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三国「蜀」終焉の旅⑤~ロウ中『張桓侯祠』編

2007年10月01日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
10月1日(月)
さて今日は『張飛』の最期の地である「閬中」に行きます。
昨日の調査で「富楽汽車站」から8:20発の「閬中」行きがある事が分かったので、7:20チェックアウトしました。
「タクシー」を拾い、7:30「富楽汽車站」に着きましたが…
な、なんと「午前発の閬中行きの切符は全て売り切れた」と言うんです。
これは困った事になったぞ…。
この旅では「閬中」も大切な地です…。
「他に近くまで行く方法が無いか?」と従業員に尋ねたところ、「平政汽車站から南部に行ける」と教えてもらえました。
「南部」は「閬中」の手前の町です。
とにかく時間が勿体無いんで、また「タクシー」を拾い、「平政汽車站」に行きました。

7:40「平政汽車站」に着きましたが、「南部」行きは9:10発です…
でも、これが一番早い「閬中」までのルートですからね…
「汽車站」内でボケ~っと時間を潰し、9:10「バス」は出発しました。
途中で隣に「バアちゃん」が座って来たんだけど、「バアちゃん」の足元に置いてる「荷物」が、たまに俺の素足(短パンだから)に当たる…。
何か「変な感じ」がして、途中のトイレ休憩の時見たら「ニワトリ(生きてる)」でした…
ビニール袋から左右1羽ずつ顔を出してて、そいつがたまに俺の脚を突いてたワケだ…

12:20「南部汽車站」に到着。
この町も小さいぞ…
ここから「タクシー」で「閬中」まで行こうか考えましたが、今日は「閬中」で『張桓侯祠』を見た後は「広元」まで出ることだけを目的にしたので、「バス」で「閬中」まで行く事にしました。
「バス」は40分後の13:00に出発しました。

13:50「閬中汽車站」に到着。

まずは「閬中汽車站」に着く前に車窓から確認していた『張飛像』を見にロータリーまで歩きました。

それから「タクシー」を拾い、14:05『張桓侯祠』に到着。
『桓侯』とは『張飛』の死後、「劉禅」が皇帝のとき諡されました。

入場料40元で中に入りましたが、「国慶節」当日もあって多くの人民で溢れていました。

この大殿の『張飛像』は「清」の時代に『桓侯大帝』に追封された皇帝バージョンです。

『張飛』の息子「張苞(左)」の塑像です。
写真を撮ってる俺も写っていますね。

『張飛』の活躍に関する塑像もあります。
「桃園結義」

「鞭督郵」

『張飛益徳』

「義釈厳顔」

「夜戦馬超」

「立馬勒銘」

「張飛遇害」

「虎臣良牧」

「墓亭」です。
この奥に「墓陵」があります。

『張飛墓』への入口です。

右側は「墓陵」の石壁です。

これが『張飛(168?-221)墓』です。

『張飛』は君子を敬う一方、小人には「無慈悲」に振る舞い、『劉備』の戒めにも改めませんでした。
『劉備』が『孫権』を討つため軍勢を催すと、一万人を率いて「江州」で合流することになっていましたが、出陣のとき幕下の「張達」、「范彊」に殺されました。(先程の塑像「張飛遇害」)
2人は首を持って『孫権』のもとに逃れました。
『劉備』は『張飛』の陣営から使者が来たと聞くと「ああ、張飛が死んだ」と歎いたといいます…。
…と言うことで、ここは「胴塚」ってことになります。
ちなみに首は「雲陽(重慶)に葬られた」とされています。
14:50『張桓侯祠』を出ました。

『張桓侯祠』を出ると…『張飛』がいました
…って黒塗りの「妖怪」だよ、これ…
これからパレードでもやるのかな?
『張桓侯祠』前の通りも古い町並みが再現された「土産物屋」がたくさんあります。

そして「タクシー」を拾い、15:00「閬中汽車站」に着きました。
…が、「広元」行きの「バス」は14時が最終でした…
どうしよう…まだ15時なのに、ここから先に進めないんじゃ明日の旅程にも影響が出てしまう…。
こうなったら「タクシー」しかない
「広元」まで「約150Km」。
「1Km=2元」と勝手に計算して予算を300元に設定して交渉します。
最初「350元」と言われたので、他の「タクシー」と交渉しようとしたら「300元でいい」と。
その時焦ってたんで、顔を乗り出して話していたのにドアを開けてしまい、思い切り顔面をドアにぶつけてしまい、右目下を少し切る始末…
でも、その「タクシー」はなかなか進まず、携帯で誰かと(この事を)話しています。
早くも棄権か?と思ったら、ちょっと進んだ所にいた別の「タクシー」に移されました。
それから2台目で40~50分くらい山道を進み、3台目に移らされました。
「俺はリレーのバトンじゃないぞ」って感じですよ。
3台目に「あんたが広元まで行くの?」と聞いたら、「そうだ」と言うので、どうやらこいつがアンカーのようです。
でも、俺1人じゃ「もったいない」のか途中の「蒼渓」という町でも「広元」に行く客を1人相乗りさせました。

「閬中」を出て1時間半くらい、町以外はずっとこんな山道を進んでいます。
すると「広元」から来た「タクシー」とすれ違いました。
すかさず停める「運チャン」。
どうやら、その「タクシー」は「広元」から「閬中」方面に客を乗せて行く途中らしい。
俺らは「閬中」から「広元」方面に行く途中という事で「運チャンズ」の利害が一致です。
それぞれ「客」を「乗せ替える」ことになりました。
まぁ「運チャンズ」からすれば、帰りは空車で地元に帰らないで済むからね…。
俺は別に300元で「広元」に行けりゃいいんだし。
ついに4台目で「広元」に行くことになりました。
19:00くらいには「広元」に入ったかな?
そしたら「ニーちゃん」はメーターを倒しました。
俺は3台目に「300元」払ってるし、「ニーちゃん」も前の客から金は貰ってるんで、市内に入ったから、他の人民が乗ろうとしないようにしてるんだと思っていました。
この「ニーちゃん」けっこう「いい奴」で市内に入ってから「ホテル」探しも手伝ってくれました。
でも今は「国慶節」連休中だし、外国人が泊まれる「ホテル」は最低三ツ星で、「この期間中だと1泊500元はするよ」と。
「明日は漢中に行くなら、今日これ(タクシー)で800元で行って、車中で寝かせてあげる」と言いますが、外国人が泊まれる「ホテル」が最低三ツ星と言うのも「表向き」です。
俺だって今までいろんな「ホテル」に泊まってるんですから。
こいつの「言いなり」になって800元も出してまで、今から「漢中」まで行く意味は無いし、同じくらいの金出すなら「今日はいいホテルに泊まってやろうじゃないか」と、19:40ごろ三ツ星ホテルに連れて行ってもらいました。
やっぱ通常500元以上でしたが「320元」と言う事で、即「OK」です。
ここで「ニーちゃん」と別れますが、結局市内に入ってからは「別料金」でした。
こいつが一緒のせいで高い「ホテル」に泊まるハメになったってのに。
分かってりゃ早く降りて、自分で安い「ホテル」を探せたかも知れないし、追加で「100元」も払わないで済んだのにな…。
まぁ仕方ないや。
とりあえず「広元」に出て来れて、旅程を狂わさずに済んだ事の方が大きいからね。

高いって言っても、俺から見りゃ200元前後の「ホテル」と大して変わらねーよ。
俺は「ベッド」「シャワー(お湯)」「エアコン」さえあれば、ちょっとくらい汚くてもいいんだよな…。
どうせ「史跡ハンター」の朝は早いんだから。

…と言うワケで、今日の夕飯も「カップラーメン」です…
あぁ~疲れた。



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