本日の訪問者は、平成3年3月(平成2年度)卒業の 目黒(富貫)めぐみさんです。
担任の先生は中学入学時が長谷川嘉一先生、高校3年が吉田博子先生でした。
めぐみさんは生後7ヶ月で肝臓病を発症して、22才で肝臓移植の手術を受けるまで苦しみました。
肝臓移植手術を受ける決意をしたのは、22才で余命5ヶ月と宣告されたからでした。
移植でしか治療方法がない、と診断されても日本国内では肝臓移植が認められておらず、一縷の望を持ってオーストラリアへ渡りました。
病名は「バイラー病」と言うもので、遺伝子の先天的な異常により、肝臓から胆汁が出ない難病です。進行すると肝硬変に移行して行きます。
オーストラリアへ到着後は、余りにも身の危険が迫っており緊急を要すると診断され、移植を望む待機患者を差し置いて優先順位一位にしてくれて、3ヶ月待った後に無事移植手術を受ける事ができました。
中学高校時代は黄疸が強く出て、「かゆみ」が酷く まともに勉強ができませんでした。
29才から30才になる時に、自分に自信をつけてしっかりした30才になりたいと思い、東京シティーロードレース10km移植者の部に3回出場して完走しました。
このマラソンは東京マラソンの前身で、今年の東京マラソンで5回目の出場となりました。
東京マラソン2008では、移植者女子の部6人中4位、タイムは1時間39分15秒で完走することができました。
読売新聞社から表彰され、マラソン選手の有森さんからメダルを授与される栄誉を得ました。
この表彰の様子は2008年2月5日付の読売新聞夕刊で紹介され写真付で載っています。
余命5ヶ月と宣告された肝臓病患者が、2年前にバイトで知り合った3才年下の男性と結婚して幸福な生活を送っている事は驚きで、まるで夢を見ているようです。
結婚式では長谷川嘉一先生にスピーチをして頂きました。
「いつの日かフルマラソンを走るのが夢です。」と目を輝かせていました。
担任の先生は中学入学時が長谷川嘉一先生、高校3年が吉田博子先生でした。
めぐみさんは生後7ヶ月で肝臓病を発症して、22才で肝臓移植の手術を受けるまで苦しみました。
肝臓移植手術を受ける決意をしたのは、22才で余命5ヶ月と宣告されたからでした。
移植でしか治療方法がない、と診断されても日本国内では肝臓移植が認められておらず、一縷の望を持ってオーストラリアへ渡りました。
病名は「バイラー病」と言うもので、遺伝子の先天的な異常により、肝臓から胆汁が出ない難病です。進行すると肝硬変に移行して行きます。
オーストラリアへ到着後は、余りにも身の危険が迫っており緊急を要すると診断され、移植を望む待機患者を差し置いて優先順位一位にしてくれて、3ヶ月待った後に無事移植手術を受ける事ができました。
中学高校時代は黄疸が強く出て、「かゆみ」が酷く まともに勉強ができませんでした。
29才から30才になる時に、自分に自信をつけてしっかりした30才になりたいと思い、東京シティーロードレース10km移植者の部に3回出場して完走しました。
このマラソンは東京マラソンの前身で、今年の東京マラソンで5回目の出場となりました。
東京マラソン2008では、移植者女子の部6人中4位、タイムは1時間39分15秒で完走することができました。
読売新聞社から表彰され、マラソン選手の有森さんからメダルを授与される栄誉を得ました。
この表彰の様子は2008年2月5日付の読売新聞夕刊で紹介され写真付で載っています。
余命5ヶ月と宣告された肝臓病患者が、2年前にバイトで知り合った3才年下の男性と結婚して幸福な生活を送っている事は驚きで、まるで夢を見ているようです。
結婚式では長谷川嘉一先生にスピーチをして頂きました。
「いつの日かフルマラソンを走るのが夢です。」と目を輝かせていました。
はじめまして、
第7回万里の長城マラソンへようこそ!
コース:5km/10km/ハーフ/10kmウオーキング
開催地:2008年五輪大会の中国北京
開催日:2008年5月1日(GW中)。
☆資料請求はこちら
http://www.greatwallmarathon.jp/request.htm
よろしくお願い致します。
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万里の長城マラソン責任者
朱 貴華
greatwallmarathon_japan@yahoo.co.jp
日本語協力WEBサイト:http://www.greatwallmarathon.jp
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懐かしい先生方にお会い出来て、本当に嬉しかったです!!!!!!!
学生時代が具合の悪いピークだったので、今の元気で幸せな姿を見て頂き、当時お世話になった先生方に安心して頂けて、恩返しになったかな?と思いました。
追記させて下さい。
オーストラリアで、待機患者を差し置いて優先されたのは、命の時間が短かったからです。
2月5日付の読売新聞夕刊は、走る前の取材で載ったものです。
東京マラソン後、2月18日の読売新聞朝刊では、写真の掲載はなく、文字だけでしたが、表彰された様子が載っています。
フルマラソン走りたいです♪頑張りますね☆
お元気になられたこと、そして現在のご活躍をうかがい知ることができ、本当に喜ばしく思います。
私は卒業後看護師となりました。
医療者としても、移植手術を乗り越え、常に挑戦し続けるバイタリティを持つ先輩の姿に胸を打たれました。
今後のご活躍をお祈りいたします。
覚えていて頂き、私の今があるのは、あなたのおかげですね。感謝します!!!!!
看護士さんをされているそうで、一患者として、心強く思います。
今年は、東京マラソンの抽選にハズれちゃったんです(>_<)だから、応援にまわります。
つい先日、名古屋で医療従事者向けの移植体験談を講演をして来ました。
近況は、昨年、流産してしまい、その後インフルエンザにかかり、踏んだり蹴ったりですが、前向きに多方面で頑張りますので、今後とも応援をよろしくお願い致しますm(_ _)m
移植手術を受け元気に過ごされていると聞きとても嬉しくなりました。
私も結婚し、2児の母になりました。
家族一同、富貫先輩の今後のご活躍をお祈りいたしております。
書き込みを頂き、どなたかなぁ~と考えていますが、ちょっと思い付きません…ゴメンナサイ。良かったらホームページ内のメールで連絡下さいね。
私は、一昨年、双子ちゃんを流産してしまい、極度の貧血等…あちこち崩れてしまい、未だ立て直しているところです。またいつか私のおなかに戻って来てくれるよう願っています。
M.Oさんも、身体に気をつけて、これからも今まで以上にお幸せに♪
最後になりましたが、M.Oさんの記憶の中にいられたことが、とても嬉しかったです☆生きてて良かったなぁ(*´▽`*)