申し訳ありませんが、インフルエンザが千葉で非常に流行っています。
そのため、ちょっとの間だけブログの更新をお休みします。
楽しみにされている方には残念化と思いますが、また落ち着いたらブログの方を再開したいと思います。
楽しみにお待ちください。
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楽しみにお待ちください。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新しい年を迎えて、いかがなものでしょうか。
一週間も過ぎるといつもの日常になってしまいますよね。
私も何とか今年も生きていますが、どうなることやらわかりません。
とりあえずぼちぼちやっていきましょう。
令和7年1月1日
装束稲荷大明神から王子稲荷神社へ夕方から出発しました。
先日の日記でもお知らせしていましたが、どなたか見に行かれた方はいますでしょうか。
居たらぜひ教えてください。
王子稲荷神社で新年を迎え、1月1日の朝になりました。
コロナも落ち着き、ここ近年はとにかく混んでいて大変なようです。
私は病気してしまいこういった催しには行くことが叶いません。
第45回八王子いちょう祭りが昨年の11月16~17日に行われていました。
このお祭りには友人に行ってもらい、上の写真を撮ってきてもらいました。
写真からも見えるように、この時期はまだ暖かかったこともあり、ほとんど紅葉しておらず、ちょっと寂しいお祭りでした。
後ほどまた詳しく日記にてお話ししようと思います。
それではまた、今日はこの辺で。
またお会いしましょう。
私のいる老人ホームは63人いて、満員です。こういう施設も混んでいるものですね。
朝ご飯を食べて、用のない時は3~4人で集まって話をしたりするのですが、難しい昔話が多いのです。
あくる日も同じ話を延々としている人もいます。三日目も全く同じ話をしています。
要するにぼけ老人が多く集まっています(笑)
まあ誰にも迷惑をかけてなければいいのですが。中には職員に怒鳴ったりして困らせる人もいます。
結構大変な仕事だと思います。
時々施設で犬を借りてくることがあります。アニマルセラピーというそうです。もちろん有料です。
犬を楽しく見てる人もいますが、嫌いなのにイベントに参加してる人もいます。
「苦手なのにどうして参加されているのですか」と尋ねると「何かやってると聞いて来ただけ」
と言って最後まで参加していました。
私自身は犬や猫は好きなので、見に行きますが昔飼っていた(柴犬など)ので目新しさはなかったです。
月に一度演奏会があります。もちろん有料です。
結構上手なのでしょうが、老人ホームということもあり古い歌が多いです。
仕方がないですが、たまに聞く程度です。
午後は、老人ホームを経営している会社のオリジナル体操を40分ほど毎日やっています。
それにはなるべく出るようにしています。
その後は部屋に帰って、ぶらぶらしていると窓の外にイトーヨーカドーが見えます。
四街道の駅のそばで食べ物屋さんや飲み屋が結構あります。
歌を歌うだけでなく歌の先生も来て上手に教えてくれたりもしています。
私もたまには行きたいのですが、夜なのでちょっと難しいです。
成田まで行くとこの辺では中心で、いろいろなものがあります。
今までぽつぽつと佐倉を紹介していましたが、全体的には紹介できていません。
佐倉城は千葉一族が作ったのですが、本格的には徳川家康が作り土井利勝が大々的に作り上げました。
その後、何代かの後堀田正倫が最後の城主になり、廃藩置県となりました。
敷地内で堀田家農業試験場などを作り、研究に明け暮れていたそうです。
明治6年に陸軍第一軍営東京鎮台の佐倉営所が設置されると、城内の建物は順次取り壊されました。
また、佐倉で有名な「順天堂」は、1843年に佐藤泰然が蘭医塾兼診療所として創設したものです。
佐倉順天堂記念館では、佐倉順天堂や医学史に関する資料が沢山あります。
戦後は国立歴史民俗資料館として京都とここにしかない資料館があります。
ただし、最近は見に行く人よりも従業員の方が多いように感じます。
現在でも基本的な町割・道筋は変わっておらず、往時を偲ばせる文化財が残されています。
今年の佐倉の秋祭りは70周年で、県知事があいさつしてくれました。
佐倉に秋の訪れを告げる秋祭りは、鍵の手のような城下町を三日間、山車・御神酒所・御輿が盛大に
練り歩きます。
山車や御神酒所がすれ違う様子や、佐倉囃子に合わせた「えっさのこらさえっさっさ」の掛け声、
踊りは佐倉ならではのものです。
麻賀多神社神輿は、千葉県最大級の大神輿であり、威勢良い掛け声とともに渡御される姿は勇壮です。
佐倉の秋祭りは古くから「麻賀多神社祭禮」が母体で、五穀豊穣に感謝する秋祭りです。
佐倉には料理も色々あり、楽しそうです。
ウナギも有名なもののひとつで、過去にもよく食べました。
市役所の中には地元のシェフが入った食堂があります。豚肩ロースのコンフィが1380円しますが、美味しかったです。
房州屋の本店は創業約90年の、佐倉市を代表する老舗蕎麦店です。
佐倉藩鎮守で佐倉七福神巡りの御朱印所である麻賀多神社と、登録有形文化財で日本遺産の旧平井家住宅に挟まれた、観光に極めて便利な立地です。
ここ房州屋のおすすめメニューは「とろろそば」で、佐倉市和田地区の名産品・大和芋を使用。
地元ならではの味を楽しめ、薬味にうずらの生卵も添えられます。
蕎麦の舟盛りは珍しく、少量づつ束ねて盛り付けるので、食べやすさも抜群です。
他にも男性に人気なのが3種類の味が楽しめる「三味そば」
女性には7種類以上の具材が入っている「佐倉七福神そば」が人気。
こちらは正月の佐倉七福神巡りを意識しており、温かい蕎麦です。
いずれもリーズナブルで美味しい上にボリュームも満点で、観光抜きでも蕎麦だけ食べに行きたくなります。
世間ではもうすぐクリスマスですね。この日記にもいくつかクリスマスにちなんだ写真を入れました。
私の老人ホームでもクリスマス会が土曜日に行われるそうです。
皆様もよいクリスマスを過ごせますように。
これで今年の日記はすべて終了です。皆様はどんな1年でしたでしょうか。
今年も色々ありましたが、来年もいい年になるといいですね。
私も来年もとりあえず生きて文章を考えたいと思います。
それではさようなら、よいお年をお過ごしください。
今回は赤羽から東京に一つ戻って王子に来ました。
王子は路面電車が通っていて(東京でただ一つだけ)、早稲田から王子あたりがちょうど中間となります。
本当に路面電車は楽しいですよね。
路面電車の駅から飛鳥山の方に歩くと、春には桜が奇麗に咲いています。
ここには歩いてもすぐ来れますが、飛鳥パークレール(エスカルゴ)というモノレールが2~3分の距離ですがあります。
それに乗ってみるのもいいでしょう。
今日は、その話ではなく、王子稲荷の話です。
ここは東京都北区岸町に鎮座する神社です。
この神社が建立されたのは不明です。
源義家が奥州征伐(前九年の役)の際に、当社を深く信仰して「関東稲荷総司」と崇めたと伝わっています。
源頼家が「石清水八幡宮」(京都府八幡市)で元服したことから「八幡太郎」と称しました。
関東圏の八幡信仰の神社の伝承にその名を見る事も多く、新興武士勢力の象徴とみなされていました。
義家の家系からは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏が出ており、武門の棟梁としての血脈として神話化されていきました。
前九年の役とは、奥州の陸奥守に任命された源頼義(みなもとのよりよし)が、奥州(陸奥国)で半独立的な勢力を形成していた有力豪族・安倍氏を滅亡させた戦いのことです。
その後天正十八年(1590)に、豊臣秀吉の小田原攻めによって後北条氏が滅亡。
同年、関東移封によって徳川家康が江戸入り。
天正十九年(1591)、家康は「王子神社」と当社に朱印地200石を寄進。
将軍家祈願所に指定され、大いに崇敬を集めました。
今から約千年の昔、この附近一帯は野原や田畑ばかりでした。
その中に榎の大木がありそこに社を建てて王子稲荷の摂社として祭られたのがこの装束稲荷であります。
この社名の興りとして今に伝えられるところによれば毎年十二月の晦日の夜関東八ヶ国の稲荷のお使いがこの社に集まります。
ここで装束を整えて関東総司の王子稲荷にお参りするのが例になっていたそうです。
当時の農民はその行列の時に燃える狐火の多少によって翌年の作物の豊凶を占ったと語り伝えられています。
これが「王子稲荷の狐火」と呼ばれています。
また、ここで有名なのが歌川広重による『名所江戸百景』より「王子装束ゑの木大晦日の狐火」。
装束榎に集まる狐たちの様子を描いたもの。
大晦日の夜に関八州の狐が装束を改めるために集ったという伝承を描いています。
装束榎の下にいる狐たちに視線を向けがちだがその奥にも注目です。
かなり細かいが小さく数多くの狐と狐火が描かれています。
狐火は実に壮観だったのでしょう。
装束稲荷神社は、王子稲荷神社から300mぐらい離れた場所にあります。
装束稲荷神社を出発して町を歩きながら王子稲荷神社に向かいます。
手狭な境内ではあるが、町の小さなお稲荷様としては綺麗に整備された一画です。
装束稲荷大明神と言われています。
御朱印は向かいにある「くらしの器王子ヤマワ」にて購入が可能です。
器の他、狐のお面も常時展示販売も行っています。
12月31日の夕方から神社を出発して、練り歩きながら王子稲荷に行きます。
王子稲荷では子供たちが踊りを踊って、その後獅子舞があり、1月1日の早朝に
「新年あけましておめでとうございます」となります。
来年もいい年になるといいですね。
12月31日の夕方からとなるのでもうすぐ行われます。
ぜひ皆様も行ってみてください。
王子から5分ほど歩いたところにある「名主の滝公園」です。
昔は東京都が管理していたころはよかったのですが、北区の管理になってからは寂しくなってしまいました。
それでもちょっとした観光ついでに寄ってみてください。
それではまた次回。
赤羽駅を出て、20分ぐらい歩くと荒川放水路(岩淵水門)に出ます。
この辺は東京にしては緑が非常に多く、楽しい場所です。
ここではバーベキューなどが楽しめる場所もあります。
江戸時代から市街地を守るために洪水対策が行われていました。
明治になってから帝都建設の過程で人口増加とともに市街地の拡大が起こりました。
荒川沿川では、江戸時代から頻繁に洪水が発生していました。
明治元年から43年の間に洪水が10以上も発生しました。
43年のは特に大きかったようです。
44年に荒川放水路が着工され、墨田川には堤防がなくても洪水が氾濫しないようになりました。
この工事で掘削した土砂の総量は東京ドーム18杯分にも及ぶそうです。
放水路開削工事では、多数の水門や閘門が建設されました。
昭和22年にカスリーン台風が荒川のみならず多数の河川に爪痕を残しました。
その後、墨田川などの都市内を流れる川もいったんはきれいになり、人が泳ぐこともできました。
上の写真は新閘門です。
川もまた汚くなってしまいましたが、その後何とか取り直してきました。
荒川知水資料館です。
東京都北区志茂にある荒川放水路と隅田川(旧河道)とを仕切る水門が、旧岩淵水門。
大正5年から8年間の歳月をかけて完成した水門は、経済産業省の近代化産業遺産に認定。
昭和30年代の改修工事で赤い色に塗りかえられたことから「赤水門」と呼ばれています。
昭和57年に下流側に岩淵水門(青水門)が完成し、お役御免に。
東京都北区岩淵町、昭和5年に完成した荒川と新河岸川の間に広がる広大な荒川河川敷を利用して築かれた北区の区立公園が、荒川赤羽桜堤緑地。
埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ新荒川大橋の北区側に位置し、ソメイヨシノ108本が植栽されたプロムナードになっています。
桜の花もとても綺麗です。とにかく広く、私もこの年になって初めて来ました。
皆様もぜひ暇なときに散歩がてら行ってみることをお勧めします。
久しぶりに東京に行く用があったので、高校時代の友人の大野君の家に寄りました。
彼の家は十条ですが、赤羽のすぐそばで自宅は3年前に取り壊し売ってしまったようなのです。
今は赤羽の公団住宅に一人でいるのですが家賃が15万円で、中はとってもきれいな家でした。
赤羽の駅も昔と違って、ホームが上下に分かれていたのが一面にまとまり、数本の線路が通っていました。
街に出てもとてもきれいな街並で、飲み屋もたくさんあり昔飲んでいた時と違って環境がよくなっていました。
久しぶりに来たので、あちこち寄ってみました。ここは八幡神社です。
詳しい文献等は無いようですが、この神社は平安時代、桓武天皇の御代延暦3年(784)、坂上田村麻呂の東夷征伐の折り、この地に陣を張り八幡三神を勧請したと言い伝えられています。
坂上田村麻呂の死後、朝廷より従二位を贈られ、山城の国には将軍塚が作られ、国家守護の力と頼まれました。
神社の境内の下を東北・上越新幹線が通っています。テレビの報道などで知っている方も多いかもしれません。
この神社が鎮座する赤羽台は、武蔵野台地が関東平野に突き出している東北端に当たります。
標高20メートルほどの小高い山にあり、昭和初期頃までは、赤羽山八幡宮と呼ばれていました。
ここは社務所です。山の上に建てられています。
ここでは御朱印をはじめ、厄年や八方塞がりの御祈祷、最強開運日の御朱印など様々あります。
上の写真は、神社の脇にある公園から見ることができ、電車好きに人気のスポットとなっています。
近年、電車好きな自身の子供に付き合っているうちに、自分自身も鉄道にはまってしまうというお母さんたちが増えているようです。
そんなママさん達は、『ママ鉄』 と呼ばれているようです。
昔から小さな男の子は、ほぼ全員といっていいほど、電車や自動車などの乗り物が大好きです。
電車の中でも特に新幹線は人気があるようです。私も大好きでした。
鳥居の中を通るように見ることができる撮影スポットです。
電車が小さく見えてますが、普段合わさることのない景色が同時に見ることができ、素晴らしいです。
ここは、赤羽の一番上にある星美女子大学です。
私自身とは全くの無関係ですが、姪っ子が出ている大学です。
卒業後はどこかの会社に無事就職しましたが、結婚を機に退職してしまったようです。
その後、私の知り合いの宅建協会に入ってのんびりやっているようです。
今日はここまで。また次回続きをお話したいと思います。
佐倉にまた出かけました。
今日はケンタッキーフライドチキンを食べて、それから始めました。
千葉市若葉区源町にある増田家住宅を佐倉・くさぶえの丘に移転したものです。
これらの住宅は江戸時代後期から明治にかけて千葉県の上層農家の特徴となっております。
この住宅は茅葺き屋根の住宅です。板の間の室内で、中には囲炉裏もあるようです。
敷地内には案内板が立ち、江戸時代の農耕機具なども展示されています。
周辺は、とても多くの緑に囲まれ、江戸時代の雰囲気を現代に持ってきたような錯覚を覚えます。
この頃の人々は、どんな暮らしをし、何を考え、どんな日々を送っていたのか。
前述したように千葉市は若葉区から移設したものです。
周囲の景色にとけ込んで、まるで最初からそこにあったかのように思えます。
春にはサクラソウが咲き、夏には蝉が鳴き、秋には紅葉もきっと綺麗で、四季折々の姿が見れることでしょう。
この建物の中は資料館のようになっていて、いろいろなものが入っています。
くさぶえの丘自体が公園になっていて、老若男女が楽しめるところとなっているので、ぜひ寄ってみてください。
前回は向日葵があるところに行きましたが、今回はずーっと右側の方に行ってきました。
印旛沼は、千葉県は北部の利根川の下流に位置する湖沼です。
印旛沼自体が千葉県立印旛手賀自然公園に入っています。
この印旛沼は本来周囲60キロメートルの規模でした。
戦後の干拓によって2つの細い水路でつながった北部調節池と西部調節池に水域が分かれています。
北側は長門川を渡って利根川に流れ、花見川側は東京湾に流れています。
ここは一周全部公園になっていて、回れるようになっています。
とにかく楽しい場所なので、一日のんびりできます。
前回に四街道に行った際に撮ったものなのですが、入れるのを忘れていたので今回入れました。
JR四街道駅から南西へ500メートルほど行った四街道十字路の傍らに駒方方形の道標石塔が立っています。
ここが「四街道の地名発祥の地」で、文字通り4方向への道が伸びています。
石塔の各面には、それぞれの指す方向に向かって、4つの街道の名が書き記されています。
長沼方向が船橋道方面
都賀方向が千葉町道方面
四街道駅方向が東金道・馬渡道方面
大日五差路方向が成田山道方面
というようになっております。
所で皆さん毎日定年を過ぎた方はどう暮らされておりますか。
私は朝4時には起きて7時過ぎに朝食を食べ、すぐに風呂になります。
その後はリハビリマッサージの人を招き、マッサージをやります。
その後は昼食を食べ、13時30分から14時20分ぐらいまでは体操を行います。
その後15時におやつを食べ、夕食までは何もありません。
その間にテレビを見たりインターネットでyoutubeを見たり株を見たりして過ごしています。
とにかく毎日暇で困っています(笑)
今日はここまでとします。また近々お会いしましょう。
元禄2年3月27日(1689年5月16日)に松尾芭蕉(46歳)と曽良(41歳)が旅に出ました。
深川から日光、仙台、酒田、新潟、金沢、福井などの旅に出かけました。
私もところどころですが酒田などに行きました。その先にも行きたかったのですが病気になってしまい、断念せざるを得ませんでした。
芭蕉稲荷神社
芭蕉は9年間暮らした住居を引き払い「奥の細道」の旅に出る気持ちの高ぶりがひしひしと伝わってきます。
旅に出るという気持ちが滅茶苦茶感じられます。
私も旅に出る時がありますがたとえ一泊でも二泊でもこの高ぶりに変わりありませんね。
草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
(わが家よ、主人が変わるぞ。前の主人はむさくるしい独身男だったが、今度はいるのは、女の子のいる家族らしい。春にはお雛様が飾られるかもしれない。楽しいだろう)
芭蕉は自宅も売ってこの旅に出たと言われています。今の時代では考えられませんね。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
月日は永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人です。
人生はだれでも一生旅人のようなものかもしれません。
……後にもずっと続きますが、有名な行のみ書きました。
さてようやく芭蕉一行の旅立ちの地「千住宿」にやって来ました。
まず南千住駅を降りると早速駅前に芭蕉翁の像がありました。
ここは芭蕉たちは船で北千住まで通ったので実際には訪れていません。
1kmほど歩くと4号線に交差して素戔雄神社(すさおのじんじゃ)があります。
神社には江戸時代に近隣の文人たちが建てた「奥の細道」矢立初めの句碑が残されており、有名です。
4号線を北千住の方に向かって歩いていくと千住大橋が見えてきました。
芭蕉の時代もすでに木造の橋が架かっていて奥州方面に行く参勤交代などで賑わったそうです。
橋を渡って左折して川岸に降りてみました。
芭蕉一行は深川から船でやって来てこの辺に上陸したのでしょうか?
千住大橋のたもとにある石碑
「矢立」は墨壺に筆入れの筒のついた携帯用の筆記用具です。
日光東照宮にむかう日光街道の咽喉元でした。
千住の町は街道の最初の駅であり、飯盛り旅籠、煮売酒場、居酒屋が立ち並ぶ歓楽街でした。
飯盛り女すなわち娼婦がたむろす色町に芭蕉は6日間も滞在したことになります。
行春や 鳥啼き魚の 目は泪
の句ですが川に泳ぐ魚が泪を流す、というのはあまりにも幼児的な描写である。と嵐山さんは書いています。
「魚とは杉風(さんぷう)のことではないか」と言っています。
杉風は芭蕉の弟子でこの旅のパトロンです。芭蕉が大変世話になった恩人が千住で別れを惜しんで泣いたのです。
また前回芭蕉一行が6日間千住宿に滞在したのは日光街道の工事が遅れたからだとご隠居はいい加減のこと書いていますが嵐山さんは次のように書いています。
曾良は吉川神道の出で、幕府とのつながりが深かった。
当時日光工事普請で、伊達藩と日光奉行の対立がありそれを調べるミッションを与えられた。
そしてその工事が遅れたので出発も遅れた。
「面八句を庵の柱に掛け置」も最初から面八句はなく芭蕉は「旅日記」の序章からいかにも本当らしい虚構を書き入れている。とのことです。
奥の細道は1689年出発、150日、2400kmを歩き5年後の1694年位完成した。
細道を歩いてから清書本が出るまで5年間かかっています。たかが400時づめ原稿用紙30枚程度です。
それを5年間かけて推敲したしたのです。
たかが30ページ程度の文章でも5年もかけて作ったということは、本当に魂を込めて作られたのでしょうね。
大したものだと思います。
皆様から色々便りをいただいておりますが、字を書くことが少し不自由になってしまっています。
皆様の手紙はすべて拝見しております。今後もよろしくお願いします。
木更津から亀山まで行ってみました。
ここは32.2㎞ですが、17往復ありますが木更津から亀山までは7本しか気動車がありません。
この間行った東京ドイツ村はこの途中にあります。
木更津駅を出て、すぐに広大な湿原地帯です。まっすぐ延びる線路の先には上総の山々が遠くに眺められ、車両の両側にはどこまでも田んぼが広がっております。
犬を連れたおじさんが歩いていたり、サギなどの大きい野鳥も見えます。
次は久留里に着きました。戦国時代に里見氏、江戸時代には土屋氏、黒田氏など徳川の大名が居城とした久留里城の城跡があります。
それほど広くはなく、歩道も整備されているので車いすでも安心してみることができます。案内板に沿って気軽に歩いて房総の眺めと歴史、自然に親しんで行きました。
久留里城は築城時に雨が多かったことから雨城とも呼ばれていました。
清澄・三石山系に降る雨に恵まれた久留里は、環境省の「平成の名水百選」にも選ばれるなど名水の里としても知られています。町内各地に伝統的な白噴井戸が掘られていて、一般公開されている井戸も豊富にあります。散歩がてら美味しい水巡りを楽しむのも一興です。
実際に飲んでみましたが、やっぱり百選に選ばれるだけあって味がいいなと思いました。
久留里駅を出るといよいよ房総丘陵エリアへ。トンネルも登場し、車窓風景も山岳地帯を走る列車のような雰囲気へと変わっていきます。線路に付かず離れずで流れていた小櫃川の谷も深くなってきて、途中では美しい渓谷も眺められます。18分ほどで木造の小さな駅舎が建つ上総亀山駅に到着します。
これが終点の亀山です。
なんとなく終着駅という感じがしませんか?
昔はこの先小湊鉄道につなぐ予定があったのですが、中止になってしまいました。
上の写真は私が撮ったものではありませんが、亀山湖の非常にきれいな写真です。
上総亀山駅から車止めを過ぎ、7分ほど歩くと「亀山湖」の湖畔に出られます。こちらは小櫃川の上流部に千葉県で初めてつくられた多目的ダムで、県内でも最大規模を誇る亀山ダムの施設です。
人工的に造られた湖とはいえ、緑の山々と切り立った崖に囲まれた湖畔は上記の写真のように自然の宝庫。湖面に映える亀山水天宮の赤い鳥居も神秘的な雰囲気です。
特に夕方の景色は素晴らしいです。
今日はここまで。また次回お会いしましょう。
9月15日は稲毛区小深町のお祭りです。
八幡神社は15日にお祭りでした。神輿渡御の日です。
岸和田のだんじりみたいな大きなお祭りではないですが、それなりに人が集まっていました。
施設の人達も一緒になってお祭りを見ていました。
地元住民が老いも若きも集まってお神輿を担いでいました。
それなりにみんな楽しめた1日でした。
お祭りが終わった後、近くのイトーヨーカドーに食事に行きました。
ここは大きいのでつぶれる心配はなさそうです。
リンガーハットのちゃんぽんを食べました。その後、ちょっと買い物をしてそこそこ楽しみました。
ヨーカドーのあと、この散歩道はとても気持ちがいいところでした。
すぐそばに市役所があり、その脇に野球場やテニスコートがあってのびのびとしています。
四街道市は人口が約9万弱ぐらいですので、千葉と合併すればいいという人もいましたが、一方ではこれくらいの街がちょうどいいのでは、という人もいます。
ちょっと先に行くとドンキホーテがあり、昔は長崎屋でした。とにかくたくさんの物があって何を買っていいかわからないくらいです。
今日は少し寄っただけで何も買いませんでしたが、また今度ゆっくり買い物をしたいと思います。
上記の写真はさつきが丘というところです。四街道は最初は分譲地がはじまり、ここは最後らへんのの分譲地です。
この分譲地は土地だけで売っていたので、建物は各々が立てていたので素晴らしいデザインの建物が多く並んでいます。
上記の写真は四街道警察署です。私が現役の時には週に2回くらいは車庫証明の仕事で行きました。
警察は一般の窓口は8時30分からですが、忙しい時は8時からも開いています。
冬の寒い朝でも国旗掲揚をするのですがとても寒い中頑張っています。でも終わった後は「おお、さむさむ」などと手を振り帰っていきます。やはり人の子だなと思います。
一階は落し物のほかに道路占有許可や、大型車両の通行許可、車庫証明、運転免許証の変更届、交通安全協会などが入っています。
2階に行くと、パチンコの許可証や飲み屋の窓のいわゆる風俗店等の許可の申請場所となっています。その奥は弁護士などでないと入れないような留置所なんかがあります。
四街道駅前です。千葉から佐倉までは便利ですが、その先は総武本線と成田線に分かれており、電車の本数も少なく不便です。
駅前の通りはイトーヨーカドーをはじめ、いろいろあり賑やかな場所になっています。
これで大体終わりですが、ネタ切れなのでしばらくお休みになるかと思います。次の日記をお楽しみにしていただけたらと思います。