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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

本宮、中宮を巡るも少しばかり次回に持ち越し ~13社巡り⑥ 2017.3.25(土)

2017-03-25 22:10:47 | 街・観光地編2017

 海老名の有鹿神社へ行きました。
お供は何時も通りペン太達。

 前回は夕方でしたし、その日は他の神社で祭事が有り、宮司さんがお留守と言う事を知っており、当然ながら御朱印は無し。
今回はどうなのかな?
まぁ、どちらにせよ今回は真昼間の明るい時間帯にゆっくり、じっくり参拝出来るでしょう。

 2度目なので、道に迷ったし、調べる必要も無く、スイスイと到着。


 参拝しておられる方の姿が見えましたし、この少し手前でお宮参りの帰りの御家族とすれ違いました。
と言う事は、宮司さんがいらっしゃると言う事かと。

 拝殿の扉も開いているし、社務所の扉も開いていました。


 でも、次々にお宮参りの御家族が現れ、宮司さんはお宮参りの方々と拝殿の中へ。
社務所の前に有る『書き置きの御朱印』を頂きました。
社務所入口に有った御札については、社務所の中に居られた方は
 「何処にしまってあるか分からないなぁ。」
 「儀式が始まったばかりだから、30分位待てば終わると思うけど、自分は出掛けるから、此処(社務所)も閉めてしまうので、外で待っていて」
との事。

 さて、どうしよう。
先ずは前回出来なかった境内をじっくり見て廻ろうか。
 右手のお社へ。
有鹿天神社
前回は気付かなかったなぁ。


 社務所(右)と拝殿と本殿。
こう言った造りだったんだね。


 境内の外側、道に向けて地図が。
中宮の『三王三柱神社』、『有鹿池』が近くに有る事は知っていたけれど、これは分かり易い。
折角だから行ってみよう!ちなみに総持院は、明治の神仏分離迄、有鹿神社の別当を兼ねていた寺。


 三王三柱神社は小さな神社でした。


 これが有鹿井と言う化粧井戸。
有鹿池見付かった石をこの井戸で洗って(清めた)との事。
今は、水も無く、石や落ち葉、小枝が散らばっているだけ。
数10㎝下が底で、とても水が湧いていたようには感じられない。
地下水位が低下したと言う事なんだろうなぁ。
舗装等の街の近代化の影響なのかな?
何時頃まで水が湧いていたのかな?
流れ出た水を流す水の通り道が無いけれど、昔はどうだったのだろう?

 神社の拝殿。
道(鳥居)から拝殿迄数mという小さな小さな神社です。


 ペン太達と。


 神社の石柱で。


 次は有鹿之池に。


 鳥居の先には橋と、その奥に石製のお社が。


 橋の両端はチョットした窪みが有り、これが池なんだろうなぁ~。
池を囲う石組みは有りますが、大人の歩幅で1歩と言う幅の小さい池。
横幅は3~4m位かな?
殆ど落ち葉と土で埋まっていて、池や池の跡と言う感じも無い。



 橋の上で。


 こんな感じ。
弁慶と義経の人形が有れば、似合うなぁ。


 橋と池。
せめて、池の中の土を取り除いて、窪みを明確にし、小さな白い玉石を敷いて池を囲む大きい石と違いを明確にすると言った姿になると、良いなぁ。
先程の井戸よりは、
 「以前は少ないながらも水が有った」
と言う感じが残っている場所でした。


 同じ道を戻るのも何なので、1本隣の道を戻る事に。
県立相模三川公園の看板が。
どの様な公園なんだろう?
三川と言うのは、3つの川が合流すると言う事かな?
相模川に中津川、小鮎川が合流するのはこの辺りだったっけ?

 再び有鹿神社に。
今度は拝殿の左側を。
先程の有鹿天神社よりも遥かに小さなお社が。
でも、墨で書かれた神様の名が掛かれた木札の文字も薄くなり、どう言った神社なのか分かりませんでした。
帰宅後調べたみると「日枝社・稲荷社・諏訪社」の三社との事。
確かに『日枝社の神様である』『大己貴命』ような文字が札に書かれていたなぁ


 昔の手水場。
新しい物を作った後、此処に移したのかな?



 鳥居横の『相模國13座内 有鹿神社』と彫られている石柱



 結局御札は頂けなかったけれど、取りあえず無事参拝!

 直ぐ近くの総持院。

 有鹿神社の御朱印。

 こちらは一緒に頂いた略記。
鎮座地は海老名市上郷だけれど、『神社本部』は海老名市大谷南。
他の神社が有鹿神社を管理している訳ではないので、これは住職のお住まいなのかな?

 御札は、また機会が有れば参拝しよう。
ユキさんが出勤で、私1人が休みの天気の良い日に、相模原市の勝坂遺跡近くに有る奥宮も訪れよう。



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