工房 明泉(meisen)× 目に見えない世界のこと

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アレルギー→先祖⁉︎の続き

2023-01-18 | 日記

アレルギー先祖の続き


前にも書きましたが、私が23歳の時、父が亡くなりました。


その時はまだアレルギー性鼻炎の症状も続いていたのですが、父が亡くなったことでアレルギー以外の体調不良も体験するようになりました。


結果からお話しすると、その不調の原因は霊障で、父方の先祖とのご縁が途切れていたことから来るものでした。


この時の経験で自分なりに分析していることなのですが、霊障は距離によって受ける影響の強さが違うという実感があります。


当時私はアメリカに留学していたのですが、父が亡くなる前のアメリカ〜日本間の行き来の時、日本からアメリカに行く上空で、ある地点からスッとアレルギー性鼻炎がなくなり、アメリカではアレルギー性鼻炎とは無縁の生活をしていました。でも帰国の時、アメリカから日本に向かう機内で、飛行機が日本に近くなると、またアレルギー性鼻炎を発症するのです。


父が亡くなってからの霊障も同じで、実家から距離が離れれば離れるほど影響が薄れ、実家に帰ると重症になる、ということがありました。


父が亡くなってからの霊障からくる症状としては、アメリカにいる時はずっと微熱が続いている状態、それでも若さもあり、授業や日常生活をなんとかこなしていました、、、それでも休日は寝込んでいましたが。


そして日本の実家に帰ると、酷い冷えと重だるさで一日をほぼ寝たきりで過ごしていました。

そのような状態でしたが、まだ20代ということで体力もあり、やりたいこともあって、帰国後は九州に住んだこともありました。九州に移ると、しんどいなりに、それでも実家にいる時よりはマシで、若さでなんとか乗り切っていました。


20代後半で九州での暮らしに終止符をうって実家に帰ったのですが、やはり実家に帰ると症状が重くなり、ほぼ寝たきりになりました。


ある時は目を覚まして、なんとか布団から出た途端、身体が悪寒と筋肉の硬直からか、ガクガクし始めて、心臓までガクガクして、恐ろしくなるくらいガクガクして、それが止まらなくて救急車を呼んだこともありました。


医者に行っても原因がわかりません。


この頃一番しんどかったのは、悪寒だったかもしれません。

ほんとに寒すぎて、それも布団から出られない理由でした。


そんなある日、当時就職氷河期で仕事に悩んでいた弟が上司に教えてもらった地元の霊能者の方のところに自分の将来について相談に行った時のことです。


その方は弟に対しては、「若いうちは苦労しなさい。30代になれば落ち着く」的なことをおっしゃったそうですが、「それよりも」

とおっしゃって、「あなたのお姉さんが大変なことになっているからすぐ連れてきなさい」的なことをおっしゃったそうなのです。

それを聞いて母がすぐにその方の元へ私を連れて行ってくれたのです。


そこでその方に言われたのは、

(父方の)ご先祖様をご供養するのが私の役目だ、ということでした。


父方の先祖を供養するということに関して、細々とした手引きはなかったと思います。「とにかく、ご先祖さまをちゃんとご供養なさい」、それだけが今でも頭の中に残っています。

父が亡くなってから10年近く経った頃のことです。


ちなみにこの時の霊能者さんに数年前ご連絡させていただいた時、もう鑑定業は廃業され、今はお孫さんたちとの時間を楽しみながら過ごされていると伺いました。


今振り返ってみると、当時はその方を通して、先祖との繋がりのこと、供養のことなど、たくさん教えていただき、また経験させていただいたと思います。そして今こうやって当時のことを書き出すことで、当時経験したことが自分の中でより深まって腑に落ちていることを感じます。


話を戻します。

その方からそのように伺って、私の中のスイッチが入ったように思います。

父方の先祖のルーツを辿る旅の始まりとともに、それから様々な霊的体験をするようになったのです。


今回はここまでです。


一人一人が先祖と繋がる

先祖とのご縁を後世に引き継いでいく


お読みいただきありがとうございます。






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