ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

僕の細道旅行譚(寒風山)

2018年11月29日 | 旅行

秋田の旅も終わりに近づいてきました。

気持ちの良い海からの風を感じながら南に下ります。

赤神神社五社堂への登山口です。

鬼が築き上げたという999段の石段を登ると見えてくるそうです。

999段ここで上るのはきついので止めました。

JR、大人の休日倶楽部男鹿編で吉永小百合さんをバックに撮影されています。

次はゴジラ岩です。

自然もいい形に作りますね。

半島の南西、潮瀬崎にある岩で、夕焼けになると背景の赤く染まった空にゴジラが火を吹いているシルエットが浮かぶ上がるそうです。

男鹿の観光パンフレットの写真です。

やっぱりプロはうまく撮りますね。

 

やっと寒風山が見えてきました。

寒風山はおよそ2万年前よりの成層火山(円錐火山)です。安山岩の溶岩で形成され3個の火口が見られます。

それより最近はパラグライダーのメッカだそうです。

大潟村付近です。

ご隠居のつまらない文章より司馬遼太郎さんの街道をゆくからです。

狂言ふうにいえば

これは、はるか遠国方の旅の者でござる。寒風山に登らばやと思い立ってござる。

ということになるだろう。

標高354.7mといった小さな山にすぎないが、平地に立ちはだかって、元気よく空を画している。

寒げでもある。

木という衣装をまとっておらず、日本海の荒波をうけてふるえている。

この山の大いなる長所は、東をむいたときに感じる。

八郎潟の美田が、眼下に見下ろせるのである。

古墳の被葬者である土地の大王が生きていた時代なら、ここは呪術的な国見の行事をしたにちがいない。

 

さてあさってからは12月、師走ですね。

2018年の11か月間はどんな生きざまだったでしょうか。

何はともあれ風邪などひかぬよう規則正しい生活をしてくださいね。

今年の奥の細道の足跡を訪ねる旅はこれでおしまいです。

来年、ご隠居が元気で生きていたら桜の咲く頃から新潟、金沢、福井そして岐阜まで一気に南下したいと思っています。

 

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僕の細道旅行譚(一ノ目潟)

2018年11月24日 | 旅行

真山神社から八望台、そして西海岸に向かいます。

八望台の展望台に上がって来ました。遠くに寒風山が見えます。夕陽が素晴らしいそうです。

二ノ目潟が見えます。

一の目潟、三ノ目潟と共に「マール」という火山でマグマが接触して起こる水蒸気爆発によってできる火口で東北では「男鹿目潟火山群」が唯一です。

八望台から少し下ったところに一ノ目潟がみえます。

一の目潟は地球の深層部から噴き出た岩石みられる火山としても有名で世界的にも注目されています。国の天然記念物です。

八橋油田の所でも書きましたが狭い日本ですがいろいろな地形があり多種の鉱物資源がわずかながら出ます。楽しいですね。

日本で世界中の型の火山が見られます。

ご隠居は若い頃から地理とか地学が大好きで学校の先生になって夏休みにあっちこっち出かけるのが夢でした。

もちろん夢はかないません。紆余曲折の人生で結局ブラタモリのような大物にはなれませんでした。

戸賀湾です。

コニーデ式火山(円錐火山)溶岩と火山灰からなり整然とした円錐形・・・もちろん富士山です。

トロイデ式火山(釣鐘状火山)酸性溶岩からなり釣鐘を伏せたような形・・大山、箱根の駒ヶ岳

日本はコニーデ式とトロイデ式火山が多い。

アスピーテ式火山(楯状火山)塩基性溶岩からなり緩やかに傾いている・・月山

ペジオニーテ式火山(溶岩台地)溶岩が一面に氾濫したもの・・・香川県の屋島

ベロニーテ式火山(岩塔式火山)溶岩からなる部分が特に高く鋭くそびえる・・・昭和新山

ホマーテ式火山(臼状火山)溶岩、火山灰からなり高さのわりに火口の直径が大きい・・・伊豆七島の神津島

そしてマール(爆裂火口)

火口壁の一部が陥没して失われ広い窪地が出来たものをカルデラで水をたたえたものがカルデラ湖です。

十和田湖とか支笏湖などカルデラは火山の名称ではありません。

日本を旅行していても世界中にある火山を見られるなんて楽しいですよね。

規模は小さいですけれどね。

戸賀湾に降りてきました。いい天気ですが風が強い。

地震の時の慰霊碑があります。

その先に男鹿水族館があります。昨年鶴岡のクラゲの水族館を見学したので今回は省略です。

戸賀湾周遊コースという観光船が1000円で安いので乗ってみることにしました。

おいおい、遊覧船と言うからには白い船体の瀟洒な感じの船じゃないいですか?

おじさんが一人案内嬢もいません。

二人のお客が降りて来ました。「すごく揺れたよ」

大丈夫かよ?

今日は波が荒いからコースーを変えるよ。

あのぉ あまり期待していないので適当に簡単なコースでいいです。

大丈夫だよ。いままで転覆したことなんかないんだから。ほら釣りしている人だっているよ。

なんだか港に戻ってきた時にはホッとした気分でした。

時間も押してきました。これから寒風山に向かいます。

 

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僕の細道旅行譚(男鹿真山伝承館)

2018年11月18日 | 旅行

男鹿温泉からなまはげ館の方にやって来ました。

伝承館の方も一緒になっているので入ってみましょう。

男鹿半島各地で実際に使われていた110体の多種多様なナマハゲ面が勢ぞろいしています。

迫力はありますがやっぱり展示物だなと言う感じもします。

ちょっと素朴な感じもします。

次は伝承館の方に行ってみましょう。

所要時間は約20分、だいたい30分おきに公演してますので待ちません。

ナマハゲ行事はTVでもニュースになるように毎年大晦日の夜に男鹿半島全域で行われています。

悪事に訓戒を与え、豊作、豊漁、吉事もたらす来訪神です。

昭和53年に「男鹿のナマハゲ」で国重要無形文化財に指定、こんどユネスコの無形文化遺産に登録されるみたいですね。

 ナマハゲの語源は「火斑(ナモミ)を剥ぐ(はぐ)」と言う言葉がなまったものと伝えられています。ナモミとは炉辺にかじりついていると手足にできる火型のこと。

それをはぎ取って怠け者を戒めるのがナマハゲです。現在でも寒いからといってストーブにかじりついていると運動不足になりますね。

先ず家に上がるとすぐに四股(しこ)を7回ふむ。これで初めて家の中に入ることができる。

「ナマケモノの匂いがする」「ナマケモノはいないか!」などと荒々しい声をあげて畳を強く踏みしめながら歩き回る。

そしてその家の主人がナマハゲをなだめて丁寧にもてなし御膳を添えます。

ナマハゲは添えられた御膳に座る前に5回四股を踏む。ウオーウオーと唸っているナマハゲに主人は酒肴を進める。

主人とナマハゲの間で様々な問答が交された後、ナマハゲは来年も豊作であるように祈願して、立ち上がり3回四股を踏みまた歩き回る。

家に上がってすぐ7回、御膳に着く前に5回、立ち上がる時に3回、「七五三」という男鹿真山のナマハゲ独自のしきたりだそうです。

悪い子供を懲らしめるというよりは子供たちが病気や怪我をしないように、そして幸福になるように願掛けするのです。

「おしゃべりばあさんはいねがぁー、懲らしめてやるー」とみんなの処を廻って歩くんだと写真教室のご婦人達に言ったら

「またいい加減なことばかりいって」と怒られて、もっとまともな写真撮って来なさいよと言われました。

更に奥にある真山神社に来ました。

景行天皇の時代、かなり古い。

薬師如来座像。南北朝時代の作品。

「丸木舟」

一本の杉の木をくりぬいた作です。

海上安全お祈りをこめてつくられ海にかかわる仕事をしている人にパワーがもらえる。

しかし神社全体にものすごいパワーがみなぎっているような気がします。

なまはげ柴灯(せど)まつり

2月第二金・土・日

会場の真山神社境内だは柴灯火がたかれ、なまはげ乱舞、なまはげ太鼓、なまはげ下山など勇壮で幻想的な雰囲気を体験できるそうです。

日本経済新聞社の「たずねてみたい冬の祭り」の上位に入っているそうです。

雪の降る男鹿半島の夜、それだけでも神秘的な感じがします。

男鹿半島を楽しみました。

 

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僕の細道旅行譚(男鹿温泉)

2018年11月15日 | 旅行

男鹿半島の付け根、船越にやって来ました。

男鹿と言えばやっぱりナマハゲですよね。

公園のわきに男鹿総合観光案内所があり旅館を紹介してもらいました。親切でした。

泊まる場所も決まったので夕陽のきれいな入道崎に向かいます。

まだ日没には少し早いようでした。

入道崎の灯台は工事中みたいでした。

日本の灯台50選に選ばれていて北緯40度、夕日の沈む場所として人気があるそうです。

緑の台地と紺碧の海、青空の絶妙なコントラストが売り物だそうです。

「菅江真澄の道」というハイキングコースがあります。

男鹿半島では菅江真澄の話を良くききます。

江戸時代後期の旅行家で博物学者だそうです。半生を秋田で過ごしています。

民俗学者の柳田邦男は

「真澄遊覧記を読む中で、真澄の日記を通して

天明といえば江戸でも京都でも種々の学問と高尚なる風流とかが競い合って進んでいる新文化の世であった。

然るにそれとは没交渉に遠く奥州北上川のこんなに寂しい旅行を一人で歩いていたのである」

真澄は変わり者かと言えばそうではないようなことを司馬遼太郎が書いています。(街道をいく、秋田県散歩参照)

入道崎は子持黒、入道岩、鹿落しなどと剣を立てたような高岩が岸にかさなり合っている。

増えすぎた鹿を、鹿狩りの時はこの先の野に駆り集めてこれらの岩の上から追い落とした

という説明がありました。

さて今宵の宿の男鹿温泉いつきました。

男鹿温泉雄山閣です。

ご隠居的には旅に出て泊まる場所は温泉でも井戸水でも(井戸水は冷たいからお湯の方がいい)ビジネスホテルのバスでもこだわらない人です。

でもここは日本秘湯を守る会という看板があったのでちょっと良かったかなと思いました。

なまはげの湯「露天岩風呂」がなかなか良かったです。

部屋からの男鹿温泉街

7軒の宿泊施設の先に日本海が見えます。

夕食も終わって暇だから旅館の人に進められて「五風なまはげ太鼓ライブ」にぶらぶら出かけました。

五風会館と言う場所まで少し歩きました。

どうせ田舎のアトラクションだから大したことないと思っていきましたが、これがどうして眠気もさますような迫力ですごく良かった。

写真教室のご婦人に見せたら野崎さんはこの女性が美人で気に入って撮っていたんだなと言われました。

ばれたか!

とにかく暗くて動きが早いし観客の頭は邪魔になるしでいい写真がなかなか美味く撮れませ。

誰かの写したyoutubuを見てください

 

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僕の細道旅行譚(経緯度交会点)

2018年11月10日 | 旅行

東京から秋田に向かうには飛行機、夜行バス、新潟新幹線から「いなほ」経由、いろいろありますがやっぱり「こまち」が一番便利ですね。

盛岡から在来線になるのでスピードはおちますがそのかわり景色なんか眺めて快適です。

大曲駅で進行方向が逆になったりして楽しいですよ。

もちろんご隠居はグリーン車なんかには乗りませ。着く時間は同じです。

ZOZOタウンの前沢社長みたいに腐るほど金持っている御人にはいいかも。もっとも彼だったらプライベートジェット機にしますね。

 

さて国道7号線を北上して追分三叉路に来ました。

ここから男鹿街道に向かうわけですがその前に話題の金足農業高校に寄ってみました。

外からだけの写真にしましょう。学校関係者ではないので・・・。ただの野次馬です。

広々としています。校舎に着くまで時間がかかりそうです。

このグラウンドで吉田輝星クンは毎日一生懸命練習していたのでしょうか。

日本ハムではどんなものでしょう。

日本ハムの栗山監督は熱血先生と言われて指導が上手そうですね。

どうでもいいけど国立大学(学芸大学)出て教授の資格持っている人はプロ野球の世界ではめじらしいそうです。

さて男鹿半島を目指します。

八郎潟干拓記念水位塔

かつての水面を示しています。塔の正面には「人々はいつもこの頭上の高さに日本海の水面が広がっていることを忘れてはならない」と書いてあります。

大潟富士

盛り土をして誕生した日本一低い山です。高さは富士さんの標高の千分の一にあたる3.776m、頂上がちょうど海抜ゼロメートルになっています。

頂上に立つと豊かな田園風景です。日本ではないみたいです。

水門を作って湖面であった場所の水を抜いて何処からか土を運んで埋め立てたのかと思っていました。

ところが水深が浅かったのでそのまま田圃になってしまったのですね。

東京湾の埋め立てみたいに手間がかからなかったのかな?

感心して田園を見ていると軽トラックに乗ったおじさんがニコニコとしてやって来ました。

「わ・ナンバーだけどどこから来たんだい」

「千葉の山ん中から来たんだけど広々していてたまげた」

「明日稲刈りやろうと思って田を見に来たんだ。コンバインでやるからすごいんだぞ」

「でしょうね。千葉の田圃なんか猫の額だね」

「この先に経緯度交会点という名所があるよ」

「そこも見に行こうと思っています」

「田んぼの真ん中で分かりにくいから案内してあげる。付いておいで」

と車に乗ってどんどん走って行きました。途中でわかんなくなってまごまごしていたらUターンしてきてくれました。

何もない農道を右に左にと走りました。カーナビも良く分からないのでよかった。

緯度と経度が整数値で交わる交会点。大潟村には北緯40度・東経140度ジャストで地点の記念塔です。

10度単位で交差しているのは日本の陸地では大潟村一か所だけです。

ところがですよ、

GPS時代になり正しく測定するとこのモニュメントから南東に約430m離れた場所だそうです。

せっかくこんな立派な立派な建造物作ったのだから壊さないでこのままでいいですよね。

これから向かう寒風山の展望台もかすかに見えます(左側の山)

 

 

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僕の細道旅行譚(八橋油田)

2018年11月05日 | 旅行

9月に引き続き秋田をもう少し歩きたいと思います。

秋田駅をわずか20分ほど走ると日本の大油田、八橋油田に着きます。

これがまた住宅地の真ん中にあるのです。

国際石油開発帝石が運営していて「ポンピングユニット」とよばれる機械で25基が稼働中です。

「ウイーン、ウイーン」と水飲み場のおもちゃの鳥のように一定のリズムで首を上下に振ります。

1分間に5~10回転させて24時間休まず営業です。

地下でセ氏50~60度、地上では20~30度まで温度が下がり油1、ガス1、水が8、開発当初は水は0だったそうです。

ちなみに地下1000mから2000mの砂岩から採取するそうです。

コスモス広場にあるレプリカ。

原油の世界生産量は44億トン。日本の生産量は47万トンで世界の1%にも満たない。

八橋は8000t前後と国内の2%ぐらいだそうです。

1955年ころには21万トン、2000人の人が働いていたそうです。現在は43人。

栗田秋田鉱場長は「世界情勢に左右されず、国内で原油を支える貴重な現場と」胸を張っています。

隣の公園ではコスモスが咲いていました。

サウジ最大のガワール油田では世界最大の埋蔵量を誇っていますが、

毎日数百万バーレルの海水を注入しているそうで一時の勢いはないのかもしれません。

南北280km、東西50kmとてつもな広い。しかし草一本も生えてないような砂漠地帯なのでしょうか。

八橋のように油が少し湧いているそばでコスモスが可愛く咲いていたりしてこじんまりしていていいですね。

鉄だとか銅とかやたら取れると戦争でもおっぱじめたくなるので資源は海外から買ってきてチマチマ働く方がいいと思いませんか。

しかし狭い日本でもわずかばかりの鉱物資源がいろいろとれるんですね。

金とは銀みたいに世界的にも誇れるよう埋蔵量が日本にもあるというのが出来過ぎでしょうか。

 

 

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2018/11月

2018年11月01日 | 日記

11月になりました。

31日のハロウィーンが終わったら世の中、急に静かになった感じです。

毎年書いていますが11月はイベントも少なくて、日は短くなりますが寒くもなくいい季節ではないでしょうか。

静かにこれからのこととか過去のこと考えたり、懐かしい映画を観たりするのに秋の夜長にピッタリです。

終活に向け昔を思い出しながらていろいろかたづけたりするのもいいですね。

 

住所録 捨てアルバム 捨てて今 己れの他に 捨つるものなし

(朝日歌壇 福岡市 杉野順子さんの作品)

ご隠居も全く同じ心境です。

 

でもやっぱり秋の夜長は読書がいいかな。目がまだいいうちにたくさん読んでおきたいですね。

159回直木賞をとった島本理生さんのファーストラヴを読んでみました。

両親の子供への虐待とか性的虐待が毎日ニュースになっていますがそんなような話です。

読めば読むほど暗くなるような家庭の話です。裁判が始まるあたりから少し面白くなります。

159回ではご隠居の好きな湊かなえさんの「未来」もノミネートされていたのでそちらを先に読んでしまいました。

こちらも今までと違った作風で何とも言えません。

やっぱり芥川賞や直木賞より本屋大賞の作品の方がワクワクして先へと読んでいけます。

 

「騎士団長殺し」

ニューヨークタイムズ電子版で(日経記事)

村上春樹さんの「騎士団長殺し」について

「ずっと良い作品を残してきた作家の小説としては期待外れだった」

300~400ページで収まる内容なのに700ページ程度に引き伸ばされた印象があり「だぶだぶのモンスター」のような感じだ。

この冷評にご隠居みたいな村上ファンとしてはちょっと淋しいですね。

 

さて先日宮城刑務所に行く用事があって仙台に行きました。

敷地内に臥龍梅があって春はきれいだそうです。

最近は刑務所でもマスコットキャラクターがあるみたいです。

刑務所も単独室(独房と違って優良受刑者が入室)が多くなり、職業訓練でもビジネススキル科(パソコン基礎課程)など世の中に合わせて過ごしやすくなってきているようです。

それでも刑務所に収監されるようなことをしない方がいいと思いますよ。

 

用が済んだらすぐに帰ろうかと思っていましたがつい旅好きの心がうずめき、

そうだ瑞巌寺の平成の大修理が終わっているのでちょっと見ていこうかという雰囲気になりました。

(母親の具合が悪いので早く帰ってこいと言われているがまぁいいか)

受付の両側にはお土産屋さんがあり正面を入ると緑色のジャンバーを着たガイドさんがいます。

前回2015年9月に来た時は津波の後の整備中でこの道は通れませんでした。

津波で亡くなった人々を供養しています。

境内に入ってみました。ついでに御朱印もいただきました。

中門

本堂

平安時代(822年)慈覚大師円仁により開創され、天台宗延福寺と称したそうです。

本堂は大きさ正面38m、奥行き24m。入母屋造りの本瓦葺きで10の部屋があるそうです。

堂内は全面的に撮影禁止になっていましたので外側だけでも写してみました。

綺麗な庭ですね。

2015年来た時は(奥の細道旅行譚を書くため)まだ工事中でした。本堂にも入れませんでした。

そこで本堂内の秘仏を公開して写真も許可されていました。

今に思えばずいぶん得した気分です。

松尾芭蕉も「金壁壮厳光を輝かし」と謳われました。

東日本大震災、熊本の地震、最近では北海道胆振東部地震、昔では豊臣秀吉の時代でも大阪に大きな地震があったようです。

日本人は昔からいくつもの天災を乗り越えながら歴史を作ってきたんですね。

最近はやたら日本人は素晴らしいとかいう番組が多いですが(経済もたいしたことなくなった自信のなさの裏返しかもしれませんが)

そんなこといわれなくてもコツコツやってきたんですね。これから先も。

仙台駅に戻って来ました。

青葉通りは少し紅葉していました(10月23日)

自宅に帰りましょう。

 

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