行雲流水の如くに

「気楽に」、そして「喜楽」に過ごそう。

武道では「無構え」を学ぶことによって「無心」の悟りに近ずくとしている。

「無心」とは、明鏡止水の心を指す。

ところがこれがなかなか難しい。

ましてやわれわれの日常生活では「喜怒哀楽」の繰り返し。

まあ、なるべく「気楽に」そして「喜楽」に過ごしたいと思っている。

 

昨日の朝は冷え込んだのか、樹氷が見られた。

 

政治の世界、特に自民党はカネという欲にまみれてしまった。

こんなことをしていると、

「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし」 「方丈記」

あるいは、

「おごれる人も久しからず、只春の夜の夢の如し」  「平家物語」

 

このところ日が昇るのは6時半を過ぎる。

冬至は22日、この日を境に反転するので待ち遠しい。

 

庭の動物の足跡がある。

キツネのようだ。

 

薔薇を室内で楽しむ。


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コメント一覧

megii123
kenちゃん、こんにちは。
「明鏡止水」というのも好きな言葉ですね。
ブログ名をつける時に「行雲流水」とどちらにしようか迷ったぐらいです。(笑い)

この年になると物忘れはしょっちゅうです。
それで特に生活に支障はありません。
あと最近多いのが、同時に二つのことが出来なくなったことです。どちらか一つを忘れます。

奥様のこと気がかりでしょうが、ここは「行雲流水」の気持ちで受け止める、いや受け流すようにしたらいかがでしょう。
knsw0805
行雲さん、こんにちは。
「無心とは、明鏡止水の心」ですか?朝から私を呼ばれているようで仕事が一段落したので早速やって来ました。明日は生ごみや紙を捨てる日で今日は部屋中の紙に注目し、不必要な紙、資料、チラシ等々片づけていました。考えて見ればブログを開設するとき見習ったのが行雲さん、つまり「行雲流水の如くに」でした。それで窓を見ると浅間山、これに何か付け加えるかと思い「明鏡止水」になりました。まあ無心ではありませんが俗世間の穢れにはちっとも関心がなくなりましたかね、毎日をいわば淡々と生きています。気がかりは嫁さんのことだけです。今嫁さんと話をする分には(忘れていることは多々ありますが)あまり感じませんが行動には大いなる不安があります。物をどこに置いてあるか忘れているとか、外出してトイレに行っても迷い子になるとかしょっちゅうです。個人的には明鏡止水であっても、嫁さんのことになると明鏡止水ではありません(爆)
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