ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

さよなら平成

2019年04月30日 | 日記

平成がいよいよ終わりますね。

どんな思い出が残っているでしょうか。ご隠居も昭和に生まれて平成そしてあと何時間か生きていれば令和の時代を経験できます。今日はどこも出かけないので交通事故かなんかで死ぬこともないでしょう。

阪神淡路、東日本大地震を始め地震、災害が多かったですね。平成が始まるとすぐにバブル崩壊で株は大暴落、今年になってようやく時価総額がバブル以前に戻りました。

しかし失業率は史上最低(正規社員がもっと多くなればいいのですが)、交通事故も少なくなっているし、家族が具合が悪くなって救急車を呼べば無料で親切に病院まで運んでくれます。

病院も深夜でも懸命に治療してくれます。穏やかな時代です。

何よりも平成時代は戦争がなかったことが最高に幸福だったのではないでしょうか。いつの時代も戦争がなかったことはありませんでした。

感謝します。

昨日浅草橋に行く用事があってついでに早く出かけて天神さまの藤の花を見てきました。

亀戸駅北口の十三間通は歩行者天国になっていました。

いろいろなパフォーマンスが演じられていました。

約15分で天神様に着きました。

藤は満開を過ぎていましたがすごい人でした。

いつ来ても何処の天神様も素晴らしい。1月の鷽替え神事、4月末に花の頃が一番混みますね。

道真公は丑年生まれなの天神様にはでどこにいても牛が立派な顔して鎮座しています。

境内では津軽三味線なども披露していました。

そうそう藤の花を見ましょう。

最近は藤とスカイツリーの組み合わせが定番ですね。

美しい花を見た後は美味しいものですね。右の列は中で食べていく人たちの長い行列です。

亀戸といえば船橋屋さんのくずもちですね。これから令和の時代になっても繁盛していくのでしょう。

 

さて小出義雄監督が4月24日80歳で亡くなりました。

最近のスポーツの指導者の中には首をかしげるような人も多い中で素晴らしい人でしたよね。

葬儀にあれだけの選手が来てくれるのですから本当に慕われていたんですね。

「ほめて育てる」というスタイルを広めました。

「スポーツは楽しみながら、自分の限界に望むもの」が持論でした。

高橋さんを「Qちゃん」でよび「Qちゃん、いいねぇ」という独特の小出節は、高橋さんの明るいキャラクターととに相まって「苦しい」「耐える」というマラソンのイメージを変えましたね。

昔行政書士会のパーティで講演が終わって親睦の時になって

小出監督に「写真一枚撮らせてもらっていいですか」と話しかけたら

「いいよ、いいよ。そうだ君も一緒にとろうよ。そこの君!二人での写真撮ってくれよ」

気さくで感じのいい人だったな。

しんみりします。平成も終わりますね。

 

平成もあと12時間余りとなりました。平成初日は雨だったそうで終りもまた雨です。

このさい明るい若い人の歌でも聞きながら平成をお開きにしましょう。

 

 

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東京日和(竹下夢二美術館)

2019年04月27日 | 日記

さて歴史的10連休に入りました。

あいにく千葉は小雨、肌寒い陽気です。自治会の何でも展覧会が行われていてご隠居も写真を3枚ばかり出品して来ました。

前回の続きです。根津神社から先に少し歩いてみました。

根津駅から弥生坂に向かいます。

弥生式土器発掘の地という碑の前に出ました。

明治17年に根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺が発見されました。

これが後に発見地の地名をとり「弥生式土器」と名付けられました。

弥生坂から暗闇坂に左折します。

江戸時代にこの辺は森で暗かったので暗闇坂とつけたそうです。

分かりやすいですね。

東京大学弥生門の前に出ました。

まともに勉強しても逆立ちしても合格しそうもない大学なので素通りです。

もっとも左側の守衛さんの前を通って中はぶらぶらっ出来そうです。

夢二の美術館前に出ました。

竹下夢二の作品を好きな女性は多いようです。

あえて嵐山光三郎さんの「文人悪妻」というエッセイをさがしました。

竹下夢二は次々と女と同棲を繰り返した人気作家です。

最初は明治40年に岸たまきと結婚しました。教会堂の席に座ったたまきが聖書をひざの上に置いて泣いている「いのり」という絵があります。

この時はすでに離婚をしていましたが子供を身ごもっていました。

たまきという女性は東京美術学校を出て高岡で教師と結婚2児を生みました。

勝ち気で自由気ままな女性で評判の色白の美貌です。夫が死ぬと2児を預けて上京します。

たまきの魅力に取りつかれた夢二はうまく口説いて3か月で結婚して長男が生まれますが2年半で離婚します。

離婚したのち3か月後によりを戻し同棲して麹町の下宿でたまき30歳の時二男を生みます。

たまきと銚子の海鹿島に旅行して「宵待ち草」の詩が出来ました。絵だけでなく詩もうまかったのです。

ここではたきと旅行しながら「おしま」と言う女性に恋をして失恋します。忙しい男です。

たまきが35歳の時三男を生みますが夢二はこの時21歳の笠井彦乃とできていました。

笠井彦乃は夢二の弟子でした。

夢二は彦乃のあこがれの画家ですが前妻の子が2人もいます。その上彼女は20歳で結婚など考えていませんでした。

でも夢二にいいよられて体を許してしまいます。

その間に前夫人たまきが3人目を生みました。ここで彦乃は怒らなくてはいけないんですが。

彦乃の父は日本橋で紙問屋を経営している敏腕家です。夢二と娘が出来てしまったことに激怒、実家に連れ戻します。

でもその後もニコライ堂で逢引を繰り返します。その後夢二が京都に移りますが追っかけて行き同棲します。

夢二が描いた美人画の中で人気が高いのは彦乃をモデルとした絵だそうです。

その後また父が連れ戻しに来たりゴタゴタしました。

そして順天堂病院で25歳の短い人生を閉じました。美人薄命。

嵐山光三郎さんの「文人悪妻」は白秋、藤村、漱石など小説とは違った面が書かれていて面白い。

連休は何処に行っても混みますから暇つぶしに近くの美術館にでも行ってみましょうかね。

 

 

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東京日和(根津神社)

2019年04月24日 | 日記

ひたひたと平成の時代が終わりに近づいてきましたね。時間は容赦ありません。

みなさま心穏やかに過ごしていますか?

ご隠居はずう~と忙しかったのですが保護司会の総会も終わってようやく落ち着きました。

先日TVのニュースで根津神社のツツジが満開の写真が出ていたので行ってみました。

かなり昔に行ったことがあるのですがほとんど忘れています。

東京メトロ根津駅で降りて表参道から入りました。

日曜日だったので入り口から混んでいます。

最近はどこのイベントに出かけても立派なパンフレットが用意されています。

鳥居をくぐるとすぐに左側にツツジが見えてきます。

とりあえず本殿に参拝してからにしましょう。

神橋を渡って楼門です。

左側の丘になった部分が有料で素晴らしいのですが後ほど。

今はお水舎はすいていました。どこでも外人が上手に水をすすっているのですが。

上を見上げると若葉が美しくなっています。江戸の町も初夏から夏に向かっています。

正面から参拝するには行列に並ばなくてはいけませ。

脇から拝むには先に言って構わないと書いてありました。

大きな願い事はないので前に行き正面から参拝している人にあわせて賽銭をあげ拝んだのでおなじ回線で本殿につながっていると思います。

みくじを結ぶ場所も独特ですね。

社殿から西口の方に回ると賑やかに店が出ていました。

すぐ前にマンションなんかがあってやっぱり大都会です。

今から1900年あまりの昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられ古社で文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。

ツツジは宝永3年に千駄木の旧地よりご遷座する以前、ここが徳川六代将軍家宣の生まれた屋敷内だった時に植えられたのが始まりで300年以上の歴史があるそうです。

根津神社の社殿等七棟は現存する江戸時代に建てられた最大の神社建築で国の重要文化財になっているそうです。

むずかしいことはおいてツツジを楽しみましょう。

そうそうご隠居の好きな「三大なんとか」ですが

江戸の三大祭は山王祭、神田祭、そして9月21日の根津神社の例祭だそうです。

乙女稲荷のある千本鳥居をくぐってみました。

京都の伏見稲荷程ではありませんがなかなかなものです。

200円払ってツツジ苑に入ってみました。

本当に満開でした。

遠くにいる人は無理としても千葉や関東近県に住んでいる人はぜひ行ってみるといいですよ。

別に根津神社から何かもらって書いているわけじゃないですが。

上の方から楼門を覗きました。

やれやれ美しいものを見たらあとはパクパクしたくなります。「甘酒茶屋」(祭りの期間中だけ営業)に入りました。

一杯400円は高いかもしれませんが雰囲気ですね。ここが繁昌すればまた来年美しいツツジを咲かせる資金に回るでしょう。

最後にもう一枚。

 

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東京日和(とげぬき地蔵)

2019年04月11日 | 旅行

六義園に来たのでついでに山手線を一つ乗って巣鴨駅に来ました。

駅前にも桜が咲いていました。

おじいちゃんと言うよりおばあちゃんの聖地とか高齢者の原宿と言われている巣鴨地蔵通り商店街です。

すぐ左側に江戸六地蔵の一つ真性寺の大きな笠をかぶっているお地蔵さんが目につきます。

とげぬき地蔵のおかげで六地蔵ではここが一番賑わっているそうです。

昔江戸の出入り口に六ヶ所に地蔵菩薩像を建立したそうで約270cmの高さがあります。

ちなみにあとは品川寺(品川区)大宗寺(新宿区)東禅寺(台東区)霊厳寺(江東区)、そして永代寺跡(江戸川区)はありません

商店街を歩いてみましょう。

若い人が意外と多いのにはびっくりしてしまいます。それもカップルが多い。

成田山の参道でも衣料品を売る店が多いのですが女性は雰囲気で買ってしまうのでしょうか。

地元の衣料品店でも品揃いは豊富だと思うのですがね。

ちょうど昼時で行列が出来ていました。

こういう店が結構美味しのでしょうね。ちょっと看板のメニューを見たらエビフライが・・・・・。

イオンがありました。「まいばすけっと」という名前になっています。

地方に住んでいるとイオンといえば幕張新都心店みたいに馬鹿でかいのを考えてしまいます。

商店街の通りに面して間口10間ほどのイオン。ちょこっと自転車で来て買い物できていいですね。

日常生活に密着したイオンです。

昔のテレビ番組で赤い下着の店が話題になっていましたが最近少ないみたいです。

高岩寺(とげぬき地蔵)に参拝しましょう。

テレビでもおなじみの耳かきの店です。お客がいませんでした。

ここはいつもすごい行列です。

昔毛利家の女中が針を誤飲した際に地蔵菩薩の御影を飲んだところ針を吐き出すことができ、更には御影に針がささっていたという伝承で

「とげぬき地蔵」の通称になりました。

他の病気にも治癒改善のご利益もあるということになっています。

本堂は東京大空襲のさい焼けましたが昭和32年に再建されました。

ご隠居も「いつまでも健康でくだらないブログが書けますように」と参拝しました。

 

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東京日和(六義園)

2019年04月06日 | 行政書士のお仕事

六義園です。

JR山手線駒込駅から約5分のところに広大な自然が残っています。

門前からかなりの列が出来ていました。みんなしだれ桜が目当てでしょうか。

都会とはいえ緑に包まれています。

2019年3月31日、まだ昭和の六義園に出向きました。

お目当てのしだれ桜が見えてきました。

すみません、4月1日にアップしたのと同じ写真です。

それではプロの写真でも。夜のライトアップが綺麗みたいですね。

でも三脚とか用意しないとうまく撮れないですよね。

沢山の人が見とれています。

去りがたいのでもう少し見ましょう。

小さな門をくぐると広々とした庭園に出ます。

広大な敷地を誇る庭園に出ました。

五代将軍徳川綱吉の信任の厚かった柳沢吉保が1702年に「回遊式築山泉水」の大名庭園として造りました。

その後明治になって三菱の創業者、岩崎彌太郎の別邸になりました。

現在は東京都に寄付されて国の特別名勝に指定されています。

どこかの不動産会社の社長さんが見たらここにタワーマンションでも建てたら儲かるだろうな思うかもしれません。

滝見茶屋。桜を見るのもすてきですがついでにパクパクしたいですね。

水分石

桜が終わると緑滴る若葉の季節ですね。もうすぐ日本で一番素晴らしい過ごしやすい頃になります。

もう一つの大きなしだれ桜Ⅱ

高さ13m、五代将軍綱吉の娘、鶴姫がお花見を楽しんだそうです。

ご隠居も高貴な人間ではありませんが入場料を僅かばかり払っているので昔を偲んで鶴姫さんと同じようにさくらを楽しみましょう。

桜ばかりでなく小さな花々も楽しめます。

明治時代につつじの古材を用いて立てられた「つつじ茶屋」です。戦災もまぬがれたそうです。

このさきの藤代峠(標高35m)がら見る5月のツツジもきっと見事なのでしょう。

つつじ茶屋を見ながら出口に向かいましょう。

 

 

ご隠居の事務所の前の桜もささやかに満開です。

右側の松の木は40年前にこの地に引っ越してきたころ地元の人が勝手に植えました。

その頃はご隠居の背の高さぐらいだったのがこんなに大きくなりました。

ご隠居が死んだ後も成長を続けるのでしょうね。

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2019/4月そして令和へ

2019年04月01日 | 日記

2019年も4月になりました。

でも今年の4月はいつもの4月と違いますね。

そうです・・新元号です。

   令  和

新しい年号になって日本人全員が幸せになるなんて無理ですが

戦争がなくて平和な暮らしが続きますように皆で祈りましょう。

                                    六義園

春になったら桜が咲いて、夏になったら蛍が飛んで穏やかな日本がいいですね。

 

 

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