チキチキ読書日記

無駄に読み散らかした本の履歴です。

いまどきの「常識」 香山リカ 岩波新書

2006年05月19日 13時12分43秒 | 社会・生活
常識とは何を指すのだろう?
辞書を紐解いてみる。
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力
とある。

つまり、常識とは知っていることが「常識」なわけで、それを知らぬは非常識というわけだ。
ゆえに、何が常識なのかを聞くのは、はばかられるのである。

いまどきの「常識」とは何か?
ここには「いまどきの常識」が列挙されている。
「反戦・平和は野暮」「お金は万能」「世の中すべて自己責任」

これらに共通するのは、身も蓋も無い「現実主義」だ。
もはや理想を語ることは忌避される。

僕も、この本を読むまであまり気がつかなかったのだが、最近の自分の思考や影響を受けた本や発言などを見回してみても、これらの「常識」に則っているいることに改めて気がつく。

平和平和というスローガンを叫んでも平和はやってこない。
こう主張する人が最近増えているように思う。
井沢元彦などもがその典型で、「逆説の日本史」の中でも繰り返し述べている。

日本は「普通」の国になるべきだと主張する人も、ここ数年増えてきたように思う。
普通の国とは、要するに軍隊を持つ国のことである。
日本は「建前」は軍隊を持たない。
しかし現実には自衛隊という武装集団を持つ。
憲法9条によって手足を縛られているために、その活動は大幅に制限されてしまっている。

その手かせ足かせ、つまり憲法9条を改正して、自衛隊を解き放ち、ひいては普通の国になろうというのが、最近の与党の目論見である。


本書を読むにつけ、日本は本当に極端に左右に揺れる国だなと思う。

小泉改革によって、政府は徹底した市場主義を導入し、日本経済からあいまいさを一掃しよようとしている。
政府や政治家のスローガンとしては、耳障りもよく爽快で、有権者の耳目をひきつけるだろう。
しかし、小泉改革の途上ですでに格差が言われている。
それが完成した暁には、いわゆる上流と下流に二極分化したいびつな社会になるのではないか。

いまどきの「常識」が恐いのは、それが一種のイデオロギーと化しているところだ。
「常識」に異を唱える人は「非常識」な人間として徹底的に糾弾され、排除される。

現実はあくまでも認めなくてはならないが、それでも理想を語ることを否定すべきではない。
なんか最近息苦しいのは、このうっとおしい天気だけが原因ではなさそうだ。