
紀野一義氏は空について、般若経群で出てきた大乗を象徴する概念だがそれについての解説書は無数にあるといい、しかし読んでも今ひとつわからないという。
だからもっと身近なことから考えようといい、空→虚空から虚空遍歴(山本周五郎の作品)に至るまで身近に(文学的に)落とし込んで考える。
虚空は空であり、遍歴は色だと。なんだか腑に落ちるね。

一方、佐々木閑氏は大乗の般若経群に至って空という概念を作り出したという。そしてそれ以上の説明はしないようだ。
まあ、私なりには真理を空と表現したのかなと理解している。悟りに至らないと見えてこない世界観を全て空という至上概念で表したとも思う。

紀野一義氏は文学的であり、佐々木閑氏はあくまで理性的に文献学的に説明しようとするのでよくわからない概念はそれ以上深入りしない。
どちらが好みかといえば紀野一義流だが、佐々木閑氏の学識があって光ってくるようにも思う。どちらもありきたりの説明をしない点が一致している。

