
仏教のインドでの衰退は、歴史的に見ても非常に興味深いテーマだ。なぜ仏教が生まれた地で衰退し、他の地域で発展したのか? これは宗教の変容や社会の変化を考える上で重要なポイントだと思う。
ナーランダー寺院(ナーランダー僧院)は、5世紀頃に創建され、インド仏教の最高学府 として繁栄した。ここでは、大乗・小乗仏教の兼学が研究され、ナーガールジュナ(龍樹)をはじめとする仏教学者が活躍した。しかし12世紀には破壊され、仏教そのものも衰退していき時代とともにヒンドゥー教が再び勢力を強め、仏教徒を吸収していった。
多くの仏教の神々や教義がヒンドゥー教に取り込まれ、仏教も密教を取り入れヒンドゥー色が強くなり独自性が薄れていった。
12世紀末、トルコ系イスラム王朝の侵攻 により、ナーランダー寺院を含む多くの仏教僧院が破壊された。
インド仏教は、僧院(サンガ)を中心とする宗教 だった。ナーランダー僧院の玄奘の象で送り迎えされる豪華な生活が展開された結果一般信徒との距離が広がり、社会とのつながりが弱まり、庶民の支持を失っていった とも言われている。(佐々木閑氏)
仏教はインドではほぼ消滅しが、東南アジア、チベット、中国、日本 などへ広がり、それぞれの地域で独自の発展を遂げた。特にチベット仏教や日本の各宗派、東南アジアの上座部仏教は、現在も強い影響力を持っている。
仏教のインドでの衰退は、宗教が社会や政治の変化、他宗教の存在に大きく左右される ことを示している。
宗教は「純粋な信仰 僧侶の涅槃の追求修行」だけではなく、社会とのつながりが重要 である。
歴史的な変化(他宗教の台頭、侵略など)に対応できないと、宗教は消滅する可能性があることを教えている。
玄奘(三蔵法師)が7世紀にインドを訪れた際、仏教はすでに庶民と共にある宗教ではなくなり、特権階級の宗教になっていた ことがわかります。佐々木閑氏は特にこの点を強調しています。紀野一義氏も歴史的な見地ではなく現代の僧侶の心構えの不徹底、贅沢、家族への過剰な思いを時に批判している。
玄奘が訪れた7世紀のインドでは、仏教はまだ存在していたものの、ナーランダー僧院などの大寺院を中心とする「学問・修行の宗教」 になっていた。
「象に乗って往来する」 という記録からもわかるように、仏教僧は王侯貴族の庇護を受け、贅沢な暮らしをしていた者も多かった。
これは、初期仏教の質素な修行生活とはかけ離れたもの であり、仏教が「庶民と共にある宗教」ではなくなっていたことを示している。
ヒンドゥー教側は、庶民の間に強い影響力を持つ現世利益的神々を取り込み密教的要素を活発化させた。これにより、仏教よりも庶民に寄り添う宗教として復権していった。
一方で王侯貴族に対しても、「ヒンドゥー教を支援することで伝統的な社会秩序が安定する」 ことを強調し、両面作戦で仏教の勢力を押し返した。王侯貴族に対してはカーストの利点をとき、民衆には現世利益的神々をアピールすることで実に巧みな戦略を実施した。
12世紀のイスラム勢力の侵攻は、「最後の一撃」にすぎず、すでに仏教は内側から崩れていた。
「大乗仏教の発展はインド仏教の衰退を早める要因の一つになった可能性がある」 と言える。
大乗仏教(マハーヤーナ) は、紀元前後にインドで発展し、「すべての人が仏になれる(菩薩思想)」という教えを打ち出した。
理論的・哲学的な発展が進み、ナーガールジュナ(龍樹) などの思想家が登場。
ナーランダー僧院などの大寺院が学問の中心 となり、知識人・貴族の支持を得た。
しかし、この発展が皮肉なことに逆にインドでの仏教の衰退を早めたとも考えらる。
初期仏教(上座部仏教・部派仏教)は 比較的シンプルな教義で実践が中心 だった。
しかし、大乗仏教は「空の哲学」(中観・唯識) などの難解な教義を発展させ、民衆にとって学問的になりすぎた。
その結果、庶民には理解しにくく、次第に「僧侶と知識人の宗教」になっていった。
これに対し、ヒンドゥー教のバクティ運動は庶民に分かりやすく広がった。
大乗仏教は、ヒンドゥー教の神々や概念を取り入れた(観音菩薩、弥勒菩薩など)。
しかし、結果的にヒンドゥー教との境界が曖昧になり、仏教独自のアイデンティティが弱まった。
例えば、観音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)は、ヒンドゥー教のシヴァ神の影響を受けた。
最終的に、庶民にとって「仏教とヒンドゥー教の違いが分かりにくくなり、ヒンドゥー教に戻る人が増えた」。
初期の仏教は「托鉢(たくはつ)」を通じて在家信者(一般庶民)と密接な関係を持っていた。
しかし、大乗仏教は王侯貴族の庇護を受けた大規模な僧院(ナーランダー僧院など)に依存するようになった。
その結果、仏教は庶民と乖離し、ヒンドゥー教の民衆信仰に対抗できなくなった。
ヒンドゥー教は仏教の教えを取り込み、「仏陀はヴィシュヌ神の化身の一つ」として位置づける ことで、仏教徒を吸収していった。実に巧みなマーケティング手法を取り入れたのだ。
そのため、「大乗仏教の勃興はインドでの仏教衰退を早めた」と言うこともできる 。
しかし、一方で大乗仏教は、インドから衰退した後に中国・チベット・日本・朝鮮半島・ベトナムなどに伝わり、むしろ世界的な発展を遂げたという点も極めて重要だ。
つまり、インドでは仏教衰退の要因になったが、世界的には仏教を広げる要因になった という、二つの側面があると言える。
中国に伝わった仏教は、初期の上座部仏教(小乗)ではなく、すでに変容した大乗仏教だった ことが重要だ。
中国に伝来したのは1世紀ごろ(後漢時代) であり、その時点で既に大乗仏教が発展していた。
経典も、「般若経」「法華経」「華厳経」などの大乗経典が中心 で、上座部仏教の教えはほとんど入ってこなかった。
つまり、中国人は「インドで変容した後の仏教(大乗)」を初めから受け取ったため、それが「自然な仏教」として広まった。
中国はもともと 儒教と道教の思想が根付いた社会だった。
儒教 は倫理と政治の実践を重視し、道教 は宇宙観や不老長寿などの実践を重視した。
仏教が中国に入ると、理論的な哲学よりも、実践的な面が重視された。
例:禅宗(瞑想中心)、浄土教(阿弥陀仏への信仰)、華厳宗(全てが相互に関連する世界観)。
そのため、「哲学的な小難しい仏教」ではなく、「生き方や修行に活かせる仏教」として発展した。
インドでは、仏教は学問化・哲学化しすぎて衰退していったが、中国では社会のニーズに合う形に変容したため、生き残った。
儒教・道教に馴染む形で仏教が変容した。
例:仏教の「空(無我)」の概念は、道教の「無(老子の思想)」と結びついて受け入れられた。
例:浄土教の「阿弥陀仏にすがれば救われる」という思想は、儒教的な「孝」や道教的な「不老不死」の考えと親和性があった。
追記そのため、「中国では変容した仏教が競合がないため自然に受け入れられた」と言える。逆にインドでは変容したヒンドゥーが変容した仏教を駆逐した。
追記 ストーパの誕生もヒンドゥとの違いを縮めたかもしれない。アショーカの行為が1000年後のインド仏教衰退を招いた遠因か?も今後の継続課題だ。


