secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

パブリック・エネミーズ

2009-12-28 12:47:46 | 映画(は)
評価点:65点/2009年/アメリカ

監督:マイケル・マン

いくら格好良いといっても、カメラが近すぎる。

世界大恐慌から数年たった1933年。
ふらっと刑務所に現れたデリンジャー(ジョニー・デップ)はあっという間に仲間を脱獄させた。
仲間を得た彼は大恐慌に揺れる世間を騒がせる銀行強盗となった。
あるとき、シカゴで見つけた女性(マリオン・コティヤール)に一目惚れした彼は、そのビリーを連れて銀行強盗にいそしむようになった。
不安になるビリーの考えの通り、できあがったばかりのFBI捜査官メルヴィン・パーヴィス(クリスチャン・ベイル)が彼を追っていた。

この秋から冬にかけての正月前映画商戦の目玉作品の一つが、この「パブリック・エネミーズ」である。
これまで何度も映画化されてきた実在のアメリカ版ネズミ小僧を主人公にした物語である。
もちろん、僕は彼の存在なんて全く知らなかったので、予備知識なしで見た。
特に何も知らなくても、それなりに理解できるし、それなりに楽しめる。
僕は体調不良の中、半ばやけくそ気味に映画館に行ったので、カップルだともっと楽しめるだろう。
批評が遅れてしまったので、もはや急がないと見る機会を逸してしまう。

ジョニー・デップ、クリスチャン・ベイル、というキャスティングに、監督がマイケル・マン。
この取り合わせに飛びつける人はおすすめだ。
まあ、それなりには楽しめるだろう。

▼以下はネタバレあり▼

不景気のどん底にあって、ネズミ小僧の物語を世に出すわけだから、当然世相を反映している。
冷え切ったこの現代では、いくらなんでも銀行の金を強盗してやろうという人はいないだろう。
マイケル・ムーアの「キャピタリズム」とあわせて観ると楽しめるかもしれない。

それはおいておいて、世相を反映したからといっても、やはり物語は人間性をどれだけ描けるかにかかっている。
残念ながら、この映画の脚本は、そこまで練られたシナリオではない。
むしろ、これまであった作品や物語にのっかっているだけの安易ささえ感じてしまう。
そのあたりを中心に書いていこう。

ジョン・デリンジャーの人物像が描けていない。
主人公が曖昧であるだから、当然感情移入もしにくい。
ニヒルな主人公であるなら、もっと感情移入できる視点人物を用意するべきだった。
とにかく、彼の内面がつかめない。
たとえば、恋人に選んだビリーは「美しい」と再三訴えかけるがなぜ命を賭してまで守ろうとするのか、見えてこない。
ビリーに母親をみた、といったありきたりな設定でもないと、ちょっとあの執拗さを説明しきれない。
また、大衆に愛されることを望んだ強盗として有名であるけれども、それがどこから来るのかわからない。
裏社会からも追いかけられる後半に至っては、もはやそれも捨て去って逃避行を続けることになる。
そのあたりの描き方が甘いので、彼の哲学が伝わってこない。

史実だから、といういいわけはもちろん通用しない。
史実をどれだけ史実に沿ったところで、個人の解釈は免れない。
もっとはっきり言えば、その個人(制作者)の解釈がないのなら、今更この映画を撮る必要はないのだ。
つまり、それがこの映画を映画たらしめているもモティべーション(=動機)であるはずだ。
それが欠落しているなら、映画としての価値さえ疑わしい。

それはともかく、彼への描写があまりにも一元的である。
だから、物語が緊迫している場面であっても、おもしろみが半減してしまう。

もちろん、他のキャラクターも見えてこない。
ビリーもなぜあれほど彼にぞっこんなのか、彼女なりの見解をどこかに入れておいてほしかった。
それも、「彼は私が失っていたものを与えてくれたの」というようなありきたりな台詞でもいいのだ。
そういったキャラクターを立体的に描く、あるいは内面から描くという態度がないため、物語に深さがない。

そして、メルヴィンもまた同様だ。
必死になっていることは見て取れるし、社会的な背景もよくわかる。
だが、彼には捜査官という仮面以上の内面はない。
だから彼も視点人物にはなり得ない。

全体としては丁寧に展開する。
このデリンジャーがどういう人物なのか知らない僕でも理解できるように描かれるのでわかりやすい。
及第点ということはできるだろう。
だが、肝心の銃撃戦のシーンがよくない。
特にひどいと思ったのは、山荘で立てこもるデリンジャーとメルヴィンとの銃撃戦である。
何がどうなっているのかまったくつかめない。
映画館でこれだけ理解できなければ、おそらく家でみるともっと理解できないだろう。
台詞を入れたりするなどで、もう少しわかりやすくとれたのではないかと、惜しまれる。

また、デリンジャーが捕まってしまうシーンでも気分がそがれた。
宿を取ろうとしたビリーが連行され、それをそばからデリンジャーが見守るシークエンスである。
このシーンでも、二人の距離感がわからないので、どれくらい近い位置からそれを見ているのか、わからない。
衝撃のシーンであるはずが、一気にさめてしまう。
僕が冷静にそれを分析できている時点で、映画にのめり込めていない証拠である。

それ以外にも全体的に引いた画像がないことが多い。
やたら役者をアップにしたりして、背景や全体の様子が捉えにくいことが多い。
まるで日本の時代劇のように、周りの背景を写したくないからではないかと疑ってしまった。
それはないだろうとおもうけれども、それにしても不自然さを感じた観客は多かったはずだ。

飛ぶ鳥を落とす勢いのクリスチャン・ベイルを競演させたことで、映画にハリが生まれたことは確かだ。
楽しめるレベルではあるものの、それだけ、という後には何も残らないそうめんのような映画である。
「のどごし」だけを楽しむには、ちょっと贅沢なキャスティングである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3時10分、決断のとき(V) | トップ | アバター »

コメントを投稿

映画(は)」カテゴリの最新記事