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外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(37)~またフィレンツェをうろうろ編~

2025-01-09 20:36:50 | イタリア

 

今回も、前回に引き続きフィレンツェでの街歩きの記録。滞在3日目に行ったミケランジェロ広場や、その下にある庭園、そして夜にちょっと遠出して見に行ったフィエーゾレの花火など。

 

友人御用達のサンタンブロージョのメルカート(市場)

ここは観光スポットのメルカート・チェントラーレ(中央市場)とは違い、馴染の地元客が大半。

 

 

メロンとへしゃげ桃(蟠桃)に目が行く。

 

なお、標準語イタリア語でメロンは「メローネ」(melone)だが、フィレンツェ弁では「ポポーネ」(popone)だ。生ハムポポーネって、かわいいな~

 

市場の屋内 フィレンツェ料理が食べられる食堂もあって、そこはいつも混んでいる。

 

美味しそうなものは色々あったが、結局私は何も買わなかった。選択肢がたくさんあると選べない体質。

 

 

市場から出て、立ち寄ったパン屋さん。焼き菓子も色々ある。

 

木片みたいに見える固いビスコッティは、デザートワインのヴィンサントに浸して食べると美味しい。

 

 

日本でも有名なイタリア料理店「チブレオ」のカフェテリア

 

チブレオのリストランテは、日本にもかつて西麻布に支店があったらしい。バブルと共に消えて行ったのか。

 

ちなみに、「ちぶれお」と打って変換キーを押したら、「恥部レオ」って出たんだけど、どういうことなの…

 

チブレオカフェは、さすがチブレオだけあって、落ち着いた雰囲気の洒落たカフェだが、立ち飲みだけなら他のバールと同じ価格

 

 

 

ここは日本人女性がカウンターで働いていて、友人と共にお喋りしながらカプチーノを立ち飲みした。エアコンが壊れていて大変そうだったが、明るくテキパキ働いていて、エライなあ~と感心した。友人はアイスのエスプレッソを飲んでいた。

 

 

サンタ・クローチェ教会

 

サンタ・クローチェ広場は、私にとっては鳩スポット(この時はいなかったが)

 

 

駅に向かって歩く。

 

 

中国人の友人がやっている衣料品店に途中で寄った。

 

彼女は再会を喜んで、隣のバールでハイネケンを買ってきてくれた。さすが私をよく分かっている。

 

彼女を訪ねて店に行くと、いつも売り物をプレゼントしようとしてくれる。ダウンコートとかショールとかもらっちゃったけど、価格設定が安いにしても、そんなんで経営大丈夫なのか…

 

大きめの書店

 

 

 

食事中の電気自動車

 

駅付近のサンタ マリア ノヴェッラ教会

 

サンタ マリア ノヴェッラ教会は、ファサードの丸窓のある上部を、両脇からにょろっとした三角形っぽいパーツが支えているような構造が特徴的だ。ある友人が「サンタマリアノヴェッラって、『のべっら』って感じだよね。のべっとしてる」と言っていた。サンタマリアのべっら教会。

 

ここが「のべっら」部分

 

 

この教会前の広場も、私にとっては鳩(のえさやり)スポット

 

トルコと違って、イタリアでは鳩にエサをやると怒られることがあるので(場所によっては禁止)、あまりできないが…

 

スズメもいる。

 

 

教会の外壁

 

 

鉄道駅周辺のトラム駅

 

 

旧市街の狭い路地をグリグリ進む電気のミニバスちゃん

 

 

駅前から12番の市バスに乗って、フィレンツェの街並みを一望できるミケランジェロ広場に行った。

 

 

ミケランジェロ広場と言えばダヴィデ像

 

 

ダヴィデの隣りにクラーク像を置いてみたい(ネットから拝借した写真)

クラーク先生「少年よ、大志を抱け!」

ダヴィデ君「わし、あんたより年上」

 

ちなみに、フィレンツェの大家さんは、「ミケランジェロ(Michelangelo)じゃなくて、ミケランジョロ(Michelangiolo)が正しい呼び名なのよ」と言って、ミケランジェロ広場を「ミケランジョロ広場」( piazzale Michelangiolo)と呼んでいた。ウィキペディア(イタリア語版)によると、ミケランジェロの名前の呼び方は、「Michelagnolo→Michelangiolo→Michelangelo」と変遷していったらしい。今はミケランジェロが一般的だが、フィレンツェでは、私の大家さんのような年配の層の中には、今でも彼にちなんだ地名を「ミケランジョロ広場」、「ミケランジョロ大通り」(Viale Michelangiolo)と呼ぶ人々がいるようだ。

 

フィレンツェの美しい街並みが堪能できる。

 

ドゥオーモ様はやっぱり大きいなあ~

 

アルノ川に掛かる橋の並び方と形の違いが目を引く。

 

山の上のフィエーゾレ方面

 

フォルテ・ベルヴェデーレ(ベルヴェデーレ要塞)方面

 

広場の一角で開催されていたフィットネス関係のイベント

 

スパルタなインストラクターの女性が、叱咤激励しながら指導していた。7月の炎天下のフィレンツェでそんなことしたら、死人が出るんでは…

 

ミケ広場から階段を下りていって、「Giardino della Rosa」(薔薇の庭園)に向かう。

 

 

薔薇の季節じゃなくても十分美しいので、訪れる価値はある。タダだし(重要)

 

 

ここにはベルギーの著名なアーティスト、ジャン・ミシェル・フォロンの作品がいくつか置かれている。

 

 

 

 

フォロンの像って、どれもこれもステキよね…うっとりこ~

 

 

庭園を出て、さらに階段を降りて行く。

 

 

サンニッコロ門

 

 

アルノ川

 

近年のアルノ川は、ヌートリアがいなくて寂しい…

 

 

この日は、夜にフィレンツェ近郊フィエーゾレのローマ劇場で無料のコンサートがあって、その後花火大会があるというので、友人とバスで出かけた。7月6日はフィエーゾレの守護聖人サン・ローモロの日で、毎年色々な祝賀行事が行われ、その最後に花火が打ち上げられるらしい。

 

 

コンサートの整理券はもうなかったので、花火だけ見ることにして、脇のバールで待機した。

 

 

 

スプリッツにピーナッツとポテチが付いて6ユーロ(現在のレートで約980円)。ちょっと高いけど、花火がかぶりつきで観られるからヨシ。

 

バールのカウンターで、エスプレッソを普通のデミタスカップではなく、グラスに入れて欲しいと頼んでいるイタリア人男性がいたので、なぜか聞いたら、「グラスの方が飲み口が薄くて、美味しく感じられるから、いつもそちらを頼んでいる」とのことだった。私の大雑把な味覚ではよくわからないが、そう言われたら、そんな気もする。

 

23時頃にようやく花火が始まった。次第に人が集まって来る。

 

間近で上がっているので、すごい迫力だった。

 

 

 

なんとかバスに乗れて、無事帰宅した後に友人が作ってくれた夕食

 

サルシッチャ(生ソーセージ)とポテトなどの付け合わせ。美味しかった。サルシッチャは私の好物のひとつ。

 

締めに飲んだアマレット(アーモンドの香りのリキュール)

 

めっちゃ甘レット…

 

 

(続く)

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(36)~フィレンツェはやっぱり美しかった編~

2025-01-04 18:37:48 | イタリア

 

 

年が変わって、2025年になってしまったが、皆様いかがお過ごしだろうか。私は里帰りしなかったので、年末年始も平常通り低速低空へろへろ飛行の日々。一応大晦日に大そうじをして、ベンチ飲み収めをし(2か所のベンチをハシゴ)、三が日は昼間から酒を飲んだが(夜はもちろんベンチ飲み)。

 

さて、今回も2022年の旅行記の続きで、イタリア編の始まりだ。とうとう3年前の話になってしまったな~

 

3か国周遊の旅の最終目的地イタリアでは、7月4日から帰国までの約10日間ずっとフィレンツェに滞在し、現地在住の友人達と会ったり少し遠出したりはしたものの、大体はフィレンツェの街中をうろうろしていただけ。カードのキャッシング限度額の問題でお金もあまり使えず、猛暑の波が来ていたこともあり、全体的にテンションが低めだった。

 

だから、もういっそのこと最後のイタリアは省いて、この延々と続く旅行記を強引に終わらせようかと思ったが、写真を見返してみたら、「ああ、イタリアはさすがヨーロッパだなあ、やっぱりフィレンツェは美しいなあ…」としんみりした気分になり、いずれまた行きたいという思いが湧いてきたので、旅の記録を残すという点でも、フィレンツェ滞在部分も省かず、一応記事にすることにした。日記形式にはせず、何回かに分けて写真をまとめて載せ、短い説明文を添える程度にして、ささっと終わらせるつもりだ。いんしゃーあっらー…

 

というわけで、今回はフィレンツェ街歩き編。滞在2日目にフィレンツェのチェントロ(中心部の歴史地区)を徘徊した時のこと。ほぼ時系列順に並べている(どうしても日記寄りになる体質)。

 

 

ドゥオーモの近くのバールでカッフェ・マッキアート

このバール(名前は知らない)はお店の人が感じよくて、テーブル席に立ち飲みと同じ料金で座れるので貴重

 

お菓子も種類が豊富

 

 

歩いているだけで街の歴史が感じられるチェントロの路地

 

オペラのアリアを歌うストリートミュージシャン

 

彼はとても上手だった。何気なく歩いていて、こういうパフォーマンスに遭遇すると、「ああ、フィレンツェ(イタリア)っていいところだな~」と思う。

 

 

 

 

お店のウインドウのディスプレイが美しい

 

 

 

フィレンツェの女王、ドゥオーモ様(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)

 

正面から見上げたらクーポラが見えない

 

 

そういえば、私はかつてフィレンツェでイタリア語を勉強していた頃、イタリア語作文の練習のために、「8月の暑い時期にドゥオーモがじりじり移動してアルノ川に水浴びに行く」という内容の短い童話(?)を書いたことがある。誰にも見せないまま、すっかりお蔵入りしていたが、今ちょっと読み返してみたら、内容はともかくイタリア語の文章のレベルがかなり高かった。今の私にはもう、こんな文章は書けないぜ…

 

 

馬車を引く馬さんは食事中

 

 

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

 

「天国の門」(レプリカ)

 

 

オルサンミケーレ教会

 

オルサンミケーレ教会と言えば「やっとこの聖人」

正しくは、蹄鉄工の守護聖人「聖エリジオ」で、15世紀前半に蹄鉄工組合が作らせたものらしい。本物の像はオルサンミケーレ美術館に入っていて、教会の外の壁龕の中で仁王立ちしているのはレプリカ。

 

 

お鼻が金ぴかのイノシシ君

「Porcellino 」(ポルチェッリーノ=子豚ちゃん)と呼ばれているが、狩りで怪我をしたイノシシの像らしい。

 

イノシシ広場(正確にはPiazza del Mercato Nuovo)の奥のトリッパ屋さん。

ここはプラカップのワインが安い。美味しくないけど。

 

パラッツォ・ヴェッキオ(ヴェッキオ宮殿)

 

シニョリーア広場へ

 

パラッツォ・ヴェッキオの正面入口

 

入口上の飾り部分が好き

 

ネプチューンの泉

 

ロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)はいつも混んでいる

 

ウッフィーツィ美術館

 

ウッフィーツィ美術館前のヒマそうな似顔絵かきの人

 

 

ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)

 

 

 

ポンテ・ヴェッキオから見た風景(上流)

 

(下流)

 

ちょっと歩くだけでこんなに歴史的な観光名所に遭遇してしまうフィレンツェ、やっぱりすごいよね…外を歩くだけでも満足できてしまう。タダだし…

 

メディチ家礼拝堂

 

サン・ロレンツォ教会から中央市場周辺にかけて並ぶ露店

 

 

フィレンツェSMN駅の地下街のバール

 

可愛い犬がいたので撮らせてもらった。

 

 

パニーノが売り切れだったのでホットサンド

このバールもテーブル席に座ってもお金がかからず、全体的に安め。白ワインは美味しかったが、ハムとチーズのホットサンドは普通。こういうものは、どこで食べても同じ味だ。

 

駅構内のフェルトリネッリ書店

土産物も買えるし、バールもあるので便利

 

 

新聞(レプッブリカ紙)を買ったら、1.7ユーロだった(今のレートで約275円)。高い…

 

サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場

 

捨て子養育院のファサードの、布でぐるぐる巻きにされた赤ちゃんたち

 

 

夜に出かけた時に見たポンテ・ヴェッキオ

 

 

ウッフィーツィ美術館の中庭部分で夏季の夜間に無料で開催される屋外映画上映会に行った。

 

この日観たのは「Costa Brava, Lebanon」というレバノン映画

 

レバノンのゴミ・環境汚染問題を扱った意欲作だが…

 

明らかにB級映画だった。B級のレバノン映画を観たのは、これが初めてだ。

 

あら、ステキそうな映画ね、観てみたいわ!と思った人のための予告編(親切)

 

 

(続く)




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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(11)~ローマからアンマンに移動・前編~

2023-03-11 19:12:37 | イタリア

 

 

今年も気が付いたらもう3月中旬。気候もすっかり春めいて(っていうか初夏っぽい)、関東では来週にも桜が開花するという話だ。去年の旅行記が全然進んでないのに、なんだか焦る~

 

 

というわけで、今回はトルコの地震の話ではなく、途中になっていた旅行記を再開する。前回はローマ滞在3日目にトッレ・アルジェンティーナ広場に猫を見に行った話で終わっていた。翌日は移動日で、ライアンエアーでローマを16:35に発ち、ヨルダンの首都アンマンに21:30に着く予定だった。

 

 

この日は朝7時半に目覚めたが、チェックアウトギリギリまでホテルにいて、荷物をまとめたり、SNSを眺めたりして過ごした。移動する日は体力を消耗するので、観光はしない主義なのだ。身体が弱いから、ちょっと無理をするとすぐ瀕死になるんですもの…

 

 

11時間際にチェックアウトしにいったら、フロントには前夜も見かけた若い男性が座っていた。エリザベッタさんの息子さんかもしれない。イタリアの小さいホテルはたいてい家族経営なのだ。彼も感じが良かったが、コーヒーは勧めてくれなかった。やはり、このホテルではエリザベッタさんが当番の時だけコーヒーが出るのだろう。

 

 

ホテルにスーツケースを預け、テルミニ駅に向かった。空港に行くには早すぎるので、駅のカフェで時間をつぶしてから、ホテルに戻って荷物を引き取り、また駅に引き返して空港行きの列車に乗る段取りだ。駅で荷物を預けるとお金がかかるからな…

 

 

前日に目をつけておいた広いカフェテリアに座ってカッフェ・マッキアート(スチームミルクを垂らしたエスプレッソ)を飲み、PC作業をして時間をつぶした。

 

 

エスプレッソは安かったが(座っても€1.3)、すぐ飲み終わるので長居しずらかったぜ…

 

 

1時間ほどで切り上げて、券売機で空港までのチケットを購入し、駅付近のバールで昼食用のサンドイッチ(tramezzino)とビールを買ってから、ホテルに戻って荷物を引き取った。

 

 

イタリア国鉄の券売機では、アラビア語が選べるんですよ、奥さん!(誰得情報)

 

 

サンドイッチを買ったバールでマリトッツォを発見。ミニサイズは€1.2。

 

 

 

関係ないが、マリトッツォって、絵本「僕を探しに」のあいつに似てませんかね。

 

 

これなんて、そのものじゃないですか??

 

 

 

閑話休題…

 

 

スーツケースを引きずりながらまた駅に戻り、迷いながら空港列車(レオナルド・エクスプレス )の乗り場にたどりつく。この時点で既にかなり疲れていた。何回も乗ったことがあるのに、乗り場が変わったわけでもないのに、なぜいつも迷うのだろう(それは極度の方向音痴だから)

 

 

ようやく列車に乗り込み、発車と同時に缶ビールを開けて飲み始める。疲れた体に染み渡る…と言うほどではないが、ぬるくてもまあまあ美味しい。

 

 

おじさんマークのモレッティビール

 

 

周りを見渡したら、他の乗客は何も飲食していなかった。もしかしたら車内は飲食禁止かもしれないと思い、慌てて飲み終える。FFP2のマスク着用義務もあることだし。

 

 

空港に着いたらもう14時近くて、ライアンエアーのカウンターの前には長蛇の列が出来ていた。並んでいたら、しばらくしてから係員がやってきて何か聞かれ(聞き取れなかった)、端末のある所に連れていかれて何やら入力させられ(もたもたしてたら結局代わりにやってくれた)、搭乗券をプリントアウトしてから、カウンターに連れていかれた。

 

当時私は調査不足で知らなかったのだが、ライアンエアーは自分で事前にオンラインチェックインをして搭乗券をプリントしないといけないらしい(参考)。そうしないと高額なペナルティを払わされるとネットに書いてある。私の場合は、空港で係員がやってくれたので、ラッキーだったのだろう。ライアンエアーって、安い分だけ罠が多い気がする。

 

カウンターの窓口にいたイタリア人のおじ様にパスポートと搭乗券を差し出すと、ヨルダン入国のためのQRコードと旅行期間をカバーする保険の証書を出すように言われた(日本人は事前の入国ビザ取得は不要)。出国前にヨルダン大使館に電話して聞いた通り、QRコードはあらかじめ出してプリントアウトしてあったが、保険証書などない。そういえば、電話に出た男性に「保険に入っていますか?」と聞かれたなあと思ったが、後の祭りである。(旅の下準備編

 

QRコードの紙を差し出しつつ、私のクレジットカードには海外旅行保険が付いている(本当)、でも証書はないと伝えたら、「証書が必要だ。証書がなかったら、カードに保険が付いていることがどうやって分かるっていうんだ」と言い返され、押し問答になる。クレジットカードのコピーでは駄目だという。

 

私は「だってないものはないんだもん。証書がなくても、ヨルダンは絶対に私を入国させてくれるから大丈夫!!」と謎の自信を前面に押し出して言い張り、その様子を見ておじ様が少し考え、どこかに電話して確認してくれ、結局ワクチン接種証明のコピーでいいことになった。良かった、手元に用意しておいて…

 

問題が解決したので、後はスーツケースを預け入れて、タグを出してもらうだけになったが、これがなかなか出てこなかった。プリンターの調子が悪かったのだ。一難去ってまた一難とはこのことか。

 

おじ様は険しい顔で「Mannaggia!」(マンナッジャア、「くっそ~」くらいの意味)とプリンターに悪態をつき、何度も入力しては失敗してため息をつき、ふとこちらの方を見上げて、「残念ながら、今日は何もかもうまくいかないんだ」と申し分けなさそうに言い訳した。なんだかんだ言って、いい人のようだ。私はローマ教皇のような微笑を浮かべ、忍耐強くその様子を見守った。

 

待ちくたびれた頃、おじ様が不意にガッツポーズをして、「Ce l'ho fatta!!!」(チェロファッタ=「やった!」「できた!」)と誇らしげに宣言し、ようやくプリントアウトできた荷物のタグの半券を渡してくれた。私は拍手をしてねぎらい、感謝の言葉を述べる。まさか時間内に印刷できるとは思わなかったわい…イタリアらしい展開で楽しかったが、非常に時間がかかった。やはり空港には余裕を持って到着するのが正解だ。特にイタリアでは。

 

 

出国手続きをする前に、手早くサンドイッチを食べ、ペットボトルの水を飲み干した。手続きはすぐ終わったが、アンマン行きの便が遅れているようで、スクリーンになかなかゲート番号が出ない。やっとゲート番号が出て、急いで移動して搭乗口の列に並ぶ。アンマン便は結局約30分遅れで離陸した。

 

 

ここまで書いて力尽きたので、続きは次回~

 

 

(おまけの花写真)

ベンチ飲みの時に眺めた早咲きの桜 

夜に写真を撮ると必ずボケる…

 

 

(続く)

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(10)~ローマ3日目・トレビの泉と遺跡猫たち・後編~

2023-02-15 05:14:41 | イタリア

 

 

今回もまた、ずいぶん間が空いてしまったが、去年の旅行記を再開する。前回はローマでの3日目、トレビの泉などを経由してトッレ・アルジェンティーナ広場の保護猫施設を見た後、昼食を取ってからホテルに戻って休憩したところで終わっていた。

 

 

ローマ3日目の夕方、ホテルで昼寝などしてから、夕方また出かけた。

 

テルミニ駅地下のコナド(スーパー)で夕食を買って帰るだけのつもりだったが、ふと気が変わり、トッレ・アルジェンティーナ広場にもう一度行ってみることにした。広場の周りにいた人たちが、夕方になったら猫がそこら中をうろうろしていると言っていたことを思い出したからだ。

 

バスに乗るため、駅前のバスターミナルに向かって歩いている時、カラビニエーリ(Carabinieri 憲兵、以下カラビニ)の車両が何台か、サイレンを鳴らしながらすごい勢いですっ飛んで行った。何事かと思ったら、少し先のマクドの前に停車して、そこから降りたカラビニ数人が、先に来ていた同僚たちに合流していた。

 

 

 

 

なんか盛り上がってる。

 

 

周りに野次馬さんたち(イタリア人も観光客も)が群がっていたが、誰にも何が起こっているのか分からないようだった。カラビニがTシャツなどを押収している様子だったので、偽ブランドのTシャツを売る移民の行商人が摘発されたのかもしれない。よくあることだ。それにしては、やけに大がかりだった気もするが。

 


駅前からH40番のバスに乗ってトッレ・アルジェンティーナ広場に向かった。バスのチケットは乗降口付近に設置されている刻印機を通す必要があるが、機械が壊れていて、使い物にならないことが多い。この時もそうだった。チケットに日付・使用開始時間を刻印しなければ、無賃乗車扱いになるのだが…

 

 

車窓から見えたヴェネツィア広場とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂

 

 

トッレ・アルジェンティーナ広場には間もなく着いた。前回も書いたが、この広場は中心部分が周囲より一段低くなっていて、古代ローマの神殿の遺跡があるのだが、現在は閉鎖されている。

 

 

広場をぐるっと回って猫を探そうと思い、ほんの少し歩いたら、下の遺跡のところをうろついている猫たちを発見。上のベンチのところでも、イタリア人のおじさんが猫数匹を餌付けしている所に遭遇した。

 

 

すでに満腹してくつろぎモードになっている猫もいれば、まだエサを待っている猫もいた。

 

 

近づいた女性は持ち物検査を受けていた。

 

 

夕方涼しくなってから出直したのは正解だった。うふふ…

 

猫おじさん(仮名)の邪魔をしないよう、広場を一回りして、下の遺跡の周りにたむろしている猫たちの写真を撮った。

 

 

分かりにくいけど、何匹かいる。

 

 

大体みんなだらだら寝そべっていた。保護猫施設でご飯を食べた後で眠いのかも。

 

 

 

 

 

しばらくしてさっきのベンチのところに戻ったら、猫おじさんの姿はもうなかったが、彼にエサをもらっていた黒猫はまだいた。

 

 

すみっこでくつろぎタイム

 

 

すでに満腹なはずだったが、私がカメラを取るためにカバンを開けたら、その音を聞いて「おっ、エサをくれるのか」とばかりに寄ってきて、おねだり態勢に入った。それをみて、他の猫たちも寄ってくる。みんなもう食事を済ませているはずなのだが。

 

 

「おらおらエサ出せにゃ~」(極道派)

 

 

「3日前から何も食べてないにゃ~」(演技派)

 

 

「エサがまだあるのは分かってるにゃ~」(透視派)

 

 

要求されるままに、ちゅ~るやちゅ~るビッツをあげていた時、イタリア人の母娘がそばに立って、こちらを眺めているのに気が付いた。中学生と小学生くらいの女の子2人と、おそらく私より年下だと思われる母親の3人連れだ。下の子にちゅ~るを1本譲ってあげて、一緒に餌付けした。将来の猫好きを増やすための啓蒙運動の一環である。

 

母親の話によると、彼女たちはかつてこの近所に住んでいたが、5年ほど前にアブルッツォ(自然豊かな州、田舎とも言う)の小さな町に引っ越していて、この時は親戚を訪ねてローマに来ていたという。ここに住んでいた頃は、この広場には30匹くらいの猫がうろうろしていたのに、ずいぶん数が少なくなったと驚いていた。保護猫施設で避妊・去勢手術を進めているせいかもしれない。みんな手術をした印に耳がカットされた「さくら猫」だし。そう教えたら、彼女は当惑した顔をしていた。その気持ちはよくわかる。

 

日本もそうだが、近年世界的に野良猫の避妊・去勢手術が恐ろしいスピードで進められている。野良猫が多くて、それが観光客を引き寄せる要素の一つとなっているトルコなど、中東諸国もその例外ではない。このままいけば、いずれ子猫があまり生まれなくなり、野良猫の数がどんどん減少して、地域によってはもう見られなくなるかもしれない。次世代の岩合さんは、世界ネコ歩きが出来なくなるかもしれない。そして、手術を進めているのは猫を愛する人達だ。「かわいそうな野良猫をなくすため」に。

 

かわいそうな野良猫をなくすことが、野良猫の減少・絶滅に繋がらない方法はないものだろうか…(難しい問題だ)

 

 

母娘が去った後、私もエサやりを終えて、またバスに乗ってテルミニ駅まで帰った。

 

 

 

 

屋根に監視カメラが2台

 

 

駅のコナドで夕食用にツナとトマトのパニーノ、赤ワイン、ビールなどを買い込む。ホテルに戻ったら、まずシャワーを浴び、ビールを飲んで一息ついた。

 

 

今回初めて飲んだイタリアビール。ビール味だった。(味を覚えていない)

 

 

テレビを観ながらパニーノを食べ(美味しかった)、ワインを飲んだ(普通だった)。私の好きなイタリア国営テレビRAI3の長寿番組「CHI L'HA VISTO」をやっていた。いつまで続くんだろう、この番組…

 

 

翌日は夕方の便でヨルダンに移動するので、体力を温存するために観光はせず、11時ギリギリにチェックアウトして駅のカフェでPC作業をし、早めに空港入りしようと考えていた。アンマン到着は夜9時半の予定で、そこからバスとセルビス(乗り合いタクシー)で旧市街に出て、ホテルに向かうつもりだった。さて、無事にたどり着けるだろうか…

 

 

(続く)


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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(9)~ローマ3日目・トレビの泉と遺跡猫たち・前編~

2023-01-19 19:14:52 | イタリア

(古代の壁の脇で眠る猫たち)

 

 

今回はようやく旅行記の続き。成田からローマに到着して3日目の話だ。去年の6月半ば~7月半ばの旅行のことなのに、なかなか書き進めないでいるうちに、今年も1月後半に入ってしまった。いつ終わるんだろう、これ…

 

 

さて、ローマ滞在3日目は、ネットを検索していて見つけたトッレ・アルジェンティーナ広場の保護猫施設に行く予定だった。そこはローマの王道の観光名所トレビの泉やパンテオンに近いので、そちらもついでに回るつもりだった。

 

その日は朝8時半に起きた。我ながら早起きだ。しかし、洗濯したり、ツイッターを更新したりしていたら、いつのまにか11時を過ぎていた。時間が過ぎるのが速いのか、私の行動がとろいのか…(きっと前者ね)

 

前日フロントのエリザベッタさんに「明日はコーヒーを飲んで行ってね!」と念を押されていたので、コーヒーをもらいに行くと、ここで飲むか部屋で飲むかと聞かれたので、部屋に届けてもらうことにした。

 

届いたのはこちら。

 

 

カプチーノにチョコチップ入りのカップケーキが添えられている。カプチーノはインスタントではなく、ちゃんと淹れたものだった。イタリアの安ホテルの水準で言えば、これは朝食付きだとみなせるだろう。彼女がフロントの当番の時だけのサービスなのかもしれないが。私は普段朝は寝ているので何も食べないが、旅行中は朝食をとってから出かけた方が、落ち着いて行動できる気がする。

 

エリザベッタさんにお礼を言ってお盆を返してから、11時半頃に出かけ、テルミニ駅からメトロでバルベリーニ駅に出た。まず同駅の近くにあるトレビの泉とパンテオンを見て、それからトッレ・アルジェンティーナ広場まで歩くつもりだった。トレビの泉もパンテオンも過去に行ったことがあるのだが、パンテオンがとても良かったので、この機会に再訪しようと考えたのだ。トレビの泉は近くにあるからついで。

 

ネットから拝借したパンテオン内部の写真

Il Pantheon- Scopriamo Roma - Samarcanda Taxi

 

 

仄暗い空間に一筋の光が差し込む、あの静謐な空間がハートわしづかみだ。

 

 

というわけで、まずトレビの泉に向かった。グーグルマップ先生に導かれるままに進む。

 

 

道端にけっこうゴミが落ちている。ローマだから。

 

 

アラビア語表記があれば、目が自動的に検知する。

 

 

トレビの泉はバルベリーニ駅から近かった。

 

 

 

 

予想以上に観光客が多い。

 

 

イタリアにはこの時すでに、コロナ前の水準近くまで観光客が戻っている様だった。太陽が照り付けて真夏のように暑く、熱中症が心配になるレベルの猛暑日だったが、誰もそんなことは気にしてないようだった。

 

かつて私がフィレンツェに滞在していた頃、両親と妹が訪ねてきた際にローマを案内し、一緒にトレビの泉を観光したことがある。今トレビの泉を両親に見せてあげたら、当時のことを懐かしく思い出して、喜ぶかもしれない。そう思った私は、初めてのLINEのビデオ通話を試みることにして、母親にかけてみた。

 

電話に出た母親は、喜ぶというよりは、むしろ当惑している様子だった。今までやったことないのに、突然ビデオ電話をかけたから、当然かもしれない。トレビの泉を見せたら、一応歓声を上げてくれたが。やっぱり、慣れない親孝行などをしようとしたら、スベるわね…と思いつつ、早々に切る。

 

トレビの泉を観光したら、周りの店でジェラートを食べなければいけない気がしたが(先入観)、どこも観光地価格でやたら高いので、あきらめてパンテオンに向かう。

 

なぜか秋冬の風物詩である焼き栗の屋台があった。当然誰も買ってなかったが。

 


パンテオンはトレビの泉から目と鼻の先だが、太陽が照り付ける中、観光客で混雑した通りを歩くのはけっこう大変だった。

 

 

こういう大道芸人、マドリードでも見たことある。

 

 

ブーゲンビリアがてんこ盛り

 

 

この手の土産物は世界中にありそう

 

 

へろへろになりながら、パンテオンに到着。

 

 

 

 

 

しかし、入口の前に行列が出来ていた。炎天下で行列に並ぶ根性と体力は私にはない。(炎天下でなくてもない)

 

 

テロ対策で配置された兵士たちもサングラス姿

 

 

パンテオンはスルーして、最終目的地であるトッレ・アルジェンティーナ広場まで歩く。意外なことに、迷わずにたどり着けた。

 

 

この広場は周りより一段低くなっていて、古代ローマの神殿の遺跡があるのだが、整備中なのか、この時は公開されておらず、周りに白いパーテーションがめぐらされていた。保護猫施設はその一角にあって、そこには入れるはずだった。

 

 

ローマには松が多い気がする。

 

 

ローマの松」という交響詩もある。(さっき気づいた)

 

 

広場の周りを歩いて、その辺にいた地元民らしき男性2人に保護猫施設のことを聞いてみたら、この辺りは夜は猫だらけだが、今は暑いからいない、保護猫施設については聞いたことがないと言われた。しかし、ぐるりと回ってみたら、簡単に入口が見つかった。地元での知名度は低いようだ。ネットでは日本語でも情報が出てくるのに。(参考1)(参考2

 

 

 

 

階段を下りて行ったら、こういうお出迎えサービスが

 

 

撫で放題。疲れが一瞬で吹き飛んだ。

 

 

ここが建物入口

 

 

中には欧米人観光客のグループがいくつか入っていて、係の人達から英語で説明を受けていた。私は1人だったせいか、放っておかれたが、そのおかげで自由に見て回ることが出来た。

 

 

中にも猫が落ちていた。

 

 

 

 


小耳にはさんだ説明によると、全部で90匹くらいいるらしいが、ほんとかな…猫たちは好きなように建物を出入りしたり、寝そべったり、ご飯を食べたりしていたが、仕切りの向こうでケージに入れられている子たちもいた。隔離中かな?

 

 

一番人気だったアイドル猫さん

 

 

寄付のための猫カレンダー(15ユーロ)をお土産用に一冊買ってから外に出た。

 

 

階段下の猫が増えていた。暑いから、寝ている猫が多い。

 

 

君は熟睡しすぎでは。

 

 

もうお昼時を過ぎ、お腹が空いていたので、広場を出てから安く昼食をとれそうなバールを探して歩く。しかし、観光名所のそばなので、高い店しか見あたらない。そうこうしているうちにテヴェレ川にたどり着いてしまった。

 

中州のティベリーナ島(参考

 

 

橋を渡ってさらに少し歩いたら、ようやく良さそうな食堂に行き当たった。

 

 

ピッツェリアと書いてあるが、他のピザ以外のメニューも色々ある。

 

 

それはローマの郷土料理を出す食堂だった。店の前で椅子に座ったおばあちゃんが幼児をあやしていて、給仕の若者は無口だが親切、テーブルクロスは紙製だった。こういう店は安くて美味しいと相場が決まっている。いっぱい歩いた甲斐があったというものだ。

 

ランチタイムの終了間際だったので、客は少なかった。

 

 

壁には絵がいっぱいかかっていた。

 

 

店名は「Dar Buttero」。「Hostaria」はosteriaやtrattoriaのことで、つまり食堂だ。(インスタ)

 

 

コペルト(席料)はなしで、パンは1.5ユーロ。ハウスワインのデカンタ(250ml)が2ユーロだった。パンと前菜盛り合わと水とワインで計15ユーロほどだった。(チップ少々込み)

 

 

 

 

チーズも生ハムもサラミもオリーブも、見るからに美味しそうだったが、実際とても美味しかった。ここはアタリの店だ。

 

 

固いパンの耳は持ち帰って、帰り道でテヴェレ川のユリカモメさん達にあげることにした。橋のそばの階段を下りて、河原に出る。

 

 

 

 

パン耳に気が付いてくれなかったヒトたち

 

気が付いて食べてくれたヒト

 

 

橋の下にはテントが張ってあった。ホームレスの人達だと思われる。

 

 

この辺りはいつもおしっこ臭いんだよな・・・

 

 

トッレ・アルジェンティーナ広場まで戻ったら、テルミニ駅行きのバスがあったので、それに乗って帰り、ホテルでしばらく昼寝した。

 

 

 

(ここまで書いてエネルギーが切れたので、続きは後編で~)

 

 

コメント (2)
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