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街・山、名所・イベント等、様々な場所に出没!
『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

飛鳥を巡る  ~奈良旅行2日目 2017.3.20(月祝)

2017-03-20 23:05:36 | お泊り旅行記(2006~)

 奈良旅行2日目(2017.3.20(月祝))です。
今日は古代の宮殿や遺跡が数多く存在する明日香(飛鳥)の地を訪問します。

 宿近くのひがしむき商店街。
アーケードの下の有るオブジェ?も鹿が。
奈良らしい光景です。
私の住む相模原だと何が相応しいかな?
JAXA(宇宙航空研究開発機構)が有るから、ハヤブサが一般的なのかな?
あとは東海大相模や青山学院が有る。
「ダイダラボッチ」や「てるて姫」が伝説や昔話。
史跡や名所だと、一遍上人の時宗の総本山だった時代も有る当麻山無量光寺とか、学術的に貴重な田名向原遺跡、勝坂遺跡と言ったところかな。
う~ん、微妙…。

 朝食はひがしむき商店街のカフェ、『森のカフェ ひがしむきgardens』
トーストとパンケーキの2種類を注文。
珈琲も美味しかったです!

 手書きのメッセージカードにほっこりした気分に🎵
こう言ったチョットした物で気分が変わるよなぁ~ (⌒∇⌒)

 「店員さんにとっても良い1日になりますように」

と、返事を書いてテーブルに置いておきました。

「使い回ししようと思ったのに、これじゃぁもう使えないじゃないか!」

と思ったか、気付かずに捨てたか、
 「メッセージカードを書く作業をしていて良かった」とか
 「報われた」
と感じたか・・・。
どうだったかな?

 近鉄奈良駅前には行基像が。
花が活けられていて噴水から水が。
これはどう言った光景を表現しているのかな?

 飛鳥に移動。
途中、平城京の中を通るし、前方後円墳が有ったり、古墳が有ったり、お寺や神社が有ったり・・・と、地図を見ながら右の窓、左の窓を・・・と忙しい。

 凄い!!歴史絵巻の中を走っている感じ。

其処等中に大きな歴史的遺物が転がっています。
凄い所だなぁ。

 駅近くのレンタサイクルで自転車を借りて出発です!
 因みに『駅』の文字の下にペン太達が居ます!

 高松塚古墳。
壁画館は、館内撮影禁止なので写真は有りません。
壁画には、石室を発見した際の
 ①「汚れを含めて全て再現した物」
 ②「汚れなどを除いた形で再現した物」
 ③「石室を原寸大で再現した物」
が有ります。
石室は「意外に狭く、背の低い物」だったんですね。
ちょっと印象が違いました。
教科書では分からないよなぁ~。

 壁画館を見た後、古墳を見ると、また印象が変わりました。
夫々の古墳の地下にはあのような物が有るんだよなぁ~。

 奥に見えるのは文武天皇陵。
42代天皇(683~707)で、在位は697~707。
40代天智天皇、41代持統天皇の子で662~689と、若くして亡くなった草壁皇子が父。
息子は45代聖武天皇。



 文武天皇陵の入口。
石垣と生垣で覆われています。
文武天皇は火葬後に葬られたとの事で、其れだと土葬の様な石棺と石室は作られなかったのかな?
でも火葬後の骨を葬るには大きな墓です。
丘陵地帯なので、元々の山と谷の地形を生かしているのかな?

 周囲は畑や果樹園。
ミカンを売っていたので、購入して四阿や宿で頂きました。
残った1個は自宅で奈良を思いながら・・・。
歴史の地、飛鳥で育ったミカン。
そのエキスが詰まった果実と言う風に考えると、また違う魅力が・・・。
 ミカン100エンの貼り紙の裏に有る看板には、『いちご』の文字も。
苺が売られている時期も有るのかな?

 高松塚古墳でペン太達と。
 「昔の皇子や高句麗から渡来した王族だとか、埋葬されている人の説は複数有るんだって!」
 「盗掘に遭って、銅鏡以外に埋葬品はほぼなかったそうだけれど、どんな物が一緒に埋葬されていたのかな?」
 「お宝か・・・俺だったら」
 「キュウリ」

 次は石舞台遺跡に向かいます。
何だか其処ら中の丘や地面の凸凹が遺跡に見えてくる~!
未だ未だ見つかった居ない物も多いのではないかな?
我々が生きている間に見られる大発見や新たな事実も有るでしょう。
楽しみだなぁ~。

 途中稲渕の棚田で大きな案山子が。
「真田幸村だよな~」
「何か謂れが有るのかな?」

帰宅後調べたら、毎年案山子祭りが有り、ジャンボ案山子を作るとの事。
『真田丸の影響』と言う事の様です。

 稲渕の棚田!
菜の花が満開でした。

 飛鳥歴史公園の祝戸地区。
中大兄皇子が居たという説が有る宮殿跡等が有るのですが、この日は入口だけ。
次回はもっとゆっくり巡りたいなぁ。

 石舞台遺跡の公園内に有る「夢市茶屋」で昼食。
地元野菜のカレーと古代米の定食。
「黒米カレー ¥860」「古代米御飯 ¥1080」
奈良駅で見たワサビ菜等が入っており、地元野菜や古代米を食べる事が出来ましたし、美味しかったです。
お店で地元産の苺、『飛鳥ルビー』のジャムや苺大福等を購入。

※紹介サイト
あすかであそぼ



 石舞台古墳!!
教科書に載っているやつだ🎵
想像通りでかい!

 で、横に回ると石室への入口が。
こうなっていたんですね。
これは知らなかったし、石室も大きい!

 大人がらくらく出入りできる高さが有る。

 中も高松塚古墳と異なり、広いです。
石組は結構雑で隙間が多い。
土を持り、周囲に堀をめぐらした構造だと言う事もこの日知りました。
石室の上部を上に有った土が流出して石室の上部がさらけ出しになっているとの事。
教科書だと平らな場所に巨岩を積んだ棺の様な物が載っている写真なので、そう言った地形なのかと思った。

 次は飛鳥寺へ。
日本最古の本格的寺院である法興寺の後身。


 飛鳥大仏です。
大きさは2.725m。
609年の建立とされる釈迦如来坐像。
蘇我馬子が廃仏派の物部守屋との戦いに勝利し、飛鳥の地に寺を建てたのが法興寺。
以来蘇我氏の氏寺として、蘇我氏滅亡後も大切にされて栄えた寺。

 う~ん、歴史が物凄い。

 火災の跡等でその際の損傷と修復の跡が明確に残っている飛鳥大仏の顔。
近年X線撮影等で、長年論じられてきた「造営時の姿」と「修復の具合」について新たな説が挙げられています。

 飛鳥大仏は珍しく撮影OKな仏さま。
アーモンド形の眼や平安、鎌倉時代以降の丸型の御顔の仏さまと異なる顔立ちも特徴的です。

 聖徳太子孝養像。
聖徳太子が極間近で見られる。


 有名なお寺で、飛鳥大仏も有名だけれど、小さなお寺です。
昔は非常に広く、五重塔も有り、当時の光景を描いた絵が飛鳥大仏の鎮座する本堂の壁にかかっています。
お寺の方が飛鳥大仏を前にしてお寺の歴史や蘇我氏の話を説明して下さりました。



 西側の門の先には五輪塔が。
これが645年の大化の改新で際に中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足)によって殺害された蘇我入鹿の首塚です。


 首塚の反対側から飛鳥寺を。
周囲は畑です。
左奥の女性は畑作業の途中。
両脇も私の背後も畑です。

 墓の南側、畑の向こうに飛鳥宮跡が見えます。
此処で蘇我入鹿が暗殺され、「首が此処まで飛んできた」と言う伝説が有ります。
「首が数百m飛んで来た」と言う事で、其れが蘇我入鹿の無念さとその怨霊の強さを感じさせます。

 首塚と飛鳥寺の間に飛鳥寺の西門跡の石碑と写真が。


 この地面の下に眠っているんですね。
こう言ったカラーの写真がその場に有ると、想像しやすいですね。

 飛鳥寺を後に橿原駅に向かいます。
信号待ちの際に電信柱の向こうの家の壁に有る物に気付きました!

 守り神?
此処から道が狭くなるので、車の擦れ違いが出来ないから信号が有って、交互に通行するのだけれど、信号側に向いているこの像は?
家の守り神なのか、車をぶつけられる家が敷地の角の部分に岩を置いたり、人に立ちションをされたり、ゴミの不法投棄を避ける為に「小さな鳥居」を置いたり描いたりするのと同じかな?
車除け?厄除?はて・・・


 此処から先の街並みは何とも趣の有る光景。
古い古い町並みで、昔からの海棠の風情が残っています。
自転車か有る気がお薦め。
途中のお宅の中にはゲストハウスも有り、宿泊可能なんですね。
『素泊まり¥〇〇〇』という看板があり、食事は無いのかな?
食事や買い物をするには、この付近は不便だけれど、散策や付近の雰囲気を時間を掛けて感じるには最適な地と建物。
こう言う所に泊まる旅も魅力的だよねぁ。

 周囲は田んぼや畑。
此処が昔は日本の政治の中心地で、当時支配していた広大な領土を統治していた・・・とは、とても考えられない光景。
大きな川や港が有れば、
 「港運に恵まれて・・・」
となるけれど、そう言った物は無いし、山に囲まれて不便な地。
現地に言って感じる事、思う事はとてもとても多いです。

 此処で道端の木に止まっていたモズに出会いました。
スズメ大の鳥で、枝先などに捕まえた獲物を突き刺す行為で知られる鳥。
「餌の備蓄」とか「縄張りを示す行為」等と言われています。


 水落遺跡を道沿いから見て橿原駅に向かおうと思ったのだけれど、大通り沿いではなく、もう1本中側だった様で、気付いた時には通り過ぎていました。
残念だけれど、そのせいで『雷丘』と言う史跡と看板に遭遇。
これも怪我の功名だけれど、そこら中に史跡が有るのが凄いなぁ~。


 橿原駅前の明日香レンタサイクルで自転車を返します。
飛鳥レンタサイクルは、数百円高くなりますが、他の場所でも返却可能。
「返却は同じ場所のみ」
と言うお店も有るので、「散策する場所」と「帰りの電車に乗る駅」を考慮した上でお店を選ぶのが良いです。

 橿原駅。
こちら側は特別な感じはしませんが、反対側は「橿原神宮の最寄り駅」と言う事を考慮した感じの造りになっています。

 で、見付けたのがこのお店。

「橿原名物 はにわ人形」

実は2店舗並んで建っています。
道路の反対側から見ていましたが、店内には大小の埴輪がズラリ。
どちらも結構歴史の有るお店に見えるけれど、長年それで生計を立ててきたのだろうから、一定の売り上げが有ると言う事なんだろうなぁ。
橿原名物は埴輪なのか。
じっくり見てみたかったなぁ~。


 橿原に来たので、折角だから橿原神宮へ。
橿原神宮は、初代天皇である神武天皇の宮殿が有ったとされる地に建てられた神社。
明治23年創建と、歴史は浅い神社です。
北側には神武天皇陵も有ります。

 鳥居は朱塗りではなく、大きな真っ直ぐの巨木を使った物。
これだけの真っ直ぐな木を用意するのも大変だろうなぁ~。


 穢れを流す川や池が神社には有りますが、この小さな川がその役目なんでしょう。
でも、水量も少なく生活排水が流れ込んでいるのか、街中を流れた雨水が等が汚れの原因なのか、非常に汚れています。
これも或る意味『穢れ』なのかな?

 ペン太達。
「広いね」
「祝日の夕方だけど、人は居ないね。」
「ガイドブックには載っているけれど、観光客が大挙して訪れる場所ではないんだろうね」
「『神武天皇の秘宝が何処かに』とか、そんな伝説が有れば、埋蔵金ハンターやTBSが来るかもなぁ」
 南神門の向こう側が外拝殿等が有る場所。
高さは無いけれど、門も幅が有るし、兎に角何処も彼処も広々とゆったりと使っている感じ。
素木建の八脚門と言う構造で屋根は切妻造り、銅板葺きです。

 反対側には手水場とその向こうに池が。
こちらも広々。

 門の先には左側にが外拝殿。
拝殿の前も広々。
参道を進んで鳥居をくぐった後、右折して南神門を通り、さらに左折して外拝殿と言うのが特徴的。
真っ直ぐではなく、2度も曲がるんですね。

 外拝殿。
左端が参集所。
どっしり、ゆったりと言うのが特徴なのかな。

 名物の巨大絵馬。
この鳥が可愛い。
破魔矢に付いていた鳥も可愛かったなぁ~。


 外拝殿の中から内拝殿と廻廊。
背後の山は『畝傍山(うねびやま)』。
198.8mの標高。

 こんな可愛いおみくじも。


 金鵄(きんし)みくじ。
金鵄は、日本書紀に登場する神武天皇の戦いで功績が有った鳥。
白と黒で描くとペンギンみたい・・・。

 こちらは『鮎みくじ』
「魚に占う」と言う造りである事で、戦いの勝敗を鮎で占った事に由来するとの事。
鮎と言われなければ、鯉かと思うよなぁ。

 深田池。
周囲を巡る遊歩道が有り、多くの水鳥が居る池。
周囲を猫達がウロウロしていました。


 その中の1匹。
なかなかの貫禄。
ですが、甘い鳴き声をあげていました。


 日没間際の時間帯になってしまいましたが、近鉄奈良駅に戻って昔ながらの街並みが残る『ならまち』を少し散策。
お店は既に閉店していたり、閉店間際の時間帯だったり。
ほんの少しだけ見て廻る事が出来ました。

 庚申堂の前にて。


 屋根の上におさるさんが居ます。


 夕飯は『ひがしむき商店街』内の喫茶店兼食堂で。
ハンバーグ定食。
奈良名物と郷土料理ではないけれど、地元で長く営業している感じのお店での食事。
安価で量も多く、なかなか良かったです。


 宿に戻って。
金鵄と鮎。
う~ん、可愛い🎵


 橿原神宮の御朱印です。
いたってシンプルですね。

 時間が有ったので、橿原神宮にも行ったのですが、「良かったなぁ」と。
他にも彼方此方行きたかったし、多くの遺跡や寺社の近くを通っただけに、本当は立ち寄りたかったなぁ。



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