日本の既存宗教(神道系は違うようだが)は、政治とのかかわりを自制している。
なぜそう考えるか?
宗教というのは、何を信じるかは個人の主観的な問題だ。それが絶対なのである。
客観的で合理的な解決法を探る政治とは交わらないと理解しているからだ。
アメリカを建国したピューリタンたちは、
道徳的で敬虔な生活を送りさえすれば、神の祝福を受けて新しいコミュニティが繁栄すると信じた。
それがアメリカの建国の思想(自由・平等・立憲主義という純粋な政治理念)と結びついて違和感がなかった。
ところが、アメリカの最大の宗教勢力はプロテスタント福音派(保守派で聖書を絶対視)であるが、徐々に政治、とりわけ国際関係への関与を強めている。
そしてこの動きを政治的に利用しようとしたのがトランプ前大統領だ。
今や宗教界を巻き込んだアメリカ社会の分裂を引き起こしている。
わが国の憲法20条にはアメリカを作ったピューリタンたちの思いが込められているような気がする。
その憲法20条では、個人の信教の自由を保障しているが、宗教団体も国から特権を受けたり政治上の権力を行使してはならない、としている。
ところがその意味を我が国の政治家は殆ど理解していない。
それでも自民党の大部分は宗教勢力とは一線を画していた。
小渕政権が、1999年政権維持のために自自公(自民党・自由党・公明党)による連立政権を作ったことが宗教勢力に対するけじめの喪失のはじまり。
宗教勢力(創価学会)を政権内に入れたことが、今回の統一教会問題の遠因にある。
すこし言い過ぎになるが「毒を食らわば皿までも」ということか。
旧統一教会の韓鶴子総裁は、とんでもない発言をしている。
「政治と宗教は一緒にならなければなりません」
このような発言を知ってか知らずか、2017年5月の集会で、山本朋広防衛副大臣は韓鶴子総裁を「マザームーン」と連呼してカーネーションを渡したという。
何とも知性に欠ける行いである。
宗教勢力によって我が国の国柄が侵されているという自覚は何もないようだ。
そしてこのようなレベルが自民党全体に及んでいる。
茂木幹事長、福田総務会長など「何が問題か」としらを切り通すつもりだろうか。