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ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

新井薬師

2025年05月23日 | 日記

哲学堂の次に、新井薬師に行きました。

すぐ隣なので行きやすいです。

中野区新井にある新井薬師の正式名は新井山梅照院薬王寺で、真言宗豊山派の寺です。

高尾山薬王院、日向薬師、峰の薬師とともに武相四大薬師に数えられる名刹です。

本尊は空海作と伝わる薬師如来と如意輪観音の二仏一体の黄金仏が鎮座しています。

これは鎌倉時代の武将・新田氏ゆかりの守護仏です。

本尊のご利益は、徳川幕府2代将軍・徳川秀忠の第5子、和子の方(東福門院)の悪質な眼病を

祈願して快癒したことで知られ、今も「眼の薬師(治眼薬師)」「子育て薬師」としての信仰をあつめています。

これが新井薬師の入口です。静かで荘厳な気配が漂います。

入口から入り、本堂が見えます。

少し歩くと白竜権現水があります。

こちらはお願い地蔵です。私も色々なお願いをしました。

霊堂もめぐります。

霊堂の横には聖観音像があります。

こちらは大悲殿です。お茶を飲むこともできます。

大悲殿の正面の小さな森の中に聖徳太子像がたたずんでいました。

こちらは鐘楼堂です。見た通り大きな鐘が特徴です。

最後に山門です。

 

これで、gooブログでの更新は終わりにしたいと思います。

このブログでは約21年(私は10年程度ですが)お世話になりました。

また新しいブログも考えていますので、よろしくお願いします。

引っ越しした際は、こちらでお知らせしたいと思います。

 

それではいったんさようなら。また次の場所でもよろしくお願いします。

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陣馬山と哲学堂公園

2025年05月16日 | 日記

友人が陣馬山に行ってきたそうで、少し写真をいただきました。

陣馬山は八王子にあり、標高が850mです。とても眺めが素晴らしいです。

これは陣馬山の途中にある豪農で、中は入れなかったようで外見だけ撮りました。

陣馬山は昔は上るのに大変でしたが、今は土日に頂上付近までのバスが出ており、

30分ぐらいで頂上に上れてしまうそうです。

これは1960年の後半に、京王電鉄が観光地として売り出すために山頂に白馬の像を建てて象徴化したものです。

私も、高校時代何度も行きましたが、まだこの像が残っていることに驚きです。

頂上からは富士山がとてもよく見え、素晴らしい景観となっています。

これが陣馬山の頂上の記念碑の写真です。

頂上にはトイレはありますが、水場はないです。

売店は3件ほどありますが、9時に開店し、夕方には閉まってしまいます。

陣馬山の名前の由来は、北条氏の滝山城を攻めた武田氏が陣を張った「陣場」説と、

カヤ刈場であったことから「茅(チガヤ)場」から音が変化したとの説、

また、馬の陣を張ったことから「陣馬」の文字が使われたとの説があるそうです。

帰る途中にのんびりとした場所があります。静かでとてもいいです。

 

陵南公園に寄ってみました。

陵南公園は東京オリンピックの時に自転車競技場として作られ、その後「武蔵陵の南にある公園」として親しまれているそうです。

加住丘陵と多摩丘陵に囲まれた八王子の南浅川に面し、遠くに高尾、陣場の山並みを一望できる景観は、

周囲の美しい桜並木道とともに、素晴らしいの一言です。

明るく開放的な公園は、野球場と展望広場・桜広場からなる本園と南浅川を渡る橋のたもとの児童遊園とに分かれています。

公園内には16種類200本近くの桜が植えられているそうです。

野球グランド南側の「さくら通り」は、その名の通りの桜並木道で、

そこを通って広場に出るとそこには「さくら広場」が広がります。毎年お花見客でにぎわいます。

 

高尾山は大学時代に自然保護に関わっていたので、何回も行きました。

それ以降も、個人で何回も何回も訪れた思い入れのある場所です。

高尾山は、桜の名所として多くの人々に親しまれています。

例年4月上旬から中旬にかけ見ごろを迎えます。

この高尾山の桜は都心よりも少し遅れて開花するそうで、都心で桜を見逃した人にも

楽しむことが十分できるスポットとなっています。

特に「一丁平」の千本桜は圧巻の一言。ほかにも山桜やソメイヨシノが楽しめます。

2025年の開花予想でも、例年通り4月上旬から見ごろを迎えていました。

伐採を含む環境整備によって桜の美しさが保たれており、

訪れた人がより多く、長く楽しめるよう細かく配慮されていました。

 

所変わって哲学堂公園。私も行ったことがないので詳しくはわかりませんが、軽く紹介します。

哲学堂公園の由来は、哲学館大学創立者の井上円了が、精神修養の場として哲学世界を視覚的に表現したものです。

哲学をはじめとした社会教育の場としたことが始まりのようです。

今日私たちが見ることができる哲学堂公園の設計は、こういった取り組みから始まりました。

円了は生前、著作活動や全国巡業によって哲学の普及に努めました。

講演などで集めた資金で公園を拡張していったそうです。

哲学関・真理界は、哲学堂入口の石柱のひとつで、この二つの石柱は対となっており、

これより先の境内が

「哲学上宇宙の真理を味わい、かつ人生の妙趣を楽しむところ」

となっていることを表しています。

上の写真は哲理門と呼ばれるものです。

俗称妖怪門ともよばれ、哲学堂の正門に当たり、門の両側には天狗と幽霊の彫刻物が置かれています。

これは常識門と呼ばれるものです。

正門の哲理門に対して普通の出入り口の意味で、その門柱に

「四聖堂前月白風清、六賢台上山紫水明」と書かれています。

この建物は四聖堂と呼ばれ、哲学堂で最初に建造され、中心となる建物です。

四面が正面で、本尊は哲学的思想を表しており、東洋哲学の孔子、インド哲学の釈迦、

西洋の古代哲学のソクラテス、近代哲学のカントを奉祀しています。

これは六賢台と呼ばれるものです。

三層六角形の赤い建物です。日本古代の聖徳太子、中世の菅原道真、中国周代の荘子、

宋代の朱子、インド仏教の龍樹、仏教以外から迦毘羅の6人を東洋の賢人として祀っています。

 

これらはまだ公園内の建造物の一部で、このように哲学を具現化したものが77場あります。

この場ではすべてを説明することは難しいので、今回はここまでとします。

そのうち自分で行ってみたいと思います。

また次回をお楽しみに。

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渋沢栄一

2025年05月07日 | 日記

赤羽の駅を降りて、道を渡ると路面電車とエスカルゴというモノレールがあります。

その先に飛鳥山公園があり、この敷地内に紙の博物館、北区飛鳥山博物館、渋沢資料館の三つがあります。

渋沢栄一といえば、今や一万円札で有名になりましたね。

昔から銀行などいろいろなものを創り有名な方ですが、今みたいに知っている方は少ないのではないでしょうか。

上の写真は渋沢栄一像の写真です。

彼が成し遂げたことは、現代の日本の資本主義制度を決定付けさせる上で非常に重要なことでした。

渋沢栄一さんは1840年から1931年まで生きていた方です。

日本初の実業家であり慈善家で、明治時代の様々な企業や経営に携わり、「日本の資本主義の父」とも称される人物です。

彼が生まれた渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕の兼営に加え、米や麦の生産も行う大農家でした。

大人になり、京都に出た栄一は、平岡円四郎の推挙によって一橋慶喜に仕えました

さらに1866年に徳川慶喜が将軍になると自身は幕臣となり、フランスやヨーロッパなどの諸外国へ渡航し、

その先進的な産業や軍備に感銘を受けます。

その後、いろいろあり大蔵省に入省。入省後に彼が行ったことは、度量衝の制定や国立銀行条例の制定などです。
 
退官後すぐに、第一国立銀行の頭どりに就任、それ以降は実業界に身を置くことになります。

また、その他の多くの地方銀行設立も指導しました。

銀行以外にも、麒麟麦酒やサッポロビール、大日本精糖、帝国ホテルなど数多くの企業の設立に携わり、
 
その数はなんと500以上に及んだそうです。

また、渋沢栄一は、実業界の中でも最も社会活動に熱心な人でした。

やはりこれだけ日本の経済に大きく貢献した人物ですから、紙幣の顔として選ばれても全く不思議ではなかったと思います。

実は、渋沢栄一は紙幣の肖像の候補者として、これまでに何度も選ばれていたそうです。

1963年には最終候補にまで挙がりましたが、当時選ばれることはありませんでした。

その理由はなんと、ひげが無かったために選ばれなかったそうです。

現在では、ひげの有る無しに関わらず、紙幣の偽造防止の技術が上がったため、

2024年の新紙幣に選ばれることになったのです。

晩香盧を知っていますでしょうか。

1917年に栄一の喜寿を祝って贈られた洋風茶室です。青淵文庫とともに、建築家・田辺淳吉の代表作です。

青淵文庫は、栄一の傘寿と子爵に昇格したお祝いに造られた建物です。

書庫として建設されたことから全体的に堅牢で、鋼製の書棚などにも十分にこだわった建物です。

また、渋沢栄一さんの王子飛鳥山周辺の渋沢翁ゆかりの地を巡ることができるコースの紹介を、

北区ウォーキングアプリの「あるきた」の中のイベント「あるきたコースチャレンジ」として

渋沢栄一翁コースが紹介されています。4時間ぐらいのコースとなっています。

王子駅を出発して、コースをめぐっていくと旧醸造試験所第一工場に着きます。

旧醸造試験所第一工場は、通称「赤煉瓦酒造工場」と呼ばれ、国の重要文化財です。

明治37年に創立した大蔵省醸造試験所の清酒醸造研究の試験工場として建設され、日本酒の品質向上に寄与しました。

その次にめぐるのが上の写真の「渋沢栄一ラッピングポスト」です。

渋沢栄一ラッピングポストは、2021年3月25日に飛鳥山前郵便局に設置されました。

デザインには、親しみやすく描かれた渋沢栄一翁とともに

銀行、鉄道、ビール、ガス、物流など渋沢が手掛けた事業が散りばめられています。

このコースの最後に、上中里駅に到着して終わりとなります。

 

今日はこの辺で終わりにしたいと思います。

また次の日記をお楽しみに。

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