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空海のこと

2013年03月27日 | まつろわぬ民たち
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さて、アテルイのTVドラマ、大和政権(5万を超える軍勢)と蝦夷(2000未満の兵力)の戦いがあったことは確かなことで、阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)は、囚われの身となり東北から都に連れてこられる。

坂上田村麻呂は朝廷に恩赦を願いでるが叶わずアテルイとモレは処刑されてしまうのです。

京阪電車、牧野駅近くの公園にアテルイとモレの首塚だと伝えられている場所があります。


ところで、弘法大師という名でも親しまれている空海。幼名は 佐伯真魚 といいます。

父方、佐伯氏は常陸(現在の茨城県北東部)にて、蝦夷の俘囚(俘囚とは蝦夷のことで、大和政権に服従し帰服した人たち。又は、連行された罪人(とされた))の集団である佐伯部(大和政権に捕らえられ従い、兵力、労働力として全国に配された蝦夷のこと)を管理する仕事をしていたといわれている。
つまりは、俘囚が俘囚たちを管理していたということでしょうか。

「常陸風土記」には、山の佐伯 野の佐伯 というものがいたと記されてます。

蝦夷たちは播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波へ移配俘囚されたというから、佐伯氏がエミシの系統であってもおかしくなく、佐伯氏は蝦夷=縄文人で、空海縄文人説も出てくるわけです。

佐伯氏はいくつかの流れがあって、空海は讃岐の佐伯直(あたえ)氏出身。母方は阿刀(アト)氏で物部系。

砂鉄や水銀の採鉱にもたずさわっていて、空海の先祖はその功績により四国讃岐に移住してきた、または、四国に封じされた、空海が生まれた頃には讃岐の佐伯部を管轄する身分だったらしい。

空海には 空白期 がある。

空海の空白期は「アテルイ」「モタイ」を破った坂上田村麻呂率いる軍隊が東北に居た時期(800年前後)と重なり、東北の戦い後、エミシたちまつろわぬ民は全国へ散り、サンカ、土蜘蛛、鬼といわれる民が出てきます。



空海の空白期間は修業期間であり、野山を駆け巡り先住民(エミシ)といわれる民から俗世にはない知識と知恵を授かり修業に明け暮れていたのではないか。
空海は出自は父方が先住民族(エミシ)系、母方は物部系。
藤原氏に鬼とされた出自であり、空海の修業時代は鬼とされた民たちから森羅万象の霊験力を賜ったにちがいないのであります。

私にとって空海は、ぜんぜんよくわからない人で こわい というイメージがあります。

深くて怪しいものを感じるのです。

これが弘法大師という呼び名になると親しみも感じるんですが。
まあ、空海の生きた時代は大変な変革期(いつの時代も変革期のような気もするけど)で、あの当時は物の怪とか祟りとかがまさに当たり前に信じられていた時代だったと思います。

「和をもって尊しとなす」という言葉の意味がちがって聞こえてきそうな古代の有様。和をもたないと祟られて大変な世の中になりますよ、ということなのかもね。


ラーメンをいただいて帰宅。
ラーメンの器が縄文土器に見えました。


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