シングルマザーの元DIY大作戦

ハンドメイドやらDiyも好きでしたけど、プロには勝てない!

過去のワークより今の私へ

2011-07-22 | 私の前世物語

催眠状態に成りドクターの誘導が終わる間際に一枚の写真で、

日本晴れの秋の田んぼが見えました。

お米の収穫を終えて、一息ついて、「幸せだな~」と家族で、

幸せを分かち合っているお百姓さんの自分がいました。

名前は、「松っつあん」年の頃は、35、6歳で、

風貌は、舟木和夫さんの若い頃のようでした。

と、同時になぜか、目元に彼は、歌舞伎の化粧のような隈取をしていました、

それは、どうやら長崎とか天草出身の旅役者で

さらに隠れキリシタンだったようです。

公演であちこち行くよりそろそろ定住したいとこの地

東北の米どころを選んで、そこで見初めた奥さんと世帯を持ったようでした。

妻や家族は、今の関わりのある人がイメージと浮かびましたが、

具体的に誰かとかは、わかりませんでした。

その日の夕食は、家族みんなで根菜類のごった煮を、

自分の作った白いご飯で嬉しそうに食べていました。
 

 

次にその人生で一番幸せな場面は、息子(今の私の息子)が

生まれたことでした。

そのときは、ご馳走が、大きな茶碗に白飯と大きな梅干と質素だけれど

とても美味しく感じられました。

今の私は、パスタやパンが好きなので、お米に対する郷愁は感じないのですが、

当時は、お百姓さんでも白米はあまり食べれなかったようで複雑な気持ちになりました。
 

 

その後、死の場面に誘導されると隠れキリシタンであることがばれて、

家族一族全員子供までもが、槍で突かれて殺されたようです。


実際、ワタシの弟と今付き合っている彼は、腰辺りに槍で突かれたような痣があります

ドクターの誘導で今の人生と隠れキリシタンの人生の

ときを比較すると宗教心というものに対して、

今もはっきりとは言明できない点が似てるなぁと思いました。

その後、身体が段々上のほうにあがっていきました、

 

するとマリア様が、私のことを「松吉」と呼ばれました。

その後、左手からはマリア様、右手からはキリスト様がいらして、

真ん中で融合されました。

その光の神様に聞くと今回の天職はとの問いに、

『実業』という言葉が浮かびました。

当時も今も私は、信仰をもつことが素晴らしくて『世俗』は、

どこかで馬鹿にしていたようなところが有ったけど、

『信仰の中に「生」をごまかしてはならない。』とのメッセージがきました。

更に『まず、今の仕事を3年!滅却するまで続けてみよ、

 石の上にも三年だ、ここからがもうひとがんばり、いつまでも続く夜は無い、

 しっかりしろ。いつもいつもお前と一緒にいるよ』と仰いました。

ここ数ヶ月は、仕事上岐路に立たされていると感じ、

公私共に上手くいかないし、体調も最悪で塞ぎがちだとフト

『死んだら何にも無くなり楽になるのかな~』と思う事もありました。

今の仕事は、しんどいし、かっこ悪いし、

なんか自分の天職はもっと違うものかも~と思った私に

厳しくも有難いメッセージでした。


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