11月16日(土)
もう誰も住まなくなっている実家の雪囲いを手伝うために、父と新潟に行ってきました。
雪囲い(ゆきがこい)とは、冬の間雪おろしをする際に家を傷めないよう建物の周りに壁を作ってまもる設備のことです。
こうした壁となる柱を一枚一枚立てていき、
建物の廻りを囲むのです。
こうして一枚づつ縄や針金で固定していきます。
一枚一枚取り付る場所によって長さや形状が決まっているので、
今となっては私の父にしかどの柱がどの部分に取り付けられるのかわかりません。
取り付けはまだ木が乾燥していて軽いのですが、取り外す時は雪の湿気で大変な重さになります。
10枚を越える雪囲いの柱を30年以上、父はほとんど一人でやってきました。
大変な重労働です。
この建物は市の都市計画に合わせて来年の6月までに取り壊されることが決まっています。
長屋づくりの建物は裏側から見るととても複雑な構造です。
土地も両隣りを借地として貸していたのですがそれぞれもう行き先がきまっているのでまとめて壊すことになってます。
冬の間雪の重みで崩れて周囲に迷惑をかけることが無いよう、これが最後の雪囲いとなりました。
建てられて100年位。
祖父も祖母も亡くなり誰も住まなくなって30年近く経った古い家は、今はひっそりと埃をかぶって眠っています。
雪囲いの設備や道具をしまってある蔵ももうボロボロでやれ寺のようです。
小京都の面影がまだ残った裏通りの風景を見ていると、子供の頃の懐かしい記憶が呼び起こされます。
子供の頃、自転車ごと落ちた水路も当時と全然変わっていません(笑)。
表通りの雁木(がんぎ)も変わってないな。
あの頃は見上げていた看板にも
今は手が届くんだもんね。
都市計画で街の風景がどんどん変わっていきます。
もう私が住んでいた街じゃない部分も多くなりました。
帰りの関越から
八海山ももうすぐ雪に包まれようとしています。
いつもとは少し違った郷愁を覚える帰省となりました。
誰が見ても懐かしさを感じる日本の街。
刷新されて行く事は仕方ないのかもしれないけど、
残しておけるものは残して欲しいって思いますね。
確かにその水路幅、チャリンコごとダイブできますねw
少し前までは変わっていく街並みに感傷的な感情が強かったのですが、
最近は新しくなっていくことにそれほど抵抗感がなくなりました。
ただ寂れて無くなっていくことの方が悲しいと思うようになったからだと思います。
水路に落っこちたのは「前から車、後ろから犬が吠えて追ってきた」という状況でのことでだったんですが、
家族には未だに信じてもらえてません。
「手放し運転でふざけていたんだろう」と…(笑)。
田植え直後…(笑)
他人様の田んぼだったら尚ばつが悪いですね~。
長野市に住んでいた頃は幼稚園の送迎バスの待合場所まで田んぼのあぜ道だった記憶があります。
楽しかったな~。
生まれた今回の新潟県加茂市、それから長野県長野市、群馬県桐生市、高崎市と、
私には4つのふるさとがあります。
どの土地にも思い出がたくさんありますが、幼少時代に田舎で過ごせた時間は
今では本当に宝物のように思えます。
ご実家には止まったままの「時間」が存在してるんですね~
ホントはちょっと疲れたときに、戻れる場所であればいいのですが...
こうやってブログに残すことで、「止まった時」を別の場所に留めることができて良かったんじゃないでしょうか。
ありがとうございます。
仰る通り、ブログに残しておくことって後から見返すととてもすばらしい思い出になりますね。
このブログも早いもので8年目になりました。
一時期中断していたこともありますが(笑)、皆さんとの出会いや身に起こった出来事など本当に様々な思い出が詰まっています。
今は人生の転機なんでまた今後どうなるかわかりませんが、
このブログを続けていけるよう頑張りたいと思います。