光が丘の歴史 2・・・・・〈グラントハイツの話〉
戦争が終わって、成増飛行場は『つわもの共の夢の跡』となってしまいました。
敗戦によりここは、連合国に接収されます。
昭和22年練馬区が独立した年(それまでは板橋区でした。練馬区は都内で23番目の区です)、連合国軍が飛行場跡地をグラントハイツと改称し、アメリカ陸軍航空軍の家族宿舎を建設しました。
明治12年(1879年)に来日したこともあるアメリカ合衆国第18代大統領グラント将軍にちなんでの命名です。
昭和20~30年代、貧しさのなか復興を遂げていく日本人社会とはまた違った世界を覗いてみましようか・・・
入口の検問所。ここで、許可証を提示しないと中には入れません。
父は、グラントハイツの一部を通らないと中学校へ通えなかったそうで、パスのようなものを見せて通学したと言ってました。
映画館。どうも消防訓練中のようですね
郵便局
教会
メインストリート
PX ポスト・エクスチェンジ 購買部でしようか・・・
あらゆる生活用品がノータックスで買えたようです。
父は白子川で泳いだそうですが、ここにはプール
なんだか、映画の世界ですね。
グラントハイツ周辺には日本土産のお店が・・・
「ALWAYS三丁目の夕日」みたい
施設内には、鉄道がひかれ、駅・バスターミナル・ヘリポート・診療所・免税店・礼拝堂・学校・消防署・プール・映画館・ゴルフ練習場・将校クラブ・下士官クラブ・モータープール・空調施設内燃工場(ボイラー室)などがあり、メイドやボーイ、運転手として働いていた日本人も多かったようです。
父が真冬の通学時に米軍住宅を覗くとみんな半袖姿。「こっちは寒くてたくさん着込んでいるのになぁ・・・」と
日本人にはストーブすら使えない時代にセントラルヒーティングなんですから、羨ましい限りですよね!
そして、昭和35年頃から土地返還運動が起こります。
つづく
上記の写真は、岡修身様のHPより、ご快諾をいただいて掲載したものです。グラントハイツに勤務していたアメリカ陸軍のジム・カーベンター氏が写した写真です。
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