史跡ハンター 臥龍

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紀伊国~熊野三山と周辺めぐり Part.1

2017年04月07日 | その他国内旅行記
4月7日(金)
6日(木)は1時間残業をして家に帰り…夕飯食って風呂入って21:30ごろ家を出ました。
今回の高速バスは珍しく「YCAT(横浜)」発じゃなく「川崎」発だったんで…22:30ごろ「京急川崎」で下車したんだけど、バス停に向かう途中からポツポツ雨が降り出してきたよ~
関東も雨予報が出てたけど…もう傘の出番か?と思ったら、何とか傘は出さずにバスに乗り込めたわ。
あと5分以上待ってたら傘差さなきゃダメだったかもな…屋根の無い路上でバス待ちだったからね。
高速バスは22:55発車し…都内(恐らく、新宿のバスタ)でも客を乗せて、3回パーキングでトイレ休憩を挟んで三重県に向かいました。
俺は窓側の席だったけど、隣(通路側)に座ったヤツが3回ともPAで降りてくれて良かったわ…俺はトイレ以外でもPAの土産店見るのも好きなんで、PAでは降りたい派だから窓側だと不便なのよ。

行きは「WILLER」を使ったんだけど…バスもキレイだし、こんなフードみたいのも付いてるんだよ。
計画では7:30「津」に着いて、スグ列車に乗って「松阪」に出る予定だったけど…どうやらこのバス、「津」の次は「松阪」にも停まるらしいのさ。
俺が乗車券買ったとき、「松阪」にも停まることになってたかなぁ?そうなってなかったから「津」で降りて列車(JRもしくは近鉄)で「松阪」に行く計画にしたと思うんだよね。
だから乗務員に降り先変更させてもらったよ…「松阪」へは8:10着らしいんで、予定よか10分くらい遅れちゃうけどさ。
そしたら8:20「松阪」に着いたんで…1時間くらいしか余裕なくなっちゃったわ。

①三重県松阪市編(1勝)
「松阪」でバスを降りたら目的地とは反対の近鉄側でさ…近鉄とJRを越えてかなきゃ。

JR側に出て…歩いて「松坂城」を目指します…って、雨降ってきてないよね?

コレは「継松寺」です。

ココはかつての三井家屋敷跡地に整備されたポケットパークで…「三井高利」が江戸日本橋に開業した呉服商「越後屋」の流れを汲む「株式会社三越伊勢丹ホールディングス」より寄贈された「ライオン(来遠)像」があります。

ココは「三井家発祥の地」です…三井家の遠祖「三井越後守高安」は今の滋賀県鯰江の武将でしたが、1568年に主君の六角佐々木氏が「織田信長」との戦いに敗れたため、浪人となって今の三重県伊勢に移りました。
その孫が「三井高利」で、1622年「松阪」に生まれ、成人して兄の仕事を手伝うために江戸に出ますが、28歳の時に母・殊法の面倒をみるために一時帰郷、1673年に再び江戸に出て、現在の東京都中央区に呉服店越後屋(現「三越」)を開店することになります。

コレは「松阪商人の館」です。

「松坂城(跡)」を目指します…駅から徒歩圏内なのが助かるわぁ。

8:50「松坂城(跡)」に着きました~

「松坂城」は日本100名城の48番目だよ。

1588年「蒲生氏郷」により築城されました。

「蒲生氏郷」は小田原征伐の軍功により陸奥国会津60万石の大封を得て「若松城」に移りました…その後、会津には「上杉景勝」が移っています。

安土城の築城にも加わった「蒲生氏郷」ですが「松坂城」にも、このときの石垣作りが取り入れられています。

コレは「市立歴史民俗資料館」です。

桜も満開じゃん 城って桜多いよね。

左「月見櫓」跡、右「金の間櫓」跡です。

左「松阪開府之碑」です。

「本丸」跡の広場です。

左「敵見櫓」跡と…写真右を上がってみると…

「天守閣」跡がありました。

コレは「本居宣長記念館」です。

「本居宣長」は江戸時代の国学者・文献学者・医師です…映画監督「小津安二郎」は末裔らしいよ。

コレが旧宅?
さぁ、もう9:00過ぎてるから急いで駅まで戻らないと。

コレは「松阪市役所」です。

松阪市のマンホールなんだけど…最初、左の「うすい」を見て「何?うすいって、おすい(汚水)の間違いじゃないの?」って思ったんだけど、その後右の「おすい」もあったんで調べてみたら「うすい(雨水)」「おすい(汚水)」なんだね。

でも「松阪」のマンホールとしてはコッチ(松阪牛)の方が“らしい”よ。

予定通り9:24「松阪」発のJR紀勢本線に乗り、9:43「多気」で乗り換え(同じJR紀勢本線)ました。(写真右は何線だ?)
次の目的地「新宮」まで3時間40分(13:20着予定)もあるよ…寝られるかなぁ?

②和歌山県新宮市 Part.1編(2勝)
さて「多気(三重県)」から約3時間40分後、和歌山県「新宮」に到着しました~
今日と明日はココ「新宮」が拠点になるので宿泊もココでするよ…でもネットカフェが無さそうだったんで「民宿」を予約してあります。

次は14:21発のJR紀勢本線に乗るんだけど、約1時間の空きを利用して周辺の史跡ハントに向かいます

コレが新宮駅だよ…俺は「桃鉄」で昔から知ってた地名だよ。

まず最初に駅チカ(近く)の「徐福公園」に行きました…オーソドックスな中国の公園スタイル、この門構え…懐かしいな。

この「徐福」は中国「秦」時代の方士で…司馬遷の『史記』によると、秦の「始皇帝」に「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、「始皇帝」の命を受け3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかった…との記述があるそうな。

俺のイメージの「徐福」って「始皇帝」に呼び出され、あるかも分からぬ不老不死薬を探して来るよう無茶振りされたカワイソウなオジサンだったのよね。

ココの他にも「徐福」が上陸したと伝わる地が多くあるんだよ…「徐福」が上陸したと伝わる三重県熊野市波田須からは2200年前の中国の硬貨である半両銭が発見されているんだって。

この公園にある「徐福の墓」は、江戸時代の元文元年(1736年)に建立されたもので、紀州藩初代藩主である「徳川頼宣」が儒臣の李梅渓に「秦徐福之墓」の文字を書かせたものと伝わっています。

写真右は裏口かな?


次に向かったのは「丹鶴城公園」だよ…って「新宮城(跡)」のことね。
元この地に「源為義」と熊野別当の娘の子である「丹鶴姫」の住まいがあったので別名「丹鶴城」なんだって。

築城は1618年なので…大坂の陣以降だね。

築城主は「浅野忠吉」です…はじめ「織田信長」に仕え、後に浅野家惣領の「浅野長政」に仕えました。

イイ景色だね~

1619年、完成を前に浅野氏は備後三原の三原城(広島県三原市)へ転封し、「徳川頼宣(徳川家康の十男)」が紀州藩主として入国して以後、付家老「水野重仲(重央)」が城主となりました。

もう時間があんま無いんでザッと見て出ることにしたよ。

どこが本丸跡だとか分からぬまま「丹鶴城公園」を出ることにしました…その理由は周辺地図を見たら、見ておきたいトコがあったので。

ココは「阿須賀神社」です。

熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場の第23番です。

この近くに「徐福上陸の碑」があるんで来たんだけど…どこにあるのか分からんかったよ。

諦めて14:21発のJR紀勢本線に乗り、次の目的地「紀伊勝浦」に向かいました。

③和歌山県勝浦町編(2勝1敗)
14:43「紀伊勝浦」で下車しました…次に向かうのは熊野三山の一つ「熊野那智大社」だよ
駅前からバスに乗って行くんだけど、約30分待ち時間があるんよ…でも駅前はこんな感じ。

しかも…ついに雨が降ってきちゃったのよね~

駅前に足湯?がありました。

ただ待っててもヒマだし腹も減った…でもコンビニも無い…あ、フードの自販機発見
ホットドッグ(¥370)買ってみました…まぁ味はこんなモンやろ。

15:10発のバスに乗ったんだけど…途中、紀勢本線の2駅手前の「那智(駅)」も停まったわ。
いかにも「熊野那智大社」行きそうな人たちが「那智」で降りてたんで…「那智」からも行く手段があるのかな?と思ってたら、「勝浦」から出るバスが「那智」経由してたのかぁ。

15:30ごろ「大門坂駐車場前」で降りたんだけど…けっこう雨足強いって。

俺は敢えてココで降りて、少しでも「熊野古道」を歩いてみたかったんだけど…イヤがらせのようなこの雨。

写真右は「南方熊楠」が3年間滞在した大阪屋旅館跡だって。

新宮藩の関所跡だって。

「熊野那智大社」までけっこう歩くのかなぁ?

「熊野古道」といえば平安時代の女性の旅姿だね…晴れてたら若くてカワイイ古装女子がいたかも知れないのに。

夫婦杉を越えると上りになるよ…

右「多富気王子跡」です。

木に扉があるよ。

雨はさらに降り続く…

古道を抜けると…うわぁ、もうガスってんじゃんよ。

表参道を進んで行くと…

「熊野那智大社」の鳥居があります。

荷物や傘があると手水もできないよ。

振り向くとこんな感じ。

ココを上がれば「熊野那智大社」境内だよ。

コレは「宝物殿」です。

扉にある「八咫烏(やたがらす)」は熊野の神様のお使いである、三本足の烏です。

コレは「御縣彦社」です。

八咫烏はより良い方向へ導く、お導きの神様とされ「熊野那智大社」の境内にある「御縣彦社」でお祀りされています。

「拝殿」にお参りしたけど…裏の御本殿を観に行くの忘れた。

コレは「樟霊社」で樹齢約850年の樟を御神木として祀っています…「平重盛」の手植えと伝わっています。

幹が空洞化していて、護摩木(¥300)を持って通り抜けることができます。

隣の「那智山青岸渡寺」にも行ってみましょう。

青岸渡寺本堂は西国三十三所霊場の第一番札所としても有名な寺で…推古天皇の時代に創建され、天正18年に「豊臣秀吉」が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。
如意輪観世音を祀る本堂は桃山時代の建築様式を伝える建造物です。

右は「宝篋印塔」だけど…左は何でしょう?

「山門」の写真を撮るためだけに下に降りて行きました。

コレは青岸渡寺の「山門(仁王門)」です。

この「尊勝院」は青岸渡寺の宿坊なの?

コレは大黒天並びに六福神を安置した「如法堂」です。

鐘楼と…ココからも「熊野古道」につながってるの?

スゲェ霧で先に何があるのか?も分からず…行ってみるも「納骨堂」でした。

「三重塔」です…晴れてたら奥に「那智の滝」も見えたんだよ。

とにかく最後に「那智の滝」を観に行きます。

道標だけが頼りだわ…

ココが「那智の滝」の入口みたい。

那智山一帯は滝に対する自然信仰の聖地なんだね。

参道を下ると滝が見えてくるよ。

「華厳滝」「袋田の滝」と共に“日本三名瀑”に数えられているということは…「華厳滝」は小学校の修学旅行で観てるから2滝は制覇したね。
確かそのときの修学旅行も雨だった記憶が…
ちなみに「袋田の滝」はどこか知ってる? 茨城県久慈郡大子町だって…関東エリアだから秋にでも計画してみようかな。

「那智の滝」は総合落差では日本12位だけど、一段の滝としては落差日本1位なんだって~

前にあるのは「光ヶ峯遥拝石」です。

ココ「飛瀧神社」の御神体が「那智の滝」ってことなのかな?

今から戻れば「那智の滝前」から17:11発のバスに乗れそうだな。

予定よか30分早い17:11「那智の滝前」発のバスに乗ったよ…帰りは「那智駅」で降りてみるわ。

「那智(駅)」に17:28ごろ着いたんだけど、ちょうど17:33発のJR紀勢本線があって乗れたよ…コレ「紀伊勝浦」まで行ってたら乗れてなかったな。

17:51「新宮」に着きました…って、この列車じゃないよ。
それから歩いて15分くらいだったかな…予約していた民宿に着いたよ。
もう靴が濡れちゃったから靴下替えてもムダなんで、チェックイン後スグ近くにあった「すき家」で夕飯を食べ、コンビニで夜食と朝食を買って帰ったよ。
雨降るとホント疲れるよね…服が濡れたからエアコンをガンガンに点けてたら逆に暑くなり過ぎちゃった。
カメラも急に暖かくなったせいか?レンズが湿気で曇ってしまい、ピントが合わなくなってシャッターが切れなくなっちゃったもんね。(コレは乾燥したら直った)
テレビ観ながらウトウト寝てしまい…ちゃんと寝ようと思ったら民宿が居酒屋?もやってて、俺の部屋(1階)近くで電話してる客がいたり、店から話し声が聞こえて眠れなくなっちゃってさぁ、文句言ってやったわ。
明日の天気はどうなんだ?せめて曇りで雨は降らないように…もう傘も靴も乾かして準備してるんだぞー



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