定が入っていて忙しい日々だ。以前から気になっていた「舞鶴岩がき丼」を食いに行こう、と同級生に声を掛けて車を走らせた。輪島で食した岩牡蠣の味を思い出し、美味いもんを食して海を見れば気分転換になればと思った。

堀越峠から名田庄へ、そして道路工事中の石山峠を越え、高浜経由で舞鶴を目指す。27号線を西へ県境に近づくあたりから雨が降り始め、稲妻も目に入り始めた。

東舞鶴にある一軒の店に入り目的の岩がき丼と岩牡蠣のあぶりを注文した。期待が大きすぎたのかもしれないが、期待を裏切られたというのが正直な感想であった。牡蠣の存在感が無い。切り身が数個入っていただけだ。これは丼の値段をある程度抑えないといけないし、岩牡蠣という材料のコストを考えると、今回注文した\1,575という値段に押さえなければという苦労も分からないでもない。もう一つ気に入らなかったのが、かまぼこ入りの卵とじというスタイルだった。岩牡蠣だけの方が良いのではと思う。中途半端だ。これは今日の店の味の問題ではなく、牡蠣と地元産のかまぼこと地鶏卵を盛り込んで、という舞鶴でプロモートされているコンセプトの問題だと思った。ただ、これは岩牡蠣を食いたかったらそのものを味わえばいい、丼という形にそれを求めるな、と言われれば反論は出来ない。

雨降る中、東舞鶴から一路北へと、引き揚げ記念館やあじさい園などを通り小橋方面へと向かう。着いた海岸は離宮浜海水浴場と名付けられているが、5人程の姿を見かけたが海に入る訳でなく、海水浴客はなし。この浜も学校が夏休みに入れば賑わうのだろう。

海岸の風景



帰り道、西国薬師第三十番札所多禰寺(たねじ)の看板があり、立ち寄ってみることにした。山奥にひっそりとある飛鳥時代創建の立派なお寺だ。今回は仏様や本堂に納められた仁王様を拝めなかったが、海辺近くの集落から上がってくるであろう古びた階段の参道、釣り鐘のある山門や立派な本堂の姿、ご住職だろうか、一人で境内の掃除をされている姿などを目にするにつけ、再度訪れたい気持ちにさせられた。

多禰寺山門


多禰寺本堂


きれいに手入れされている庭で見つけたモリアオガエルの卵はまだ袋の中



駐車場傍の展望台からは雨上がりの舞鶴湾の風景はなかなかのものだった。



岩がき丼に肩すかしをくわされたので、とれとれセンターで今夜の酒のあてに岩牡蠣の生を買おうと、途中から国道を離れ、出来るだけ海岸線の道を走った。

期待を膨らませて食するのと、偶然食べた美味いもん。この両者を比較すると過度な期待を膨らませられた方は可哀想な気がしないでもない。あちこち徘徊してそれぞれの地の味を楽しみにする気持ちは大切にして行きたいのだが、これからは事前準備しないで、地元の人に薦められるものを食する方が感激が得られるのではという気持ちになってきた。

棚田広がり、海の幸もある海辺の集落に暮らす人達はちょっと昔の時代はまさにまほろばではなかったろうか。しかし今は都会からの海水浴客を迎えようとされている。来客が多いのはメリットがあるのだろうけれど、反面サザエなどを獲られたり生活原資を侵される現象もあると聞く。こつこつと山中のお寺を守っておられる姿と都会の観光寺の姿とのコントラストなどに想いを馳せると複雑な気持ちにもなった徘徊でもあった。

そんな難しいことは別にして、山に囲まれて生活している人間には海の景色と香りで気分転換をさせてもらったと感謝しなければ\(^_^)/








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10 コメント

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懐かしの地名。。 (道草)
2011-07-13 07:58:43
舞鶴は懐かしい地名です。終戦後は北方からの引き揚げ船が舞鶴港へ着き、そこから山陰線で京都方面へ帰る復員兵で汽車は超満員が連日続いていました。そんな思い出しかない舞鶴ですが、山陰線の沿線にありながら、何故かいつも素通りで目的地はいつも別の所にありました。
岩牡蠣なるものを私は食した記憶がありませんけど、養殖と違ってさぞ美味なる珍味なのでしょう。グルメのmfujinoさんの思惑に少し外れた様ですが、またの機会に楽しみということにして・・・。牡蠣のシーズンは冬場との認識が素人の私らにはありますが、そうでもないのですか。
牡蠣はやや残念でしたけど、地元には鮎もありますし・・・。ささ舟さんと、一度沈川楼か寿し米で・・・と噂しているのですが、鮎通としてはどちらがお奨めでしょうか。
岩牡蠣は残念でしたけど、帰路に古刹の多禰寺の霊気を満喫されて何よりでした。今夏は例年になく早くから猛暑日の連続です。そちらは、未だ凌ぎ易いことと羨ましく思います。私は、本日から3日ほど西方面へ出掛けます。

「きこえる」   田中荘介

耳の底に
残っている
ラジオの実況放送で
復員兵たちを
乗せた船が
舞鶴港に着いたと
(テレビのなかった時代)
 
シベリアの抑留から
帰国した人たちが
いたのだろうか
かぜで学校を休んで
聴いていた
 
アナウンスのむこうに
人のざわめきが
聞こえていた
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舞鶴 (徘徊堂)
2011-07-13 14:28:59
 おー、2011年食い意地の旅ですね。今回の岩牡蠣は残念でしたが、結局うまい牡蠣に出会うまで宿題として残る(トラウマになる(笑))ので次回への原動力が与えられたことになり、「それもよし」なのではと思います。
 京都府て、何か斜めに延びているんですよね。京都から福井県の小浜は近い感じなのですが、宮津・舞鶴となると遠い感じがします。初めて小浜に行ったときに、ここからなら天橋立も舞鶴も近いでと思って、訪ねましたがエライ遠かったのを覚えています。反面、綾部在の人で舞鶴まで山を越えて歩いて通勤しておられた人の話を聴いたことがありますから、何か頭の中で各都市がきちんと収まっていません。
 イージスが配備されて以来、いつか舞鶴に拝みに行かねばと思いつつ、まだ果たせていません。多禰寺本堂、屋根の曲線が何ともいえませんね。いつか行ってみたいと思います。
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引き上げ船 (鎌倉街道)
2011-07-13 21:44:26
「舞鶴」という地名を聞いたり目にしたりしますと、「引き上げ船」という言葉を思い出します。 誰やらが歌っていた唄が頭の中を巡りだし、寂しさが襲ってきます。 息子の帰りをまだかまだかと待つ母親の気持ちが、切ないです。 私の母が、「どこで戦死したかわからない夫を捜し歩いたけれども結局何にも手がかりは掴めなかった。」と話していた姿も思い出します。 私はまだ一度も舞鶴へは参ったことがありませんが、行かず仕舞いになることでしょう。

牡蠣ですか、岩牡蠣と普通の牡蠣とどのように違うのですか? 我が家は牡蠣は鍋などに入れて火を通さないと食べられないのですが、パリの冬のレストランで食べる生ガキは、「うまい」と言っている家族も居ります。 鎌倉の海でも磯が出てくると岩に牡蠣がついているのを見ております。 でも、取ってきて食べたことはありません。 たこやウニ、アワビ、サザエと今も海の中にいますが、10年くらい前までは自由に獲れたのが、現在は警察に捕まってしまいますので年寄りの楽しみが減りました。

今年の夏は、とても太陽の力が強いですが、夜になりますと心地よい風が吹いております。 日没前には散水をしませんと植物たちがかわいそうなくらい地面は、乾ききっています。 お住まいの地域は、適度なお湿りはあるのでしょうか。

 
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岩牡蠣は夏場が旬 (mfujino)
2011-07-14 00:53:58
道草さま、舞鶴は何と言っても港町ですね。海外からの引き揚げ船が着いた港、軍港、北方の国々との貿易港ですね。しかし私も余り訪れることはありませんでした。
京都府の人間としましては、日本の北の窓口として港がどんどん立派な物になることを願っているのですが、ただ地政学的な目で見るとどうなのでしょう。

今回は牡蠣丼に焦点を当てましたが、これはこの商品の開発思想そのものが私には合わない結果となりました。鮎があると仰いますが、私は鮎は余り好きではありません。従って沈川楼、すし米どちらがと聞かれてもお答えは出来ませぬ。牡蠣は大好きですので、更に美味い牡蠣を求めて3,000里としゃれ込んでみようと思っています。

こちらも真夏日が続きますが、都会の空気とは全然違うので過ごしやすいです。我が職場の事務室は冷房なしで31℃程の気温ですが、窓を開けっ放しておくと風が入った時は地獄ではありません。道草様がいかれる西の方でも同じ快適さを味わわれることでしょう。
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買って帰った生の岩牡蠣は美味でした。 (mfujino)
2011-07-14 00:54:33
徘徊堂さま、そうですね、京都府は西に傾いた縦長ですね。我が家から東舞鶴の北、小橋まで高浜経由でしたら100km弱、和知・綾部・西舞鶴経由で行くと120km位になるでしょうか。若狭の人は福井県であることより京都府である事を望んでおられます。何しろ自分の県庁へ行くより京都へ行く方が早い訳ですしね。このあたりは昔の藩による人の考えの違いなども考えると楽しいものがあります。

軍港舞鶴、何十年か前に見た停泊している軍艦が小さな物ばかりで、こんなんで日本は大丈夫かいな、って思ったのですが、今回車を走らせてチラチラとみるものはなかなか立派なのが目に入りました。一度軍艦の中を見学してみたいものです。IT技術の塊なのでしょうね。サイバー攻撃に対する備えは大丈夫なのかしら。
多禰寺の由緒などを読んでいるとこれぞ中央政権がその勢力を伸ばす過程なのでしょうけれど、制圧された地元の勢力は「鬼」と呼ばれていますね。戦いの勝者から記述された歴史なのでしょうが、地元の人達はどんな気持ちで読まれるのでしょうか、なんて考え込んでしまいます。

大浦半島や舞鶴湾岸を出来るだけ海岸線を走ったのですが、海岸近くに立つ家々は津波に全く無防備ですね。ちょっと大きな津波が来たら大被害間違いなしでしょう。舞鶴の市街なんて全滅するのではとも思いました。

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夕立が既に何回か (mfujino)
2011-07-14 02:27:17
鎌倉街道さま、そうですね、舞鶴と言えば引き揚げ船を思い出される人が殆どかもしれません。私は高砂丸と言う名前を思い出します。当日もそのすぐ前を通ったのですが引き揚げ記念館があります。一度観光ボランティアガイドの会の仲間と訪れたことがありますが、語り部さんのガイドがシベリアでの悲惨な生活の話ばかりされて気が滅入ってしまい、途中から列から離れて自分勝手に展示物を見ていたことを思い出します。

岩牡蠣と寒い時期に食べる牡蠣との違いはと聞かれるとすぐ自分自身よく分かりません。ただ岩牡蠣は今の時期が旬ですね。大きな殻毎うられているのケースが多いと思います。私は岩牡蠣=天然物と思っていたのですが養殖もされているそうです。能登を訪れた時に食した味が忘れられず、また昨年の今頃手に入れた石の様な姿を思い出し、磯の香りいっぱいの味はなんとも言えません。

パリのオペラ通りには新鮮な貝類などfruits de merを供する店がたくさんありますが、私はサンラザール駅前のレストランで至福の時を過ごすことが出来ました。生食用の牡蠣は紫外線殺菌が必要と書いてありますがどうしてしているのか知りません。でも私は鍋などに入ってしまったものはあまり箸がすすみません。牡蠣は何と言っても生で、加熱するならフライが好物です。

こちらも昼間へ日差しが強いのですが、日陰で少し風があれば気持ちよいですね。日中はどんなに暑くても夜の外気に触れると気持ちのいいものです。夕方に夕立が来てくれると昼間に溜まった熱気を追い払ってくれ、また植物も活き活きとして良いのですが、今年は夕立の回数が今までよりは多いのではと思わせるてくれそうですが、さてこれからの夏本番どうなる事でしょう。雨の翌日は山の緑が喜んでいるいる様に感じられます。舞鶴の半島の山の中を走っていると雷雨に洗われた周囲の濃い緑より少し若い緑が清々しかったですね。
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山と海 (硯水亭歳時記)
2011-07-15 20:44:07
   Mfujinoさま

 岩牡蠣は関東地方では銚子の岩牡蠣が有名です。三年物以外は採取してはいけない決まりがあるそうですが、庄内浜の岩牡蠣も超有名で、鳥海山から出た有機成分でまるまると太った牡蠣は、濃厚で超美味です。最近は通販もありまして、これを送って戴くのは真夏の楽しみの一つです。祭り鱧と同じぐらい楽しみです。流石に五年物の岩牡蠣になりますと、直径で30センチもあろうかという巨大な牡蠣で、五等分ぐらいして丁度一人前でしょう。庄内岩牡蠣を切り分けて戴くのですが、部位によっては濃厚さや美味しさなどの味わいが異なっており、頗る美味しい牡蠣です。鳥海山から出た川は河川の距離がうんと短いものですから、海に入った山の養分は間違いなく豊かなことでしょう。海水と、美林との関係は無視出来ず、北海道の厚岸などでは河畔上流に落葉樹を多く植栽しているようです。そうした意味では海と山の関係は濃いものがあるのでしょう。中舞鶴を基点とした与謝町や京丹後市や伊根町や加悦など、美しいシボが入った京ちりめんの、所謂ちりめん街道であり、以前旅をしたことがありました。今でも加悦では京ちりめんを細々と続き生産されているようです。京都へ行くのに、山に差し掛かると、鬼退治で有名な大江山を越えなければならず、山賊など多いに怖かったことでしょう。

 舞鶴から発する大浦半島には二つのコブがあります。一つは東大浦にある空山、西大浦にあるのが多禰山。多禰寺は多禰山の中腹にあり、考え事をしながら、多禰山登りをし、多禰寺に行ったことがあります。七体のお薬師さまは大江山の鬼退治とも無関係ではないかも知れませんね。

 結局家内の都合で、京都行きは中止になりました。それでも日々家内は学問に精進しています。少し心配になったのか、実家から時々電話があるようですが、笑うばかりで、全く何の心配も要らないと言っているようです。螳螂鉾で最も忙しい時季が過ぎたら、きっと実家のじぃじやばぁばがやって来ることでしょう。今日も楽しい記事でした。有難う御座いました!
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まほろばに住む人は鬼だったのかしら、、 (mfujino)
2011-07-15 21:57:53
硯水亭さま、 え~直径30cmの岩牡蠣ですか???食材は大きければ良いってものでもないでしょうが、この牡蠣は山や海の恵みを存分に堪能して成長したのでしょうね。昨年舞鶴から岩牡蠣を送って貰ったのですが、甥の息子が小学生なのですが、その姿を見てこれ石?って聞いたのですが、上手く開くことが出来ず、え~いっとばかり金槌で割ったことを思い出しました。

そういえば漁業で生活する人が山に植林をして漁業を守ったというのは三陸で始められ今や全国でその思想が受け継がれているようですね。

私に岩牡蠣の美味しさを教えてくれた輪島の割烹の親爺さんに教えて貰ったのが、岩牡蠣の天敵はミズダコだそうですね。その大きな足で窒息死させられるそうです。

我が次のターゲットは的矢の牡蠣です。一昨年は坂越の牡蠣を求めて周辺をドライブしたのですが、播磨灘は一大牡蠣養殖産地との発見をしました。三陸の災害の為、丹後の久美浜ではその影響も出ていると聞きます。また日本の牡蠣はフランスの牡蠣養殖にも貢献しているそうですね。

丹後は縮緬の産地です。私が合宿で通った自動車学校のそばのお家からはバタンバタンと織機の音が一日中聞こえていたのを思い出します。

丹後半島や若狭の方を旅していろいろな伝説を聞くのも楽しいでしょうね。浦島さんや徐福伝説の神社は訪れたことがあります。

大江山の鬼をはじめ、中央勢力から見て的は鬼であったのでしょうし、要するに大きな敵は鬼と表現されたのではないでしょうか。徘徊堂さまのコメントへの返事で少しふれましたが、多禰寺の開祖、麻呂子親王が鬼を退治して云々とありますが、この鬼とは地元勢力のことであり、まあアメリカで言えばインディアンと称されている人達のことでしょう。京都から見てその支配外に住み抵抗するものを鬼と表現したのは、おおえの位置が、西京の大枝から時代と共に大江へと北上したという話を読んだことがありますし、田村麻呂に纏わる伝説も敵は鬼と表現されていると思います。安曇野のワサビ園でもそういった説明がされていますけれど、地元の人達はそんなに素直に地元の先祖を鬼と言われて抵抗がないのでしょうか?

これは日本人が「卑弥呼」という呼称をすんなり受け入れている精神構造と関係するのでしょうか?私は日本人として自分たちの先祖を卑弥呼などと呼ばれることをすんなり使いたくないのです。東北では、アテルイや貞任という英雄をもってその考えに抵抗する自尊心を残しておられ、それが中尊寺という形でも象徴されている様に思いますが、、、多禰寺を後にしてそんな事を考えていました。

鬼についてもいろいろヒントをお教え下さいm(. .)m
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美味いものには、会えなくて普通。 (浮舟)
2013-01-09 22:50:10
 山国隊についての返信ありがとうございます。山国隊については、素人談義とはいえ、とても1回で話しきれるものではなく、また後日、続けたいです。(路線闘争をめぐるどろどろ、さもありなんです。全国で、似たようなプロセスを経て倒幕論へたどり着いていますから)

 このページの話は、「岩牡蠣丼に失望した」という限定した話として、考察(たいそうな!)したいと思います。期待が大きすぎたからダメだったのか、それもあるでしょうが、そもそも美味いものに、ドンピシャにめぐりあうことは、至難のことではないでしょうか。自分が気にいった店でも2度、3度行くうちに味が落ちていることもあるし、自分のなかで、味への驚きがなくなり、惰性で食べていて、最初ほどの喜びはなくなることも多い。「食べろぐ」などで、低い評価をつけている人を調べたら、ビールがぬるい、注文取りがおそい、店員の態度が悪いなどで、料理以外のことで気持ちが萎えていることもみられます。料理の評価はデリケートな問題ですね。私は去年の12月、1年半ぶりに帰国し、萩之茶屋商店街で、「この店の板前、只者じゃない」という立ち飲み屋を見つけました。カワハゲの造り、塩麹漬けの銀たらの焼きなど美味かったんですわ。高級料亭風(実はよく知りませんが)の味と盛り付けでした。これはベトナム料理に辟易していた私だから「これやがな、日本の味は。うーん、なつかしい!」と感激したのかもしれません。また予備知識なしに、偶然美味しい店に出会った喜びもあったのでしょう。くり返しですが、美味いものに出会うことはデリケートかつ運命的な問題です。
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たしかに、デリケートかつ運命的な問題 (mfujino)
2013-01-10 10:19:06
浮舟さん、おっと今度は美味いもんがテーマでございますね。しかも立呑屋での美味体験が入ってる。話が弾みます。立呑サロンは我がお気に入りでございます。

私は高校卒業後の殆どは大阪で過ごしました。丹波の山奥にUターンしてから浪華の懐かしい味を再びと訪れる機会もあったのですが、最近どうもその味に裏切られるケースが多いんです。昼飯にお気に入りだった中華料理屋、鶴橋の焼肉屋、阿倍野の有名な居酒屋等々です。その時の体調なのでしょうか、それとも板さんが変わったのかしら、自分の舌が変わったのかな、以前の美味いと思ったときの体験が美化され過ぎていたのかなあ、久しぶりに食べるのと直近に食べたものの違いもあるかな、等々考え込んでしまいます。それとご指摘の様な他人様の評価に惑わされないことも大切ですよね。評判を聞き行列に参加した店では殆ど裏切られました。

岩牡蠣について言えば、輪島で食した味が忘れられなくて、その後はどうも感激がありません。大学の先生が、戦後間もなき頃通訳をしていて米軍の食堂で美味いものを食っていたら巷の洋食屋の飯が食えなくなってしまっていた、これは幸か不幸かと考え込んでしまう、と話されていたことが思い出されます。

>美味いものに出会うことはデリケートかつ運命的な問題
と閉められるあたりはさすがでございます。あちこち渡り歩かれましたな(^_・)
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