東京五輪の開会式で大会名誉総裁を務める天皇陛下が開会を宣言した。
コロナ過の中での無観客開催であることを踏まえた極めて妥当な開会宣言だったと思う。
強い違和感を感じたのは次の点だ。
「天皇陛下が宣言が行われる間、菅首相と小池都知事は着席しておりしばらくすると慌てて立った」
ネットで大騒ぎになっているので見直してみると上記のような有様だ。
通常このようなセレモニーは秒単位のスケジュールが決まっており進行役が各所に配置されている。
しかし今回の場合そのような配慮もなさそうだ。
そうすると一つ一つの行動は、本人の頭の中の構造がさらけ出される。
菅首相も小池都知事も主催者側の人間というよりも招待されている側という意識だったのか?
もっと悪く勘ぐると「敬意を払う気持ちがない」ともとれるのだ。
我が国の憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
このような憲法の条文を頭で理解しようとしてもなかなか難しい。
日本人だから体感として理解できているということだ。
天皇陛下の今の立場は、権力者としての立場ではない。
どちらかというと「すべての国民に心を致す」という阿弥陀如来のようなお心だろう。
このような「お心」に対しては「敬意」を以て応えるということだと思う。
五輪に群がる利益集団には厳しく批判するが、個々の選手の努力に対しては熱い声援を送りたい。