行雲流水の如くに

宗教団体と寄付との関係を考えるーー統一教会だけの問題ではない

安倍元首相を狙撃した山上容疑者の犯行動機は、母親が統一教会の信者で多額の寄付をしたために家族が崩壊したことへの恨みらしい。

その統一教会と安部元首相が親しいと思い込んで、恨みの矛先が安倍元首相に向かったようだ。

常識の範囲内で宗教団体に寄付をするということはありうると思う。

しかし宗教団体が「霊感商法」などを利用して「金集め」に精を出すようでは大問題だ。

 

歎異抄で、親鸞は次のように語る。

仏法の方(かた)に施入物の多少にしたがいて、大・小仏に成るべしということ。

この条、不可説なり、不可説なり。

親鸞は、「仏法に供養する金品の多少によって、死後、仏の悟りを開いた時、大きな仏になったり小さな仏になったりする」という邪義を嘆き正したのだ。

 

宗教というものが「カネ儲けの手段」になっている。

「信心」など二の次だ。

もっと手が込んでくると政治勢力を利用して信者へ利益誘導を図るようなところが出てくる。

親鸞が今の時代にいたら大いに嘆かれたことだろう。

親鸞は次のように語る。

「私が死ねば、屍は賀茂河に捨てて、魚に食べさせよ」

セミの抜け殻のような肉体の後始末よりも、永遠の魂の解決(信心決定)こそが最も大事だという教え。

 

んともすさまじ信心への追求だ。

だから今でもわれわれの魂を揺さぶるものがあるのだろう。

最近の「カネ・カネ・カネ」を叫ぶ宗教の底の浅さを歎きたいものだ。

これは北海道の片隅で薔薇つくりに励む凡人の歎異抄ではあるが。

 

薔薇(セレッソ)


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