ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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真実を知ることの意味(石巻市立大川小学校の父母にとって)

2012年04月03日 | マミム・メモ

  

 3.11以後、私はブログや勉強会などで「釜石の奇跡」を生んだ防災教育を紹介してきた。「自分の命は自分で守る」という、片田敏孝(群馬大学大学院教授)の指導の下にすすめられた釜石市教育委員会の取り組みは、単に防災のためばかりでなく、主体的に生きる力を育むという教育の基を考えるにあたって示唆に富む。

「釜石の奇跡」を語るとき、私の脳裏にはつねに「大川小学校の悲劇」があった。あの日、石巻市の大川小学校では児童108人のうち74人(教職員を合わせると84人)が死亡あるいは行方不明になった。同じように津波に襲われた近隣の小学校では犠牲者が出なかったのに、どうしてこのような事態に至ったのか? 真相を求める保護者らにたいして学校も教育委員会もこれまでのところ納得のいく説明をしていない。そんな事後の対応もふくめて、言葉で言いつくせないほど悲しく、腹立たしい。悔しく、どうにもやりきれない思いがつのる。子どもを亡くした父母の悲しみを想うと、私には何も語れなかった。

 そんなとき、3.11以後、犠牲になった子どもたちの父母に寄り添って子どもたちの捜索と真相究明の経過を見てこられた二瓶龍彦さんのことを知った。二瓶さんは、現在発売中の『週刊金曜日』(3月30日号、講談社)に「真相究明を求める父母たち」という文章を寄稿しておられるが、記事に盛り込めなかった多くの事実をtwitterでも発信しておられる。この問題をみんなで語り、考えるきっかけになることを願って、以下にその一端を転載させていただく。

週刊 金曜日 2012年 3/30号 [雑誌]
クリエーター情報なし
金曜日

・生徒74人、教職員10人の犠牲を出した石巻市立大川小学校。学校管理下で起きたこの悲劇が、人災であったということを認識している人が意外と少ないのに驚く。地元以外はまだあまり知られていないのか。そこからまた丁寧に書かなければならない。

・大川小学校の子どもたちが、校庭で過ごした津波が来るまでの恐怖の50分間。泣いている子も、立っていられない子も、気分を悪くして吐いていた子も。中には「こんなところで死んでたまるか」と友だちと励ましあっていた子も。津波が来た瞬間、子どもたちはいったい何を見たのだろうか。

・石巻市立大川小学校の保護者たちは、震災翌日の12日からわが子を自ら捜しはじめた。学校にいたから助かっていると信じていた父や母たち。わが子を捜す彼らの手。その手を思うと、今も胸をえぐられる。

・ある遺族は、わが子を発見して抱き上げたとき、その子の目からひと筋涙が零れ落ちたのを見た。そう話す父の目からも涙が零れ落ちていた

・ある遺族は「どうして学校からあんな姿で帰ってこなければならなかったのか。ビニールシートに包まれて、裸にされて、目や鼻や耳には泥が詰まって」と涙した。そして「これから学校は入学の際は、子どもの命は守らないということを保護者に伝えるべき」と怒りに身を震わせた

・あの日、大川小学校にはスクールバスも来ていた。学校の指示待ちとして待機。そしてバスの運転手も犠牲となる。高学年の子たちは裏山に逃げ、小さな子や非難してきた高齢者たちはこのバスで逃げていれば、全員が助かったのではないか。同じような条件下の近隣の学校は犠牲を出していない。

・石巻市教育委員会は、大川小の遺族から猛烈な抗議を受けてからしか動いてこなかった。自ら遺族に対して何かをすることは一切なかった。終わったこととして、当たり前のようにうやむやにしようとしてきた。東電と同じ体質。遺族のだれがそれを許すか。遺族はがんばった。水俣の二の舞にならないよう。

・自らの手でわが子を捜し出さなければならなかった大川小の父や母たちは、その悲しみのなかでなぜわが子が犠牲にならなければならなかったのかの理由も捜さなければならなかった。事実を隠された遺族たち

・石巻市立大川小学校の失われた74人の子どもたちは、いったい今なにを見ているだろうか。私たち大人たちを見て、何を思っているだろう。

・大川小の父や母たちは、わが子を見つけてみな同じことをつぶやいた。「ごめんね、ごめんね、ごめんね……」

「避難訓練さえしていればずいぶん事態は変わっていたと思います」と二瓶さんはおっしゃる。「ただ、そういった体質と、その後の遺族に対する校長、市教委の態度から見る体質は同じだと感じています。いつも子どもたちの命が真ん中にない」。

 大川小学校だけの問題ではない。今後、二度と類似の悲劇を起こさないためにも、学校や教師、教委の姿勢と責任の在り方、学校教育の在り方そのものを根本から問い直す必要があるだろう。

追伸:二瓶さんの昨夜のつぶやきから。

・大川小学校の遺族の方から電話が入る。「週刊金曜日」を読んだとのこと。「今までこういう記事はなかった」「丁寧に書いていただいた」と、とても喜んでいただけた。ホッとした。

・またとんでもない話をきく。大川小の遺族たちは、宮城県知事へ直接「ひきつづき行方不明者の捜索」「石巻市教委の人事異動をしない」ことなどを嘆願。そのため知事は大川小に花を手向けに来た。その記事を石巻市広報に職員が書いた。だが、市長がそれをカット。なぜそうしなければならなかったのか。

・大川小学校の生存した子どもたちなどに聞き取り調査をし報告書を作った市教委のひとりは、そのときのメモを廃棄している。常識では考えられない。その人は責任をとることもなく、今回の人事異動で市教委を去り、ある学校の校長となった。責任をとることなく依願退職した柏葉校長につづいた。

 ところで、大川小学校のことを中心に描いた森元修一監督の映画「大津波のあとで」が、震災前後の岩手県大槌町の映像を構成した大久保愉伊監督の「槌音」とともに、4月7日から13日まで神戸アートビレッジセンターで上映される。

上映日時

4月7~9日は午後5時20分から(8日は上映前に森元監督の舞台あいさつがある)

4月12、13日は午後3時40分から(10、11日は休み)

 

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貧しさの富(丹波の古陶が語りかける質素で豊かな生き方)

2012年03月21日 | マミム・メモ

 

 

 20日(春分の日)に特別展「柳宗悦と丹波の古陶」が開催されている兵庫陶芸美術館を訪れた。丹波焼は、工程も作品の佇まいも質素で素朴である。民衆が普段の暮らしに使う雑器であるがゆえに、早く大量につくって安く売らなくてはならない。茶器のように技巧や芸術性を追求する必要はない。だから土や窯にこだわる必要はなく、仕事は無名の職人による無私の労働にゆだねられた。釉薬も銅などは使わず、灰でつくった並釉に鉄分を含んだ黒土や赤土を混ぜたものを使った。出来上がりは一様ではなく、同じ窯で焼いたものでも、火の流れ、天候、薪の種類、窯のなかの位置などによって、個々の作品は多様な姿を見せる。こうして、過度に人為を弄さず、自然に任せる無作為によって、人の手では及ばない力強さと美しさが生まれた。そのことを発見した柳宗悦は、それを「他力による美」「貧しさの富」と讃えた。丹波の古陶には、人智を超えた自然の叡智が宿っているという。(参考:柳宗悦著『丹波の古陶』関西図書出版、昭和56年)

 この展覧会には、宗悦が「静かな渋い布」とたたえた丹波布も合わせて展示されている。かつては佐治木綿と呼ばれ、野良着などにするために使われた縞木綿である。自然から抽出された染料を用いることで、素朴な格子(縞)柄に驚くべき色彩のバリエーションが生み出される。

藍と茶を基本色とし、藍と茶と黄、藍と黄を合わせた緑で縞柄や格子柄を織り上げる。染料は村の周辺で手に入る植物に由来する。藍に加えて、茶色の染料として里山に自生する栗の皮、ヤマモモの樹皮、ハンノキの樹皮などを用いる。黄色は田畑の畔道に生えるコブナグサを中心に、キクイモ、ビワの樹皮を使う。これら自然の染料を媒染剤を変えたり、浸染の回数を加減することで、微妙な色調を表現する。(ウィキペディア

 生活者の使用価値を追求する普段使いの布や雑器は、その制作工程にも作品そのものにも効率が求められる。できるだけ手間を省き、使い勝手のいいものを早くたくさんつくって安く売るためである。そこに過度な装飾を排した「用に即した美」が生みだされる余地がある。それは労働時間を短縮し、均一な製品を大量生産することで最大の利益を求めるビジネスの効率とは正反対のものである。

 実用から離れることなく、実用のうちにおのずから美を表わす民衆の工藝を宗悦は民藝と呼んだ。丹波の民藝には、貧しさから生み出された無量の美しさがある。貧しく質素だからこそ生み出される美しさがあり、その美しさが人々の日々の暮らしを豊かにする。

 宗悦をして民藝のもつ美の力強さに開眼させたのは、朝鮮の文化であった。朝鮮の陶磁器などを通して朝鮮民衆の生活文化の豊かさを高く評価していた宋悦は、1919年(大正8年)に起きた三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧を強く批判した。京城において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮光化門が取り壊されそうになったときも、柳はこれに強く抗議し、結局、移築保存されることになった。昭和15年に沖縄で強制的な標準語励行運動が推進されたときも県当局の姿勢を批判し、琉球方言を擁護した。こうした柳の政治的言論活動の根っこには、地域の生活に根差した民衆の文化への深い理解と敬意がある。

 穏やかな丹波の山懐に抱かれた立杭の佇まいに心が和む。とりわけ、陶芸美術館からの眺めは格別だ。展示棟にいたる通路の一角に設けられた椅子に座ってみる眺め、ミュージアム・ショップの窓枠を通した眺め、カフェの前の広いテラスからの開放的な眺め、茶室からよく剪定された垣根越しに眺める風景、などなど。場所や方向を変え、縁取りをつけたり外したりして見る多彩さに加えて、季節や天候によって変幻する山里の風景に浸る楽しみは尽きることがない。それは、文字通り私にとっての「心のふるさと」である。(茶室で抹茶をいただくときは、丹波焼のコレクションのなかから好きな作家の茶器を選べるのも嬉しい。)

 立杭の集落には多くの窯元があり、周辺には十割そばから山里料理、イタリア料理、カフェなどの食事処が、ひっそりと点在している。そこには、目立たず控えめな丹波の暮らしのスタイルが受け継がれている。散策に疲れたら、広々とした露天風呂と湯温の異なるいくつもの浴槽を備えた源泉かけ流しの「こんだ薬師温泉ぬくもりの湯で時の経つのを忘れることができる。

 

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遊蝶花 春は素朴に 始まれり(71年目の誕生日に思う)

2012年03月07日 | マミム・メモ

 


 今朝は5時前に目を覚まして、ラジオをつけたらNHKの「ラジオ深夜便」が終わろうとしていた。誕生日の花と花ことばのコーナーである。

   今日の誕生日の花は、パンジー

   語源はパンセ、「考える」こと

   花ことばは「物思い」「私のことを忘れないで」

   (つぼみが垂れる形が、物思う姿を連想させるのか?)

   形が蝶に似ているところから「遊蝶花」と呼ばれることもある

 

そこで、今日の一句

   「遊蝶花 春は素朴に 始まれり」水原秋櫻子

 とても祝福された気分で、そのまま、うとうとと一時間ほど至福の二度寝をしてしまった。

 

 昨年、70歳で迎えた3月11日。それからは、これまでの生き方を深いところで問い直す一年だった。17年前に阪神淡路大震災に見舞われたときは、破壊を転換の機ととらえることで元気が出た。しかし、この一年は、自分が直接的な被害を受けたわけでもなく、地理的にも少し距離をおいたところで起こったことなのに、なぜか重苦しい。年齢のせいもあるだろう。自分が当事者でないからよけいに、そんな気分になるのかもしれない。自らが被害を受けた当事者だったり、東北の地まで足を運んで支援活動に参加したりしていたら、そんなことを感じる余裕もなく、がむしゃらに復興に向けて汗をかいていたにちがいない。

 この一年、私には、3.11で浮き彫りになった社会や文明の危機という現実と、そろそろ自分の死を準備する年齢にさしかかっているという現実をどのように折り合いをつけて生きていくのかという課題がのしかかっていた。つい先だっても、毎年、楽しみにしている京都シティフィル合唱団の第37回定期演奏会で、久しぶりに聞いた大曲、バッハの「ロ短調ミサ曲」を見事に演奏しておられて、深い感動につつまれたのだが、演奏会を前にして私と同年代の団員である元英語の先生がなくなられ、ご葬儀ではステージ衣装を着せてお送りしたという話を聞いたばかりだ。他人事とは思えない。
 そんな心境にあった私は、昨年、日隅一雄さんの存在を知って、とても勇気づけられた。フリーのジャーナリストであり弁護士でもある日隅さんは、一年近く前に末期の胆のう癌宣告を受けてからも「闘病」に専念することなく、むしろ癌を受け入れながら、これまでどおりNews for the People in Japan(NPJ)編集長として、「マスゴミ」から排除されがちな情報の流通を人々の立場に立って促進する活動を幅広くつづけておられる。とりわけ、この1月に刊行された『検証 福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したのか』(木野龍逸さんとの共著、岩波書店、2012/1)は、福島原発事故以後の東電と政府の記者会見で「語られたこと」と「語られなかったこと」、それをメディアは「どう伝えたか」を整理した貴重な記録である。そこから見えてくるのは、主権者である国民不在の姿勢だ。その意味でも近く発行される予定の日隅さんの『「主権者」は誰か』(岩波ブックレット)にも期待している。

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか
クリエーター情報なし
岩波書店

日隅さんの個人ブログは「情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄」

 世代を超えて受け継がれていく人間の営みを、成長と発展ばかりでなく老いと病、そして死という衰退をも視野に入れて見つめるという点で、平川克美さんの最近の著作にも惜しみない喝采を送りたい。
 平川さんは、ジャンルの異なる二冊の本を異なる出版社から同日に出版された。

『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』(ミシマ社、2012/1/20)

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ
クリエーター情報なし
ミシマ社

『俺に似たひと』(医学書院、2012/1/20)

俺に似たひと
クリエーター情報なし
医学書院

 多面的で矛盾に満ちた、複雑な人間の営みを語ることは一筋縄ではいかない。それを平川さんは評論と小説という二筋の縄で編もうとされたのである。それぞれの著作にも幾筋もの語りが絡み合っていて、『俺に似たひと』は、父親の介護と福島原発事故というテーマがtwitterの記録によって繋がれている。
 ラジオデイズを主宰しておられる平川克美さんが、これまでにも経済やビジネスの本を出しておられることは知っていたが、自分には無縁だと思って遠ざけていた。今回はじめて、この二冊を合わせて読んで、平川さんにとっては介護と商いという「身の回りの人間的なちいさな問題を、自らの責任において引き受けること」を通して現状を乗り越えていく姿勢が、私自身の展望としてリアリティをもって見えてくるのだった。4月に出版される予定という『移行期的乱世の思考 「誰も経験したことがない時代」をどう生きるか』(PHP出版)も楽しみだ。
 

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「原発40年廃炉」方針は続行宣言か?(日本こそ脱原発の意思表明を!)

2012年01月16日 | マミム・メモ

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 13日、四国電力の伊方原発2号機が定期検査のため運転を停止した。現在、全国の商業用原発54基のうち定期検査などですでに48基が停止中で、4月には残る5基も定期検査入りする予定だという。できれば、そのまま再稼働しないでほしいと思う。それには、節電と再生可能エネルギーの利用拡大だけでなく、電力供給のシステムを早急に見直して実行すべきだ。発送電の分離、発電・売電の自由化、火力発電所の効率化と利用拡大など、応急避難的な措置もふくめて原発に代わるあらゆる手段を複合的に利用しながら、その過程で長期的な展望に立ったエネルギー政策を固めていくといった道筋をとれないものだろうか。忘れてならないのは、これまで原発を受け入れてきた地域について新たな産業と雇用を創出することだ。それは、今後、原発に依存しないことを前提にして国民経済を活性化する社会システムを生み出す契機になるはずだ。

必要なことは、まず、国が脱原発の意思を明確にすることだ。そのために国民の合意を得ることが大切なのだが・・・政府には、その意思がまったくないように見える。それどころか、原発の再稼働や国外輸出に向けた準備を着実に整えているではないか。たとえば、政府は6日に「原発の寿命を40年とする」ことを原子力安全規制に盛り込むと発表した。メディアのなかには一歩前進と評価する論調もみられたが、はたしてそうだろうか? 

「原発の寿命を40年とする」という方針は「これからも原発を存続する」という前提があって、はじめて意味をもつ。だが「今後、原発を新設しない」とか「40年たてば原発が無くなる」という含意はまったくない。だから、40年を経ても施設の老朽化と保全技術に問題がなければ延長を承認するという例外(とは言えない)規定を設けてある。(18日に加筆:案の定、政府は17日、安全審査をクリアした原発は最長で20年、使用前検査に合格してから60年まで運転延長を認める方針を発表したではないか。「一歩前進」などと評価したメディアの見識を疑う)

それに「原発の寿命を40年とする」ことによって事故が起こるリスクが低くなるわけでもない。原発事故は、老朽化ばかりでなく人為ミスなど、これまでどおり「想定外の」さまざまな原因によって起こる可能性がある。小出裕章さん(9日の「たねまきジャーナル」)によれば、チェルノブイリの事故を起こした原発は建設から2年、スリーマイルの事故は運転開始から3か月だったという。

新たな方針が盛り込まれたからといって、これからも定期的に安全審査をしながら運転を続けるという点では、これまでと変わらない。ここしばらくは、現状では運転の延長も新設も難しいだろうという希望的観測はできる。今後も、その時々の政府の運用方針を国民が厳しく監視しながら脱原発に向けた議論を続けなくてはならないだろう。

 

福島第一原発の事故の後、いち早く脱原発の意思を閣議決定したのはドイツだったが、その背景にはエネルギー・デモクラシーの運動があったといわれる。ドイツ国内において再生可能エネルギーへの転換を求めるこの運動を記録したドキュメンタリー映画が14日に日本の各地で上映された。残念ながら私は、どうしても見に行くことができなかったが、今後も各地で自主上映が行われることを期待したい。

映画「第4の革命―エネルギー・デモクラシー」の紹介

北欧のエネルギーデモクラシー
飯田哲也
新評論

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脱原発のための、わかりやすい論点

2011年09月05日 | マミム・メモ

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 すでに多くのブログで取り上げられているが、9月3日付の『朝日新聞』朝刊〈私の視点〉に「脱原発『なぜ』の徹底議論を」と題する小論が掲載されていた。吉田文和・北海道大学教授とミランダ・シュラーズ・ベルリン自由大学教授の共同による投稿だ。シュラーズ氏は、ドイツで首相が設置した「より安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」の一員として、「2022年までに原発全廃」という方針の決定に参加した。投稿記事は、その要点と、そこから日本が学ぶべきことを端的に指摘している。以下は、その部分の引用である。

・・・・・

       原発の安全性は高くても,事故は起こりうる。

       事故になれば,ほかのどんなエネルギー源よりも危険である。

       次世代に放射性廃棄物処理などを残すのは倫理的問題がある。

       より安全なエネルギー源がある。

       温暖化問題もあるので,化石燃料の使用は解決策ではない。

       再生可能エネルギー普及とエネルギー効率の改善で段階的に原発ゼロに向かうことは,経済にも大きなチャンスになる。

 ここから日本が学ぶべきことは、手段としての原子力の評価だ。発電という目的に対して,地震国での原発のコストとリスク,事故被害の大きさ,将来世代への責任などについて,他の発電手段との比較評価を行うことである。

 その上でなにを選ぶかは,社会の倫理的価値判断に基づいて決めるべきことだ。

・・・・・・・・ 

 政府は、エネルギー政策の決定にあたって、一部の専門家や経済界の意見を重視するのではなく、論点を明確にした上で幅広い国民的議論を促すべきだろう。そして、倫理的価値判断について国民の合意が形成されるまでは、現存する原発の稼働を最小限に抑えておくべきことはいうまでもない。

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人間の尊厳と生存を脅かされている人たちへのまなざし

2011年08月17日 | マミム・メモ

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 終戦記念日の8月15日、NHK総合テレビで放映されたドキュメンタリー「渡辺謙アメリカを行く “9.11テロ”に立ち向かった日系人」を見た。この番組を8月8日付の「シネマトゥデイ」は、以下のように紹介している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 2006年に公開されたジョディー・フォスター主演の映画『フライトプラン』で、飛行機の中から忽然(こつぜん)と娘が姿を消し、パニックになったジョディー演じるカイルが、アラブ・イスラム系の男性を犯人だと思い込み、疑いを掛けるシーンがあるのをご存じだろうか? この映画の主人公の思考、つまりアラブ・イスラム系の人々を犯人と決めつける思考は、当時のアメリカ人の思考、そのものだった。「渡辺謙アメリカを行く“9.11テロ”に立ち向かった日系人」では、アメリカ本土で日系人として初めてアメリカ合衆国下院議員に当選し、“9.11テロ”発生時には運輸長官を務めていたノーマン・ミネタ氏を中心に、第2次世界大戦下、敵国の中でも白人ではないという理由で差別され、強制収容所に送られた過去を持つ日系人たちが、“9.11テロ”によって巻き起こったアラブ・イスラム系の人々への差別に立ち向かった姿に迫ったドキュメンタリー番組だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2001年9月11日のテロ発生後、アラブ・イスラム系の人々への警戒心が高まるなか、ミネタ氏は、飛行機に搭乗する際、アラブ・イスラム系の人々への検査のみを徹底しようとする“人種プロファイリング”の禁止を宣言し、多くの日系市民も、アラブ・イスラム系の人たちを守ろうと立ち上がった。彼らを動かしたのは、70年前に始まった太平洋戦争で日系人たちが直面した偏見と差別の体験だった。10年前の9.11アメリカ同時多発テロと70年前の太平洋戦争を結びつけたもの。それは世代を超えて受け継がれた過去の経験を現在の問題としてとらえる感性だったといえるだろう。この番組の取材をした渡辺氏は「大きなエポックとなる事件が起きたときに、わたしたちは何を考えるべきなのか、何を受け止めるべきなのか、そういうことをたくさん学びました」(シネマトゥデイ、2011年8月8日)とコメントを寄せているという。

  太平洋戦争下にあって在米日系人が受けた処遇の全貌は、ミネタ氏ら日系アメリカ人の努力によって明らかになり、1988年8月10日、当時のレーガン大統領は「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)に署名し、謝罪と補償がされた。このことを踏まえて、日系アメリカ人がアラブ・イスラエル系の人たちに向けたのと同じまなざしを、私たちはアジアの近隣諸国の人々に向けてみる必要があるだろう。

 私たちに求められているのは、歴史的事実の単なる羅列ではなく、問題の構造を見きわめ、それを現在の問題に結びつける感性であり、偏見や差別感情を生み出す心性を看破する感性であろう。それには、一般化された概念によって事象や人を見るのではなく、まず、ひとつひとつ、ひとりひとりと触れることが必要であり、その根底には、人としての尊厳と生存を脅かされている人たちに寄り添う優しさがなくてはならない。

 いま、私たちの眼前には、2011年3月11日に端を発する災害と困難をどう受けとめて、何を考えるかという問題が立ちはだかっている。まずは、中村百合子さんとともに計画している下記のプログラムの中で考えてみることにしたい。

 (緊急企画)情報リテラシー教育に携わる人のための連続講座 

「情報を評価し判断する⼒をいかに育むか」

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わたしたちが良い時をすごしていると(片桐ユズルさんの新しい詩集)

2011年08月04日 | マミム・メモ

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詩人の片桐ユズルさんはどこへ行ってしまったのだろう?

久しぶりの詩集は、いつでるのだろう?

と、あてもなく心待ちにしていた「片桐ユズル詩集」が、思いもかけず、我が家に届けられたとき、一瞬、目を疑った。

なつかしい詩と新しい詩を合わせて約70編。

こうして新しい詩集におさまると、朗読会などで何度も聞いたおなじみの詩も新鮮だ。

この『片桐ユズル詩集 わたしたちが良い時をすごしていると』(コールサック社刊、2011)には、編者であり、発行者であるコールサック社の鈴木比佐雄氏による、ていねいな詩人の紹介と解説を記した栞がついているので、初めての人でも片桐ユズルさんの軌跡を知ることができる。その栞のタイトルで鈴木さんは、片桐ユズルさんのことを、言葉の嘘を感知し「良き時」を共有する言葉を探す人と紹介しておられる。日常の言葉で語られた詩やうたが、その力になりうることは、60年代から70年代にかけて体験してきたことだが、詩もうたもつくらない私としては、日常の「対話」のなかに、良い時を共有する言葉を探してゆこうと思う。

 

本書におさめられた詩のなかで、タイトルにもなっている「わたしたちが良い時をすごしていると」は、とりわけ、いまの私にとって、とても貴重な詩だ。

 

わたしたちが良い時をすごしていると

 

わたしたちが良い時をすごしていると

あのひとが首をつきだして交差点を

わたってくるのが見えたので

わたしたちはかくれた

あのひとはひとの時間をぬすむからね

といいながら気づいた

わたしたちに共有できるのは

時間だけだ

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何のための原子力エネルギーか?: 映画『100,000年後の安全』 を見る。

2011年06月01日 | マミム・メモ

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フィンランドのオルキルオトの地下500メートルに建設中の高レベル放射性廃棄物を地層処分するための施設「オンカロ」を舞台に、このプロジェクトにかかわった専門家たちへのインタビューをとおして10万年後の人類の安全性を問いかけている。 

100年、200年先の話ではない。数千年先でもない。今、私たちが享受している日々の生活を支えている原子力発電が10万年後に生きる人類にどのような結果をもたらすかなんて、考えたこともなかった。そもそも10万年後に地球上に人類は生息しているのだろうか? 人類がこの地球上で高度な文明を維持できるのは、たかだか今後1万年くらいではないか? そう考えると、この映画で想定されていることが非現実的に思え、10万年を想定しておけば1万年は大丈夫だろうと、妙な安堵感を覚える。だが、静かで美しい映像が、ゆったりと進行するなかで、やがて、この途方もない想定が、現在を生きている私たちに、さまざまな問いを投げかけていることに気づく。 

10万年後の人類に私たちが何らかのメッセージを伝える術はあるのか? 10万年の間に私たちの文明はどのように継承され、人類はどのように変容していくのか? 私たちは人類の未来をどのように想定し、どこへ向かおうとしているのか? 科学技術の発達と開発の目的は何か? 私たち自身の手で生み出した脅威に怯え、人類の生存をかけて科学と技術の粋を尽くしているというパラドクスから、どうやって抜け出せばいいのか? 先の話ではない。これから踏み出す一歩が、10年後、100年後、1,000年後、10,000年後、100,000年後の人類とつながっている。

ハラハラ、ドキドキや感動の涙を求めて見るエンターテインメントとは対局にあるが、観るものをさまざまな思索へと導いてくれる、きわめて芸術性の高いドキュメンタリー映画である。英語もきれいで分かりやすく、高校の教材として使えるだろう。

「毎日、世界中のいたるところで原子力発電所から出される大量の高レベル放射性廃棄物が暫定的な集積所に蓄えられている。その集積所は自然災害、人災、および社会的変化の影響を受けやすいため、地層処分という方法が発案された。フィンランドのオルキルオトでは世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地層処分上の建設が決定し、硬い岩を削って作られる地下都市のようなその巨大システムは、10万年間保持されるように設計されるという。廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、だれがそれを保証できるだろうか。10万年後、そこに暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。彼らはそれを私たちの時代の遺跡や墓、宝物が隠されている場所だと思うかもしれない。そもそも、未来の彼らは私たちの言語や記号を理解するのだろうか。」(「十万年後の安全」公式ホームページより

 

 

予告編1         予告編2

  

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脱・原発を考えるために!(2)

2011年05月18日 | マミム・メモ

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原発の恐怖に怯えながら安全対策を立てるよりも、原発に頼らない新しいライフスタイルを創り上げる努力をする方が、私たちはのびのびと生きられる。そのために、私たちは、自分の内に生息して認識と行動の源泉となっていることばを問い直し、書き換えなくてはならない。以下、さまざまな観点から脱原発を考えるための上質な情報源を選んでみた。


【原子炉の現場で働く研究者から見た原発】
小出裕章・著『隠される原子力・核の真実──原子力の専門家が原発に反対するわけ』(創史社、201112)

隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ
クリエーター情報なし
創史社

原子力にかかわる専門家の立場から、原子力発電の危険性を訴え続けている小出裕章氏 (京都大学原子炉実験所助教)が昨年末に出した本である。小出裕章氏のことばは、明快かつ的確で、ぶれない。そして、何よりも科学者としての良心につらぬかれた正確な物言いを信頼して、私は、3.11の原発事故が起こってから、ネットを通して小出さんのことばに耳を傾けてきた。おかげで、政府や東電の発表が二転三転して、そのたびに弁明に苦慮している様子を見ても聞いても動揺することはない。
小出裕章(京大助教)非公式まとめ
・『世界』20116月号(岩波書店)の原子力特集「原子力からの脱出」にも小出裕章氏のインタビュー記事「ブラックアウトは何故起きたか」が掲載されている。
 
以下は、岩波書店のサイトから転載
執筆者からのメッセージ
 原子力発電とは、ウランの核分裂反応を利用した蒸気機関である。今日標準的になった100万kWといわれる原発では1年間に1トンのウランを核分裂させる。広島原爆で核分裂したウランは800gであったから、優に1000倍を超える。原発は機械であり、事故を起こさない機械はない。原発を動かしているのは人間で、間違いを犯さない人間はいない。電気を多量に消費するのは都会だが、万一の事故のことを考えれば、原発を都会に立てることはできなかった。そこで、原発は過疎地に押し付けられ、厖大な電気を使う豊かな生活のためには「必要悪」と言われてきた。私は40年間、いつか破局的な事故が起きると警告してきた。何とか破局的な事故が起きる前に原発を止めたいと願って来た。しかし、福島原発事故は起きてしまった。現在進行中の事故を収束に向かわせるため、今後、多くの作業員が被曝する。周辺の多くの人々も、歴史を刻んできた土地を捨てて避難するか、被曝を覚悟で住み続けるか選択するしかない。それを思うと、言葉にできない無念さがある。
 
これほどの悲劇を前にまだ原発が運転され続けていることを、信じがたい気持ちで私は眺める。世論調査では、停電すると困るので原発は必要とする人が多数いると言う。もし、享楽的生活を続けるために電気が必要と言うのであれば、原発は是非都会に作って欲しい。それができないのであれば、電気が足りようと足りまいと原発は即刻全廃すべきものと私は思う。

 

【原発が既成事実となるまでの動き】
武田徹・著『私たちはこうして「原発大国」を選んだ 増補版「核」論』(中公新書ラクレ、2011年5月)

私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)
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中央公論新社

 書名にあるとおり、本書は『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』 (中公文庫、2006)の増補版である。朝日新聞2011年4月17日「ニュースの本棚」「原発事故とコミュニケーション」で、神里達博(東京大特任准教授、科学史・科学論)は、この本を次のように評している。

 我々は短期的なリスクについてのみならず、今後、社会全体として原子力という技術にどう向き合うべきか、議論を避けるわけにはいかないだろう。そこでは客観的で公平な知識、とりわけ歴史的視座が重要となる。だが長い間、原子力発電を巡る議論は、推進と反対にほぼ完全に分極してきたこともあり、中立的で読みやすい本は少ない。そんな中『「核」論』は、我が国の原子力の歴史を努めて公平な立場から描いた良書である。

 

【文明の転換に向けての視点】
内田樹、中沢新一、平川克美・著『大津波と原発』(朝日新聞出版、2011年5月)

大津波と原発
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朝日新聞出版

 4月5日にラジオデイズのUstreamで配信された内田樹、中沢新一、平川克美の三氏による鼎談「いま、日本に何が起きているのか?」の書籍化したもの。
「未曾有の震災後に浮かび上がる、唯一神のごとき「原発」。原子力という生態圏外のエネルギーの憤怒に、われわれはどう対峙し、無残に切断された歴史を転換させていくべきなのか。白日のもとに晒された危機の本質と来るべき社会のモデルを語り尽くす。」(多摩美術大学芸術人類学研究所)
・中沢氏は、『すばる』2011年6月号・7月号(集英社)に「日本の大転換」を寄稿して、原発に関する文明史的批判を展開しておられる。

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脱・原発を考えるために!

2011年05月17日 | マミム・メモ

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万年生きると言われて買った亀がその日のうちに死んでしまった。クレームをつけにいったら、店主が「きっと、その日が一万年目だったのだろう」という。そんな落語の小噺を今、私たちは笑ってはいられない。2011311日、869年の貞観地震を上回る地震と津波が襲い、「5重の安全策がとられているから安全」と言われた原子力発電所が、100%安全でないことが証明された。確率的には、こういう事態が起こりうることは認識できるのに、あえて想定から外した。「原発はCO2を出さないからクリーンでエコなエネルギー源」のはずだったが、放射性物質を永遠に閉じ込めておくことができなかった。あまりにも悲しい証明だ。脱原発を訴えでも、「日本の電力の3割(関西電力の場合は5割)は原子力発電によってまかなわれている」と言われ、だから「原発に依存しないことは現実的ではない」「原発に依存しなければ不自由な生活を強いられ、経済も発展しない」という含意を人々の意識に植え付けてきた。その結果、再生可能エネルギー利用技術の改良と普及が遅れた。

419日、環境NGO「気候ネットワーク」は原発に頼らなくてもCO225%削減できるという試算を発表した。新神奈川県知事に選出された黒岩祐治氏も、自治体の取り組みとして太陽光発電の推進する「神奈川モデル」の構想を打ち出した。かねてから国民の脱原発意識が高く、再生可能エネルギーの利用が進んでいるドイツでは、メルケル政権が脱原発に向けてエネルギー政策の転換を打ち出したという。2011512日の朝日新聞(12面「社説余滴」)によれば、スウェーデンでも原発は10機までとして、国は補助金を出さずに電力会社にゆだね、再生可能エネルギーの開発には手厚く支援しているという。わが国でも、これまで大企業が占有してきた発電と送電の事業を分離して、各地域の自然条件に応じた自然エネルギーによる発電を奨励すれば、電力を有効に利用できるようになるだろう。そのために、まず、既得権益や利権を守ろうとする勢力を断たなくてはならない。 

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福島の子どもたちを放射線被曝から守るために:誰がどういう根拠で安全を保障するのか?

2011年04月30日 | マミム・メモ

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放射線安全学がご専門の小佐古敏荘(こさことしそう)東大教授が、30日付で内閣官房参与を辞任されたという報道に衝撃を受けた。菅政権の福島第一原発事故対応に抗議してのことだが、29日の記者会見で、特に年間被曝(ひばく)放射線量20ミリシーベルトを上限に小学校などの校庭利用を認めた政府の安全基準について「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と訴えられたという。(朝日)

4月19日に出されたこの基準については、国内外の専門家や市民の間で疑問の声が高まっている。政府は、これを撤回するつもりはないというが、学者や専門家の間でも異議のある基準について、原子力安全委員会で認められたということ以外に、この基準が安全であるという、何ら説得力のある根拠を示していない。 

福島第一原発の事故をめぐっては、これまでも、政府が予防原則に則って国民の安全を守るという立場に立った情報開示と論点を明確にしたオープンな議論を行ってこなかったことが、私たちの不安を高め、過剰な防御を生み、風評被害を増大させているという側面もある。 

 以下に、子どもに年20ミリシーベルト基準を適用することに対して異議を唱える動きをいくつか集めてみた。こうした私たちの危惧や不安にたいして文部科学省は、子どもたちの安全を保障する具体的な根拠を示してほしいものだ。(「ただちには影響はない」とか「原子力安全委員会が承認した」とかではなくて・・・)

 

まず、4月19日に文科省が通知したこの基準に対して、6つの環境保護団体(グリーン・アクション、グリーンピース・ジャパン、原子力資料情報室、福島老朽原発を考える会、美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会、国際環境NGO FoE Japan)が呼応して、22日、抗議の声明を発表し、署名活動を開始。
子どもに「年間20ミリシーベルト被爆」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求します!!!
署名フォーム

(署名は、30日の23時まで受け付けています。私も、もちろん署名しました。)

 

4月23日には武田邦彦(中部大学教授)が、原発 緊急情報(61)でこの件に言及。
数値は一つ! 医療、職業、一般

 

4月27日には、テレビ朝日が、アメリカでノーベル賞受賞医師の団体がワシントンで会見し、文部科学省が子供の1年間の許容被ばく線量の目安を「20ミリシーベルト」に設定したことに疑問を呈したことを報道。
【原発】「子供の許容被ばく線量高すぎる」と疑問
 ノーベル賞も受賞した国際的な医師の団体がワシントンで会見し、文部科学省が子供の1年間の許容被ばく線量の目安を「20ミリシーベルト」に設定したことに疑問を呈しました。
 アイラ・ヘルファンド医学博士:「衝撃的だったのは、日本政府が福島の子供たちの許容被ばく線量の基準を高く設定したことだ」
 ヘルファンド博士は、「子供の場合、がんになるリスクが成人よりも2倍から3倍高くなる」と指摘して、許容される被ばく線量の基準を引き下げるよう求めました。アメリカでは、原子力関連施設で働く人の1年間の許容量の平均的な上限が年間20ミリシーベルトとされています。

 

4月28日には、FM797京都三条ラジオカフェの【FM797原発災害特別番組】 京都精華大学の細川弘明教授が、この件で文科省の対応などを説明。

 

 こうした懸念を踏まえて、子どもにたいして20ミリシーベルトの被ばくを認めるべきか否かを判断するには、国際放射線防護委員会の勧告が一つの目安になるだろう。2011年3月21日付けで国際放射線防護委員会が日本政府に対して行った勧告の内容が、東大病院で放射線治療を担当するチームteam nakagawaのブログ(3月29日)に紹介されている。
原文 
 
日本学術会議による日本語訳 

 さらに、今回の福島第一原発故を受けて、2008年にまとめられた国際放射線防護委員レポート111号(ICRP111)「原子力事故もしくは緊急放射線被ばく後の長期汚染地域住民の防護に関する委員勧告」が、2011年4月4日付けで特別無償配布されているが、team nakagawaのブログ(4月26日)では、このレポートの内容を分かりやすく解説している。前の勧告と合わせて読めば、今、私たちが何をなすべきかがよく分かる。とりわけ、放射線被ばくの影響を受けやすいと言われる子どもたちをどのように守るかについては、可能な限り低い基準を設定するとともに、予防原則に則った住民の自助努力を奨励すべきであろう。

 team nakagawaがまとめているレポートのポイントは、下記のとおりであるが、詳しくはブログを参照されたい。

ポイント①──「緊急時被ばく状況」から「現存被ばくの状況」へシフト

ポイント②──個人線量による被ばくの管理

ポイント③──「防護方策の最適化」と「防護方策の正当化」が大事

ポイント④──参考レベル
1mSv-20mSvの低い部分から(可能ならできるだけ低く)設定されるべきであり、設定にあたっては、「外部被ばく」「内部被ばく」双方による推定値がそれを下回るようにすべき

ポイント⑤──住民の参加(自助努力による防護策)

ポイント⑥──当局(国や県)の責任

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アメリカの幼稚園児から被災された人たちへのメッセージ!

2011年04月30日 | マミム・メモ

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 日本時間で429日の朝、アメリカの学校図書案メーリングリストに次のような投稿がありました。ニューヨーク州にある公立の小学校Daniel Warren Elementary Schoolの幼稚園の子どもたちが、日本の震災で被害を受けた人々を励ます絵とメッセージと唄をまとめた「ボイス・スレッド」(Voice Thread)を作成したので届けてほしいというものです。投稿者は、同校メディア・スペシャリストのLinada Costelloeさん、指導された幼稚園の先生は、Connie Levinさんです どなたか、この動画を有効に活用する方法を考えてください。下の画像をクリックして動画をご覧になってください。(ご覧になったら、コメントを録音して先方に伝えることができます。)

 

Daniel Warren Elementary School

Rye Neck UFSD

1310 Harrison Avenue

Mamaroneck, NY  10543

 

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「折鶴を折って日本を助けよう!」:アメリカの中高生による震災復興支援活動

2011年03月28日 | マミム・メモ

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中高生がチームを組んで危機的状況下にある地域の復興に役立つ活動を行うプロジェクトを行っている国際的な組織Student Rebuildが同じ活動を行っているDo Somethingと連携して、折鶴を折って東日本大震災で被害を受けた地域の復興を支援する活動を行っている。まず、呼びかけに応じた生徒たちが折鶴を折って、その様子を写真に撮り、メッセージを添えてfacebookに投稿する。折り紙をStudent Rebuildに送ると、一羽について2ドルが民間の基金Bezos Family Foundationを通じて日本で復興活動を行っているArchitecture for Humanityに寄付されることになっている。このためにBezos Family Foundationは20万ドルの基金を用意して、10万羽の折鶴に対応するという。集まった折鶴は、まとめて飾りつけて、被災地に送られることになっている。この運動は、有志の中高生チームだけでなく、地震、津波、日本文化に関する学校図書館の活動として取り組んでいる小学校もあるそうだ。

Student Rebuild

Student Rebuildのチラシ

Student RebuildのFace Book

Do Something

Architecture for Humanity

Bezos Family Foundation

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「片桐ユズルさん、傘寿のお祝いの会」を振り返る

2011年02月09日 | マミム・メモ

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6日の会はどうだった?」と尋ねられても、その場にいなかった人に何を伝えればいいのだろう? 何が知りたいのかも分からないまま、やみくもに書いてみる。 

フロアには懐かしい顔が並び、お互いに声を掛け合っていた。詩やフォークソング、GDM英語教授法、エンカウンターグループなど、片桐ユズルさんの活動に何らかの形で関わった人たちである。顔を見せなかった人たちは、どうしているのだろう? 帰えれないところに逝ってしまった人たちもいる。

この日は、1960年代から70年代にかけて、ほんやら洞やかわら版キャラバンで行われた詩の朗読とフォークソングの再現となった。40年前にタイムスリップしたようだった。登場人物全員が60歳から80歳まで、高齢になっていたが、元気だった。若い人たちも大勢いたが、その人たちは、この集まりをどう受け止めていたのだろう? 

最初に登場した秋山基夫さんは、冒頭に「桜の枝の下で輪になって・・・」と切り出して、「ともだち」という4行詩の情景をこの集まりと重ね合わせた。


 桜の枝にランタンを吊るし

 輪になってお酒をのんで

 この明るさをよろこびあおう

 どうせ暗い道を散っていくのだ

 

 秋山さんの詩は、一人で読むより本人が岡山訛りで朗読するほうが断然面白いし、伝わってくるものも大きい。この日に朗読された登山の詩は、かなり長かったが、秋山さんは緩急をつけながらテンポよく読み上げて私たちを笑いの渦に巻き込み、私たちの裡に何か大切なものを残していった。

 次に登場した中川五郎さんは、「ふつうの女の子に」など、ユズルさんの詩に曲をつけた3曲と、横須賀で基地反対を訴え続けてこの世を去った友人のことを偲んで作った「一台のリアカーが立ち向かう」を唄ってくれた。

BS2の「週刊ブックレビュー」で書評を担当している中川さんは、130日の放送で矢口以文さんの『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』(コールサック社、2010)を取り上げていた。その矢口さんが、中川さんに続いて壇上に立ち『詩ではないかもしれないが・・・』からいくつかの詩を朗読された。「塗りつぶした」や「クラスター爆弾を作った科学者に」の教師や知識人への問いかけが、私には強く響いた。

 ・・・

 だけど今、敗戦時に塗りつぶした類のものが

 またぞろ生き返り

 子供たちの教科書の中を

 ゴキブリになって這い回り始めた

 先生は 今度はどんな顔で教えているのか

              (「塗りつぶした」)

 長野県の辰野町で英語の先生をしながらライブハウスOREADをやっておられる三浦久さんも顔を見せておられて、飛び入りで唄ってくださった。

休憩の前に中尾ハジメさんが兄ユズルさんのことを語り、最後にユズルさんが「引き算としての意味論」を語った。余計なものをそぎ落とすことで、そのものの自然な姿が浮かび上がる。ユズルさんの詩もベーシック・イングリッシュもアレクサンダーテクニークも引き算によって成り立っているという。私たちも、ことば数を少なくし、余計なものを口に入れず、お化粧を薄くし、肩の荷物を下ろせば、今よりずっと溌剌と生きられるかもしれない。

そういえば、いま京都の何必館で木村伊兵衛展をやっている。一瞬を切り取った写真をさらに刈り込むことで現実を際立たせている木村伊兵衛の写真表現も引き算か。

ほんやら洞やフォークキャラバンは、限界芸術を共有する場だった。鶴見俊介さんが、純粋芸術でも大衆芸術でもないMarginal Art(限界芸術)という概念を示してくださったおかげで、私たちは自分の生活感覚を芸術に昇華することによって成長する術をもつことができた。表現者でなくても、そこに参加することによって文化を一緒に創りだしているという高揚感があった。安保やベトナム戦争の時代に、イデオロギーや理論や組織に導かれる闘争には関わりたくなくて、もう一つの世界に仲間を求めたが、そこで現在に通じる組織や知の在り方を学ぶことになった。

2月6日は私にとって、懐かしさとともに、さまざまな記憶が生々しくよみがえってきて、今の自分を見つめなおす機会となった。夢や理想がかなったわけではないが、あの頃に灯された炎は細々と燃えつづけていて、そこに少し油を注いだように一瞬明るくなった。この炎を次の世代にどうやってつなごうか?

限界芸術論 (ちくま学芸文庫)
鶴見 俊輔
筑摩書房

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『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』(矢口以文詩文集)を読む

2011年02月02日 | マミム・メモ

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昨年末に出版された矢口以文さんの詩文集『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』(コールサック社、2010)を片桐ユズルさんから送ってもらった。

冒頭の「戦争中僕らの町に海軍航空基地があった」に収められた詩を読んで、いきなり何十年か前にタイムスリップしたような感覚に襲われる。日本の戦争体験を描いたこのような詩を読まなくなって久しい。矢口さんが自らの経験を通して戦争を見据える目は鋭く、今もこのような詩を書き続けておられることに身が引き締まる。だが、矢口さんを「反戦詩人」と呼ぶのはあまりにも表面的だろう。「神の心」と「故郷の言葉で」では、その感受性の背景となっている生い立ちや誕生以前にまでさかのぼって自らの存在の根源を深く見つめておられる。矢口さんの故郷である宮城は、私にとって幼いころに離別した母の故郷であり、空襲で焼け出された家族の疎開先でもあった。その方言は、もう何十年も聞いていなくてすっかり忘れていたはずなのに、意外にもよく分かる。そして、自分がはるか遠くに追いやっていたさまざまな記憶が、もつれた糸が解けるようによみがえってきた。

「詩と散文」まで読み進んでいくと、矢口さんのことばがますます圧倒的な力でせまってくる。矢口さんは、アメリカ文学の研究者にして詩人、非暴力平和主義の立場に立つキリスト者として自らの生を全うしようとされている。最後の文章の「どうしますか?」という問いかけに、私なりに何らかの応答をしなくてはならないだろう。

矢口さんより10年遅れてこの世に生を受けた私にもまた、自らの生い立ちにかかわる戦争体験がある。敗戦直前の空襲で家を焼かれ、目の前で遊び友だちを失い、荒廃した都会で過ごした少年時代。青年期に入ってからは安保やベトナム戦争、関連して起こるさまざまな社会の出来事にも敏感に反応した。活動のよりどころにしていたのは非暴力直接行動だった。岩国の米軍基地や広島にも何度か赴き、米兵の支援を手伝ったりもした。過去のことではない。戦争を回避するために私たち一人一人が、どのように思考し行動するか? それは、持続可能な社会を構築するための、きわめて現代的で切実な課題ではないか。まず戦争を起こさないことを最優先にして生きるという強い意志を共有しなくてはならない。それには、戦争を起こす社会のシステムや私たち一人ひとりの心性にも目を向けなくてはならないし、これまでに積み上げてきたさまざまな前提を問い直すことも必要だ。真の意味で私たちの知性のありようが問われている。私たちは、いま、人間性の成熟にいたる進化の門口に立っているのかもしれない。

 矢口さんは、26日(日)、片桐ユズルさんの傘寿のお祝いの会にゲストとしてこられることになっている。朗読を聞くのが楽しみだ。

 

片桐ユズルさん、傘壽お祝いの詩の会

2月6日(日)14:00~17:00

ザ・パレスサイドホテル(地下鉄丸太町駅下車)

ゲスト:

秋山基夫さん(岡山在住の詩人)

中川五郎さん(東京在住の歌手)

矢口以文さん(札幌在住の詩人)

片桐ユズルさんの話:「戦争と意味論」(仮題)

途中、ティータイム・歓談の時間も設けます。

費用:一人5000円/+お祝い金

(関心のある方は、連絡をください。)

 

詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと―矢口以文詩集
矢口 以文
コールサック社

 

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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)