4月30日(日)
15:21「太田」発の東武伊勢崎線は15:32「足利市」に着きました…今日は埼玉(川越)からスタートし、群馬(太田)、栃木(足利)へと3県目になるんだね。
③下野国~足利編
ココではレンタサイクルを借りるんで、まず足利観光交流館「あし・ナビ」に行きます。
レンタサイクルの受付は16:00までだったんでね…少し時短して着いて良かったわ。
¥400でチャリを借り…18:00までの返却なんでチャチャッと巡らないとね。
とりあえず最初に向かうのは16:30まで入場受付の「足利学校」だよ。
ちょっと回り道になっちゃうんだけど…「渡良瀬橋」を渡って行きました。
もちろん流れている川は「渡良瀬川」だよね~
この先が「足利学校」だね…孔子像が立っています。
15:55「足利学校」に入りました。(参観料¥420)
この門は「入徳門」です…寛文8年(1668年)徳川幕府第4代将軍「徳川家綱」のときの創建ですが、天保2年(1831年)鑁阿寺安養院の火災により焼失、同11年(1840年)頃修築、その後明治の中頃に移転修築したと伝えられています。
扁額「入徳」は紀伊徳川家第11代藩主大納言「徳川斎順」の書です。
釈迦、キリストとともに世界の三聖人の一人として崇められている「孔子」は、中国春秋時代の魯国(現在の山東省済寧市曲阜)の人で、儒教の開祖として歴代の皇帝に尊崇され、後に「至聖先師」の称号を贈られました。
俺は山東省に住んでたときに曲阜の孔子故里も行ってるよ。
この「学校門」は寛文8年(1668年)に創建され、現在「足利学校」の象徴的な門となっています。
コレは「遺蹟図書館」です…足利学校伝来の書籍の保存を目的として明治36年(1903年)3月に足利学校遺蹟図書館が発足し、大正4年(1915年)に現在の建物が完成し開館しました。
コレは「杏壇門」で孔子廟の門です…寛文8年(1668年)創建ですが、明治25年(1892年)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建したものです。
扁額「杏壇」は紀伊徳川家第10代藩主大納言「徳川治宝」の書です。
コレは「孔子廟」で、聖廟とも呼ばれ「孔子」を祀ってある廟です。
建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668年)足利学校第13世庠主伝英元教のときに造営されたものです。
中の孔子座像と…
小野篁公像です…足利学校の創始者らしいです。
「東郷平八郎」「伊東祐亨」「上村彦之丞」手植えの月桂樹です。
この「方丈」は寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。
「方丈」に入ってみました。
北庭園を観ることができます。
この「庫裡」は竃(かまど)のある土間、板敷の台所、畳敷きの四部屋へとつづき、その奥には湯殿などがあり、庠主や学生の日常生活の場として使われていました。
コレは「裏門」で一般の人や学生が出入りをしていた往時の通用門です。
この「衆寮」は僧房または学生寮です。
16:15ごろ「足利学校」を出て…次は「足利氏宅跡」に行きます。
その近くにあった「足利尊氏」像です。
16:20すぎ「鑁阿寺(ばんなじ)」に着きました…コレは「楼門(山門)」で足利幕府13代将軍「足利義輝」の再建です。
この「鑁阿寺」は「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されていて…日本100名城の一つ(15番)だよ。
コレは「鐘楼」です。
コレは「多宝塔」です…「足利義兼」の創建と伝えられていますが、江戸時代の元禄5年(1692年)徳川5代将軍の母「桂昌院尼公」が再建したものです。
大銀杏は樹齢約650年だって~
コレは「本堂」です…建久7年(1197年)に「足利義兼」が持仏堂として建立したものを、その後「足利義氏」が方5間の大堂を建立しましたが、1129年に火災で失い、足利尊氏の父「足利貞氏」により正安元年(1299年)に再建したものです。
コレは「中御堂(不動堂)」です。
コレは「一切経堂」です…寺伝では開基「足利義兼」公の創建となっていますが、現存の経堂は1407年に関東管領「足利満兼」により再建されたものです。
コレは「御霊屋」です。
コレは「大酉堂」です。
コレは「校倉」です。
コレは「蛭子堂」です。
コレは「北門(薬医門)」です。
コレは「稲荷堂」です。
この「本堂」を中心に四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されています。
土塁と堀だね。
コレは土産屋「太平記館」です…特に欲しいモノはなかったわ。
コレは「足利氏宅跡(鑁阿寺)」の西門です。
17:00「織姫神社」に着きました。
朱色のキレイな神社だね。
2014年「足利織姫神社」は産業振興と縁結びの神様として“恋人の聖地”に認定されました。
ご祭神は機織(はたおり)をつかさどる「天御鉾命」と織女である「天八千々姫命」の二柱の神様です。
この二柱の神様は共同して織物を織って「天照大御神」に献上したといわれています。
むかし昔、都よりはるか遠い下野の国「あしかが」に一人の美しい娘が住んでいました。
ある日、娘が機を織るために糸をつむいでいると、そこへ都より若い織師が訪ねて来ました…そして、織師はその娘に都で流行っていた機織りを毎日熱心に教えました。
娘は織師と一緒に機を織ることが楽しく、朝から晩まで一生懸命に機を織り、その布を渡良瀬川の澄んだ流れの中にさらすと、川いちめんに花が咲いたような美しさでした。
何年か過ぎたある日、都より迎えの使者が来て織師は都へ帰らなければならなくなりました。
娘は悲しみのあまり機を織ることをやめ、毎日魚住山に登り、都に帰ってしまった織師に逢えることを祈っていました。
ある日、渡良瀬川のほとりにたたずんでいると、一人の白いヒゲをはやした老人が通りかかりました…老人は娘に一生懸命に機を織り、その布を神様に捧げればかならず願い事が叶うと伝えました。
娘は都に帰ってしまった織師に逢えることを願って一身に機を織りました。
やがて神様は一年に一度、七夕の夜に逢えるように娘の願いを叶えてくれました。
七夕の夜には渡良瀬川が天の川となって都まで広がり、織師は星の船に乗って娘に逢いに来ました…そのとき織師がまとっていた布は、娘が神様に捧げた布でした。
娘はいつしか「織姫」とよばれるようになり、都を望む魚住山の中腹に「織姫神社」が建立され、織姫は「天八千々姫命」織師は「天御鉾命」になり、織物のまち足利の守り神として「足利織姫神社」に祀られることになりました。
境内から見える「渡良瀬橋」だよ。
さて…史跡ハントとしてはココで終了し、足利に来たもう一つの目的に移ります。
それはココ足利が「森高千里」サンの名曲「渡良瀬橋」の舞台なんでさ…その聖地巡りだね。
歌詞に登場する床屋と公衆電話を観に行って、写真を撮ってたら…ちょうど店主が出て来ててさ。
お呼ばれされて店内でいろいろお話を伺わせてもらいました。
お店には「森高千里」サンのサインやファンからの贈り物などが飾られていました。
10分ほど居させてもらい17:30ごろ床屋を出たんだけど…店主はまだ話し足りなかったのかなぁ?でも俺はあと30分で自転車返しに駅まで戻ってないといけないからさ。
そしてココも歌詞に登場する「八雲神社」です。
だけど、境内に上がってみると…何よコレ、改修ってより建て直しじゃん。
そういや床屋の店主が何か言ってたなぁ…貰った雑誌記事のコピー見たら、2012年12月9日に火災で全焼しちゃったんだって。
それが今、復興に向けて動き出してるトコみたいよ…ちなみに、
コレは「足利学校」近くにあった「八雲神社」です。
コレは「織姫神社」近くにあった「八雲神社」です…どちらも分社なのかな?
そうかぁ…その「八雲神社」が焼失していたのは残念だったけど、また「渡良瀬橋」を通って駅まで戻ります。
今17:45…ちょうど陽が落ちてきたし、あと15分で「あし・ナビ」にチャリ返さんと。
18:00前にチャリを返却し、歩いて再び「渡良瀬橋」に行ってみました…帰りの列車は18:41発なんで、それまで「渡良瀬橋」の夕日を見てようかと。
コレは渡良瀬川沿いにある「渡良瀬橋」の歌詞碑だよ…再生ボタンを押すと曲が流れるけど、俺はスマホに曲入れてますから。
それでは、この歌詞に合わせた風景をご覧くださいな。
森高千里「渡良瀬橋」
1:渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ
キレイなトコで育ったね ココに住みたいと言った
電車に揺られこの街まで あなたは会いに来てくれたわ
私は今もあの頃を 忘れられず生きてます
今でも八雲神社へお参りすると あなたのこと祈るわ
願い事一つ叶うなら あの頃に戻りたい
2:床屋の角にポツンとある 公衆電話覚えてますか
昨日思わず掛けたくて 何度も受話器とったの
この間渡良瀬川の河原に降りて ずっと流れ見てたわ
北風がとても冷たくて 風邪をひいちゃいました
誰のせいでもない あなたがこの街で
暮らせないこと分かってたの
何度も悩んだわ だけど私ココを
離れて暮らすことできない
あなたが好きだと言ったこの街並みが
今日も暮れてゆきます
広い空と遠くの山々 二人で歩いた街
夕日がキレイな街
そして18:30…JR足利駅に着きました。
18:41「足利」発のJR両毛線に乗り、19:23「小山」着…それから19:39発のJR水戸線に乗り換えて20:58「水戸」に着きました。
今日4県目だね…埼玉(川越)を出発し、東松山、熊谷を経由して群馬(太田)栃木(足利)そして今、茨城(水戸)にいるんだからねぇ、忙しいオジサンね。
結局、今日も朝4時ごろ「おにぎり」1個しか食べてなく…でももう21時過ぎちゃったからさ、あまり駅から離れたくなかったんで夕飯はネットカフェ近くの「すき家」にしちゃったよ。
そしてコンビニで買い物してから、前回「水戸」に来たときと同じネットカフェに21:40ごろチェックインしました。
まさか再び「水戸」に来ることになるとはね…って、コレは明日行くトコに出やすくするためなんだけどさ。
このネットカフェはシャワー無料なんで、スグ借りて浴びたよ…けっこう汗もかいたからね。
もう初日から右足裏に「水ぶくれ」できちゃったわ…まだ前回のが完治(皮がキレイになる)してないのにさ。
でもスグ、店にあった楊枝を使って中の水は抜いたんで…明日からちゃんと歩ければイイけどねぇ。
今日は昨日に引き続き「極黒のブリュンヒルデ」を読もうと思ってたのに、そのネットカフェに置いてなくてさ…明日「宇都宮」で観れても最終18巻まで観終えられないな。
中古で全巻揃えようか迷ってるんだけどね…送料込み¥3,000までだな。
ココは前回もそうだけど、禁煙席はリクライニングしかなくてさ…仕方ないんでそれを選んでるんだけど、近くのヤツが咳ばっかしてんだよ。
風邪ひいてるヤツは家で大人しく寝てろや…今日は他にやること無くなった(読みたいマンガが置いてなかった)んで早く寝たいんだけど、そういうの気になっちゃうんだよね~
「いびき」がうるさいヤツもいたし…ネットカフェもある意味、図書館と同じだからねぇ、静かにしてもらいたいものよ。
15:21「太田」発の東武伊勢崎線は15:32「足利市」に着きました…今日は埼玉(川越)からスタートし、群馬(太田)、栃木(足利)へと3県目になるんだね。
③下野国~足利編
ココではレンタサイクルを借りるんで、まず足利観光交流館「あし・ナビ」に行きます。
レンタサイクルの受付は16:00までだったんでね…少し時短して着いて良かったわ。
¥400でチャリを借り…18:00までの返却なんでチャチャッと巡らないとね。
とりあえず最初に向かうのは16:30まで入場受付の「足利学校」だよ。
ちょっと回り道になっちゃうんだけど…「渡良瀬橋」を渡って行きました。
もちろん流れている川は「渡良瀬川」だよね~
この先が「足利学校」だね…孔子像が立っています。
15:55「足利学校」に入りました。(参観料¥420)
この門は「入徳門」です…寛文8年(1668年)徳川幕府第4代将軍「徳川家綱」のときの創建ですが、天保2年(1831年)鑁阿寺安養院の火災により焼失、同11年(1840年)頃修築、その後明治の中頃に移転修築したと伝えられています。
扁額「入徳」は紀伊徳川家第11代藩主大納言「徳川斎順」の書です。
釈迦、キリストとともに世界の三聖人の一人として崇められている「孔子」は、中国春秋時代の魯国(現在の山東省済寧市曲阜)の人で、儒教の開祖として歴代の皇帝に尊崇され、後に「至聖先師」の称号を贈られました。
俺は山東省に住んでたときに曲阜の孔子故里も行ってるよ。
この「学校門」は寛文8年(1668年)に創建され、現在「足利学校」の象徴的な門となっています。
コレは「遺蹟図書館」です…足利学校伝来の書籍の保存を目的として明治36年(1903年)3月に足利学校遺蹟図書館が発足し、大正4年(1915年)に現在の建物が完成し開館しました。
コレは「杏壇門」で孔子廟の門です…寛文8年(1668年)創建ですが、明治25年(1892年)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建したものです。
扁額「杏壇」は紀伊徳川家第10代藩主大納言「徳川治宝」の書です。
コレは「孔子廟」で、聖廟とも呼ばれ「孔子」を祀ってある廟です。
建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668年)足利学校第13世庠主伝英元教のときに造営されたものです。
中の孔子座像と…
小野篁公像です…足利学校の創始者らしいです。
「東郷平八郎」「伊東祐亨」「上村彦之丞」手植えの月桂樹です。
この「方丈」は寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。
「方丈」に入ってみました。
北庭園を観ることができます。
この「庫裡」は竃(かまど)のある土間、板敷の台所、畳敷きの四部屋へとつづき、その奥には湯殿などがあり、庠主や学生の日常生活の場として使われていました。
コレは「裏門」で一般の人や学生が出入りをしていた往時の通用門です。
この「衆寮」は僧房または学生寮です。
16:15ごろ「足利学校」を出て…次は「足利氏宅跡」に行きます。
その近くにあった「足利尊氏」像です。
16:20すぎ「鑁阿寺(ばんなじ)」に着きました…コレは「楼門(山門)」で足利幕府13代将軍「足利義輝」の再建です。
この「鑁阿寺」は「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されていて…日本100名城の一つ(15番)だよ。
コレは「鐘楼」です。
コレは「多宝塔」です…「足利義兼」の創建と伝えられていますが、江戸時代の元禄5年(1692年)徳川5代将軍の母「桂昌院尼公」が再建したものです。
大銀杏は樹齢約650年だって~
コレは「本堂」です…建久7年(1197年)に「足利義兼」が持仏堂として建立したものを、その後「足利義氏」が方5間の大堂を建立しましたが、1129年に火災で失い、足利尊氏の父「足利貞氏」により正安元年(1299年)に再建したものです。
コレは「中御堂(不動堂)」です。
コレは「一切経堂」です…寺伝では開基「足利義兼」公の創建となっていますが、現存の経堂は1407年に関東管領「足利満兼」により再建されたものです。
コレは「御霊屋」です。
コレは「大酉堂」です。
コレは「校倉」です。
コレは「蛭子堂」です。
コレは「北門(薬医門)」です。
コレは「稲荷堂」です。
この「本堂」を中心に四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されています。
土塁と堀だね。
コレは土産屋「太平記館」です…特に欲しいモノはなかったわ。
コレは「足利氏宅跡(鑁阿寺)」の西門です。
17:00「織姫神社」に着きました。
朱色のキレイな神社だね。
2014年「足利織姫神社」は産業振興と縁結びの神様として“恋人の聖地”に認定されました。
ご祭神は機織(はたおり)をつかさどる「天御鉾命」と織女である「天八千々姫命」の二柱の神様です。
この二柱の神様は共同して織物を織って「天照大御神」に献上したといわれています。
むかし昔、都よりはるか遠い下野の国「あしかが」に一人の美しい娘が住んでいました。
ある日、娘が機を織るために糸をつむいでいると、そこへ都より若い織師が訪ねて来ました…そして、織師はその娘に都で流行っていた機織りを毎日熱心に教えました。
娘は織師と一緒に機を織ることが楽しく、朝から晩まで一生懸命に機を織り、その布を渡良瀬川の澄んだ流れの中にさらすと、川いちめんに花が咲いたような美しさでした。
何年か過ぎたある日、都より迎えの使者が来て織師は都へ帰らなければならなくなりました。
娘は悲しみのあまり機を織ることをやめ、毎日魚住山に登り、都に帰ってしまった織師に逢えることを祈っていました。
ある日、渡良瀬川のほとりにたたずんでいると、一人の白いヒゲをはやした老人が通りかかりました…老人は娘に一生懸命に機を織り、その布を神様に捧げればかならず願い事が叶うと伝えました。
娘は都に帰ってしまった織師に逢えることを願って一身に機を織りました。
やがて神様は一年に一度、七夕の夜に逢えるように娘の願いを叶えてくれました。
七夕の夜には渡良瀬川が天の川となって都まで広がり、織師は星の船に乗って娘に逢いに来ました…そのとき織師がまとっていた布は、娘が神様に捧げた布でした。
娘はいつしか「織姫」とよばれるようになり、都を望む魚住山の中腹に「織姫神社」が建立され、織姫は「天八千々姫命」織師は「天御鉾命」になり、織物のまち足利の守り神として「足利織姫神社」に祀られることになりました。
境内から見える「渡良瀬橋」だよ。
さて…史跡ハントとしてはココで終了し、足利に来たもう一つの目的に移ります。
それはココ足利が「森高千里」サンの名曲「渡良瀬橋」の舞台なんでさ…その聖地巡りだね。
歌詞に登場する床屋と公衆電話を観に行って、写真を撮ってたら…ちょうど店主が出て来ててさ。
お呼ばれされて店内でいろいろお話を伺わせてもらいました。
お店には「森高千里」サンのサインやファンからの贈り物などが飾られていました。
10分ほど居させてもらい17:30ごろ床屋を出たんだけど…店主はまだ話し足りなかったのかなぁ?でも俺はあと30分で自転車返しに駅まで戻ってないといけないからさ。
そしてココも歌詞に登場する「八雲神社」です。
だけど、境内に上がってみると…何よコレ、改修ってより建て直しじゃん。
そういや床屋の店主が何か言ってたなぁ…貰った雑誌記事のコピー見たら、2012年12月9日に火災で全焼しちゃったんだって。
それが今、復興に向けて動き出してるトコみたいよ…ちなみに、
コレは「足利学校」近くにあった「八雲神社」です。
コレは「織姫神社」近くにあった「八雲神社」です…どちらも分社なのかな?
そうかぁ…その「八雲神社」が焼失していたのは残念だったけど、また「渡良瀬橋」を通って駅まで戻ります。
今17:45…ちょうど陽が落ちてきたし、あと15分で「あし・ナビ」にチャリ返さんと。
18:00前にチャリを返却し、歩いて再び「渡良瀬橋」に行ってみました…帰りの列車は18:41発なんで、それまで「渡良瀬橋」の夕日を見てようかと。
コレは渡良瀬川沿いにある「渡良瀬橋」の歌詞碑だよ…再生ボタンを押すと曲が流れるけど、俺はスマホに曲入れてますから。
それでは、この歌詞に合わせた風景をご覧くださいな。
森高千里「渡良瀬橋」
1:渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ
キレイなトコで育ったね ココに住みたいと言った
電車に揺られこの街まで あなたは会いに来てくれたわ
私は今もあの頃を 忘れられず生きてます
今でも八雲神社へお参りすると あなたのこと祈るわ
願い事一つ叶うなら あの頃に戻りたい
2:床屋の角にポツンとある 公衆電話覚えてますか
昨日思わず掛けたくて 何度も受話器とったの
この間渡良瀬川の河原に降りて ずっと流れ見てたわ
北風がとても冷たくて 風邪をひいちゃいました
誰のせいでもない あなたがこの街で
暮らせないこと分かってたの
何度も悩んだわ だけど私ココを
離れて暮らすことできない
あなたが好きだと言ったこの街並みが
今日も暮れてゆきます
広い空と遠くの山々 二人で歩いた街
夕日がキレイな街
そして18:30…JR足利駅に着きました。
18:41「足利」発のJR両毛線に乗り、19:23「小山」着…それから19:39発のJR水戸線に乗り換えて20:58「水戸」に着きました。
今日4県目だね…埼玉(川越)を出発し、東松山、熊谷を経由して群馬(太田)栃木(足利)そして今、茨城(水戸)にいるんだからねぇ、忙しいオジサンね。
結局、今日も朝4時ごろ「おにぎり」1個しか食べてなく…でももう21時過ぎちゃったからさ、あまり駅から離れたくなかったんで夕飯はネットカフェ近くの「すき家」にしちゃったよ。
そしてコンビニで買い物してから、前回「水戸」に来たときと同じネットカフェに21:40ごろチェックインしました。
まさか再び「水戸」に来ることになるとはね…って、コレは明日行くトコに出やすくするためなんだけどさ。
このネットカフェはシャワー無料なんで、スグ借りて浴びたよ…けっこう汗もかいたからね。
もう初日から右足裏に「水ぶくれ」できちゃったわ…まだ前回のが完治(皮がキレイになる)してないのにさ。
でもスグ、店にあった楊枝を使って中の水は抜いたんで…明日からちゃんと歩ければイイけどねぇ。
今日は昨日に引き続き「極黒のブリュンヒルデ」を読もうと思ってたのに、そのネットカフェに置いてなくてさ…明日「宇都宮」で観れても最終18巻まで観終えられないな。
中古で全巻揃えようか迷ってるんだけどね…送料込み¥3,000までだな。
ココは前回もそうだけど、禁煙席はリクライニングしかなくてさ…仕方ないんでそれを選んでるんだけど、近くのヤツが咳ばっかしてんだよ。
風邪ひいてるヤツは家で大人しく寝てろや…今日は他にやること無くなった(読みたいマンガが置いてなかった)んで早く寝たいんだけど、そういうの気になっちゃうんだよね~
「いびき」がうるさいヤツもいたし…ネットカフェもある意味、図書館と同じだからねぇ、静かにしてもらいたいものよ。
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