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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

エリジウム

2013-10-27 20:26:36 | 映画(あ)
評価点:63点/2013年/アメリカ/109分

監督:ニール・ブロムカンプ

壮大な世界観だが、穴が多すぎる。

2154年、環境破壊が進んだ地球では住めなくなったため、富裕層は「エリジウム」という巨大なコロニーを建設し、すみかとしていた。
しかし、大多数の貧困層は地上で生きていた。
ある日、荒廃したロスに住むマックス(マット・デイモン)は働いていたロボット工場で事故に遭い、致死量の被爆を経験する。
残り5日で死ぬと言われた彼は、何とかエリジウムにあるという医療装置によって生きながらえようと、スパイダーという裏組織にエリジウムへの「チケット」を交渉しにいくが。

第9地区」で話題になったニール・ブロムカンプ監督の最新作。
「第10地区」ではなく、完全な新作である。
こちらもSFで、莫大に制作費がかけられるとあって、主演はマット・デイモン。

日本のちまたでも話題のようで、普段映画を見ない人も「見に行った」という話を聞く。
また、フランスでも丁度映画公開をしていてそこかしこに看板が出ていた。
私は当然見に行くべき作品だろうと思い、見に行ったわけだ。
第9地区」のようなSF作品ではないことには注意が必要だ。
どちらかというと「よくあるタイプ」のSF作品になっている。
南アフリカについて知っていた方がよい、というような予備知識を必要とするものではないので、より一般向けになったと言っていい。

▼以下はネタバレあり▼

おそらく、この映画を見たほとんどの人は「第9地区」と比較してしまう。
そしてその大半の人は、「前の方が良かった」というに違いない。
もしくは「なんだか普通のSFですね」とがっくりくるかもしれない。

この映画を見れば見るほど、「第9地区」という作品がまさにスイートポイントを叩いたホームランのようにスマッシュヒットだったのだろうと思えてならない。
一つは、低予算で大きな世界観を見せることができなかったという足かせがうまく生きたという点。
もう一つは「エイリアンというブラック・ボックス」が世界観の穴を上手く隠していたという点だ。

予算が桁違いに伸びたことで壮大な世界観を見せることができるようになった。
しかしその一方、ブロムカンプ監督のイマジネーションが「観客のほとんどがひっかかる点」について足りなかったことが露呈されてしまった。
要するに、穴が多すぎる。
話の筋うんぬんの前に、その点が気になって物語にすんなり入り込めない。
SFにおいてその説得力の有無を決めるのは、映像ではない。
それがいかに蓋然性のある、説得力ある世界観かどうか、という点だ。

世界観はわかりやすい。
もっとはっきり言えば、ありきたりだ。
人口爆発と、環境問題によってコロニーに住む富裕層と地上に残された貧困層とに分かれている。
富裕層は一定の決められた土地に住み、一家に一台医療マシンがセットされている。
それにかかれば治せないけがや病気はなくなる。
逆に、貧困層は野戦病院のようなところで、不足する薬品と長蛇の列に並ぶ患者とのにらみ合いである。
この映画における最も対比的なところはこの医療を取り巻く環境である。

エリジウムにはシャトルで向かうが、許可がない者は撃ち落とされることになる。
人々はその美しい円形のエリジウムを見ながら、そこには絶対たどり着けないことを身にしみて感じることになる。
監督のお得意ともいえる皮肉なディストピアは随所に見られる。
その格差が拡大し続けた結果の医療だけではない。
スラム化したのは現在のアメリカでもっともお金持ちが集まるというハリウッドだ。
そこで働くマックスは、自分自身を取り締まるドロイドを製造している。
労働条件は極めて厳しく、彼らを対応する労働局は人間でさえない。
固定化してしまった世界では、「アメリカン・ドリーム」なるものは存在しない。
せいぜいさらに弱い者から奪うことくらいしかない。

一方、エリジウムの人間たちは危険や不安とは無縁の生き方をしている。
白血病も治せる機械があり、地上との行き来は高級車を思わせる個人のシャトルを持っている。
両者は完全に管理されており、富裕層は健康状態まで把握されている。

そんなところに事件が起こる。
被曝したマックスは自身を改造し、エリジウムの人間たちがもつデータを盗み出すように言われる。
生きるためには何でもするしかないマックスは、自分を雇っていたアーマダイン社の社長を襲い、データを奪う。
そのデータは、デラコート防衛長官(ジョディ・フォスター)を首領とする「革命」のデータが入っていた。
マックスにデータを移動させて、そのデータをエリジウムにインストールさせ、革命を起こすのだ。
ここに、監督の最も強烈な皮肉が込められている。
それまでどうやっても救えなかった貧困層を、あっという間に「救うべき対象」として認識させて革命を成功させてしまう。
結局、弱い人間を救うというわかりやすい「正義」を妨げていたのは人間であって、ドロイドやシステムではなかったと言うことだ。
どんな機械も、どんなAIも、自分たちを苦しめているのは自分たちの技術ではなく自分たちのエゴだったということだ。
マックスは命と引き替えとはいえ、あっさり世界を救ってしまう。

話としてはユニークだし、メッセージ性もあるのかもしれない。
それでも多くの人がそれに乗れないのは、その一点だけを楽しむにはあまりにも弊害が多いからだ。

エリジウムの防衛システムが貧弱で、まったく脆弱であるということ。
麻酔をしてマックスを改造したが、術後全くその痛みを伴わないということ。
デラコードの権限が曖昧で、なぜ一人の個人的な意見によって巨大な組織が危険な目に遭ってしまうのかということ。
エリジウムの政治システムや管理システムが不透明であるということ。
などなど。
挙げればきりがない。
特に一つの革命を起こす物語でありながら、その前提となる社会・政治のシステムが説明不足すぎる。

一つ一つのガジェットや設定はとてもおもしろい。
けれども、それが物語としてつながると綻びが気になる。
次回作に期待、といったところか。

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