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まるたの日々

まるたです。少しばかり音楽と本とその他趣味の話を。

アシュケナージのシベリウス

2007年04月29日 18時29分31秒 | クラシック音楽
アシュケナージがシベリウス交響曲の新録音をEXTONから出しまして。

シベリウスの交響曲は昔録音したのを持ってるし、
まあ、いいか、と思っていたはずなのに
酔っ払ってネットサーフィンしてた時に
購入ボタンをポチッと押したらしくて(笑)、
先日、宅配便で届きました。

過去メールを確認すると、確かに「注文承りました」メールが届いているし、
しょーがねーなー、もう、と思いつつ、
封を開けると、解説の隙間からキャンペーンのチラシが。

シベリウスの交響曲を4枚のCDに分けて全集で出すんだそうで、
全部買った人には、アシュケナージのシベリウスピアノ作品集を
全プレするとか。

アシュケナージ、シベリウスのピアノ曲録音したことあったかなぁ、
聞いた事無いなぁ、まさか、新録音かなぁ、
と気にしていたら、
今月号のVarieの広告(写真のやつね)にはっきりと
「非売品・新録音」と書いてあるじゃありませんか。

ピアノでつるなんてずるい~~!!!
買うか? CD4枚。しかもSACDで高いです。
非売品でも10年後くらいには、復刻して普通に売り出されたりしますけどねぇ。
いつになるか判らないし、Deccaと違ってEXTONじゃあ、
何かのコンピレーションについでに入ってくる確率も低いし。

シベリウスの交響曲、というよりは作曲家によらず交響曲は
そんなに好きじゃないんですよねぇ。
断腸の思いで4枚買って、付いてきたピアノ曲CDがすごく短かったりしたら
腹立つだろうなぁ…。うーむ、どうしよう。

なお、ユニバーサルも似たような全プレ企画やってます。
こちはスペシャルトークだそうで、
ま、ね、それなりに。

「ピアノの森」アニメ映画にアシュケナージ

2007年04月07日 12時21分34秒 | クラシック音楽
ピアノの森アニメ映画化されるんですが、
ミュージックアドバイザがアシュケナージだそうで。
しかも自分で主要部分のピアノ弾いちゃうんだとか。
やー、びっくり。でも嬉しいです。

阿字野のピアノとかアシュケナージが弾くのかな。
CD出るんでしょうか。買わなくちゃ!
つーか、見に行くか? アニメ映画。うーん。
いい歳してアニメ映画見に行くのはちょっと恥ずかしいです。
DVD出るまで待ちますかねぇ…。

やっぱり引退はウソ

2007年02月20日 21時04分18秒 | クラシック音楽
プレトニョフのピアノ引退、
やっぱりちょっとお休みするだけだったようですね。

トッパンホールのブログに修正記事が掲載されてました。
今日出たようです。出たてのホヤホヤ(笑)。

まずはよかった。一安心ですね。
不吉な電波を受信(笑)して以来、どうにも気が晴れなかったので
本当に良かったです。

トッパンホール、こんな重大なことを
きちんと裏づけを取らずに載せてしまったんでしょうか。
ちょっと無責任な気がするけど、
まあ、誰かさんの気まぐれに振り回されたのかな。

よかった、よかった。


チケット売切れ

2007年02月19日 21時17分27秒 | クラシック音楽
うっかりして発売日を忘れていましたが、
N響の6月定期のチケットが発売されてますね。

6/30のアシュケナージベートーヴェンは殆ど売り切れ。
こりゃまたびっくり。
他の日はそこそこ普通に売れてる感じなのに。
よく考えてみたら、この日はアシュケナージのN響最後の日なんですね。
関係者ご招待も多いだろうし、
最後の日に見に行きたいという人も多いんでしょうね。

さらによく考えてみれば、これで本当にアシュケナージ見納めですね。
これだけ散々言われたらもうN響はおろか、
他のオケでもアシュケナージは来ないだろうし。
というか、招聘元が招聘しないと思うし。
もうピアノは弾かないみたいですしね。
寂しいですね。

お馬鹿なバッシングを繰り広げたクラヲタ達は少し反省して欲しいですね。
言論の自由に意義を唱えるつもりは無いですが、
身勝手な趣味の押し付けで、人の楽しみを奪う権利は無いですよね。

こいつらのせいでもう二度と日本でアシュケナージを見られないと思うと
無性に腹が立ってきました。
クラヲタを大虐殺する小説でも書いてみようかな(笑)。

アシュケナージ N響@NHKホール (2007/2/17)

2007年02月18日 18時04分15秒 | クラシック音楽
よく考えたら、今年初めてのコンサートでした。

この日はホール満杯で、またぞろマナーの悪い人が沢山居そうでイヤ、
とか思っていましたが、
イビキをかいていたのが若干一名いた以外には
これといって騒がしい人はいなくて、良かったです。
割合良い席だったせいでしょうか。
なにはともあれ、落ち着いて聴けました。

演目はチャイコフスキー交響曲第2番と第5番。
2番はあまり聴いたことが無かったので、予習をしたんですが
うちにある2番はプレトニョフのみ。
それではイカンよなーと、CDショップに探しに行ったんですが
ろくなのがなくて、というよりそもそも2番の録音ってあまり多くなくて
買う気が起こるものがなく、
結局プレトニョフで予習しました。

結果としては、思ったほど違ってなかったんですが、
これってプレトニョフが比較的譜面に近い演奏をしていたってことかな?
ときどき何かヘンと思うところがあるにはありましたが、
アシュケナージのせいではなく、おそらくはプレトニョフのせいでしょう。
演奏はなかなか良かったと思います。
出だしのホルンがいきなりひっくり返って
どうなることかと思ったんですが、
途中からちゃんと立て直して来ました。

アシュケナージが変色した古そうな譜面を使っていて
昔から大事に持っているものなのかなと思ったら
ちょっといいな、と思いました。
N響の譜面なのかもしれませんが(笑)。

正直に言うと、次の5番の印象が強すぎて
2番の方はもうよく覚えてません(笑)。

で、次は5番ですが、
第1楽章と第2楽章がすごく良かったです。
じっくり聞かせる部分でテンポを徹底的に落として
ゆったり歌わせていたのがすごく美しかったです。

全体的にロシアの土の匂いがしてきそうな感じで
曲としてはちょっと暗めなんですが、
(というかチャイコフスキーの後期交響曲はみんな気が滅入るように
暗いと思うのはまるただけ?)
そんなところも、ロシアの閉ざされた冬のようだったし、
そんな中で第1楽章の途中の長調に転調する部分が
春の訪れを暖かく告げるように聞こえました。

それと対比するならば
第2楽章は過ぎ行く夏を惜しむ晩夏の夕暮れといった感じでしょうか。
出だしのホルンが2番冒頭と同じ人とは思えない(実際に違う人かも?)くらい
美しく切なかったです。

まるたは去年もアシュケナージのチャイコを聴きに行き、
出来は良かったんですけれども、
アシュケナージらしさが感じられず、
どことなく借り物臭い印象を受けてしまったので、
感想は書かなかったんですね。

この人はチャイコのピアノ協奏曲嫌いだと言っていて、
それは多分オクターブ連打が手の小さい人にはつらすぎるせいだろうと
思っていたんですが、
去年の交響曲を聴いた印象は、
それとは関係なくチャイコフスキーってあまり好きじゃないんじゃないか
だから、あまり思い入れられなくて、
どこかカラヤン辺りの演奏をマネしたんじゃないか、
なんだかそんな印象を受けてしまったと。

近所に演奏中ずっとカバンを叩き続けたおじいさんがいて
落ち着いて聴いていられなかったせいかもしれませんけど(笑)。

うってかわって、昨日の5番の演奏は、
暗譜だったし(きっとこの曲好きなんでしょうね)、
随所にアシュケナージらしい部分があって
それがとても美しく響いていて、すごく良かったです。
N響とアシュケナージの競演で初めて「これのCD欲しい」と思いました(笑)。

ところで、演奏後のカーテンコールの間、
団員が座らずに居るんですね。
そうされると観客としては拍手を止められなくて
どうしたものかと思いました。
まあ、自発的に拍手を続けても良いと思う良い演奏だったので、
結果としては問題なかったんですが、
これが「ケッ」って思うような演奏だったら、
相当腹が立ったかも(笑)。あれはいったい何だったんでしょうね。

?な服装

2007年02月18日 10時36分57秒 | クラシック音楽
アシュケナージN響のチャイコを聴きに行ってきたんですが、
感想はまた別途ということで、ちょっと奏者の服装に関して「?」と思ったことを。

ヴィオラ首席の隣にいた若いにーちゃんの頭に
1個300円くらい?の安そうなカチューシャが(笑)。
前半のときは、練習のときのままうっかり外し忘れちゃったのかなと
思ったんですが、
後半でもやっているので、これはファッションなのか?、
いや、でも男性の礼装(燕尾服)にカチューシャは無かろうよと
しばし考え込んでしまいました。

最近は金髪やら金髪がプリンになってるのやら、
さらにつんつんにグリースで立ててるのやらも見かけるようになり
びっくりさせられる事も多いんですが、
でもまだ許せるんですね。
燕尾服に合ってないとはいえないレベルなので。
でもカチューシャはちょっと許せない。

髪の毛が落ちてきてジャマなんだろうなというのは
なんとなく判るんですが、
だったらグリースでもムースでも使って固めればいいじゃん!
と考えて、ハッと思い当たる節が。

最近、頭が痒くなり、フケが大量に出る人が増えてるらしいです。
実は、まるたもしばらくこの症状が出ていた時期があります。
これってフルフル菌と呼ばれる頭皮の常在菌が異常増殖したせいなんですね。
なお、フルフル菌は写真のようなヤツ©石川雅之です(笑)。

で、これは油分を多く含んだ整髪料を使うと悪くなります。
整髪料には、水性と油性があるんですが、
まるたの場合、油性を使うと効果てきめんで2,3日で頭が痒くなり出します。

なかなか人には言いにくいんですが、
宴会の席の与太話の一つとして「最近ねー」と切り出すと、
その場に居るうちの何人かは「実は自分も・・・」と告白してくることが多く、
フルフル菌、かなりの征服率(笑)で人様を悩ませています。

で、もしかして、かのカチューシャの君はフルフル菌にやられて
整髪料が使えないのかなと。

フルフル菌にやられたときの対策はいくつかあって、
一番良いのは皮膚科に行くことなんですが、そこまでしたくないという方には、
まずは、整髪料を止められないなら、水性のものを使うこと。
グリースやワックスやポマードではなくムースやジェルの方がいいです。
シャンプーはコラージュフルフル。高いけど、すごく良く効きます。
絶対×なのはリンスインシャンプー。
詰替え1パック200円くらいの安物のシャンプーもあまり良くないです。

ということで、頼むから男性が燕尾服にカチューシャは止めて下さい(笑)。

もう一つ、良く判らなかったのが、アシュケナージの服装。
彼は燕尾服を着ない主義で、
上半身はトレードマークとなっている白のタートルにジャケット。
それはそれで別にいいんですが、
なのに下半身は礼服用の横線の入ったズボン。
何故? 上がジャケットなら、下も普通のズボンにすればいいのに。
ちょっとアンバランスな感じでした。
まあ、カチューシャに比べれば全然いいんですけど。


2000年のヨーロッパコンサートDVD購入

2007年02月12日 16時53分41秒 | クラシック音楽
お目当てのミュージシャンのCDはだいぶ買いつくしてしまったので、
CDショップをブラブラして掘り出し物を見つけることが
少なくなってきたんですが、
今日は、色々見つけました。(^_^)v

まずは、

2000年のヨーロッパコンサート


あ、店頭よりすごく安い。くやしー!

それはともかく、
プレトニョフとアバド/ベルリンフィルの競演で
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番が演奏されています。

プレトニョフ、顔色もよく、テクニックの切れもよく、
かつて見たことが無いほど非常にご機嫌で演奏しています。

この人はあまりめぐまれた指揮者と協奏曲の録音を残していないので
アバドとの競演はとっても貴重。
パガニーニラプソディも良かったけど、これはもう!という感じです。

プレトニョフがよくつかうべったりしたペダル使いがあまりなく、
ピアノの音が非常にクリアで、ミスタッチも殆ど無いです。
体調と機嫌が良いとここまでの演奏ができるんだな、という感じ。

まるたは2番はあんまり聴いたことがないので
他の演奏と比べてどうこうということはいえないんですが、
演奏は割合普通に演奏してるようにも聞こえますが、
プレトニョフの演奏で知らない曲を聴くと、
どれだけ好き勝手やっていようと、そういう曲に聴こえてしまうという
怖い特徴があるので、実際は好き勝手やっているんでしょう(笑)。
カデンツァと思しきところは、どう聴いてもベートーヴェンの作曲には
聞こえなかったし。

好き勝手やってても演奏に破綻が無いところが、
好きなんですけどね。
いくつか問題はあって、最初にプレトニョフの演奏で聴くと
普通に譜面通りに弾いた他の人の演奏がとてつもなく矛盾したものに
聴こえてしまうこと。
逆に知ってる曲だと、聴くのにものすごく頭を使うこと。
なので、実は精神的にくたびれているときにはあまり聴きたくない
ミュージシャンです。

この時期のプレトニョフは確か、RNOを辞めてたんですよね。
顔色が良いのは、時間的に余裕があったせいでしょうか。
そういえば、RNOを抜けたときもなんだか唐突だったようだし、
戻るときも、いろいろあったとはいえ、突然だったみたいですよね。
今度の引退騒ぎも、
またいつものファンおてけぼりなワガママでオレ様な行動の一環なんでしょう。
消してしまいましたが、先日の不吉な考えはやっぱりただの怪電波ですよね。

なお、このDVD、中国製のようです。
メニュー画面が中国語でびっくりしました。
ジャケットを良く見てみたら、香港製だそうです。

引退?

2007年02月02日 21時48分29秒 | クラシック音楽
プレトニョフの秋のリサイタルはやっぱり中止で、
セット券でチケットを売ってしまったトッパンホールは
やっぱり大事になってしまったようです。
お知らせ

それはそれでいいんですが、引退って・・・。
しばらくピアノを休みたいってだけじゃないのかなぁ。

作曲のための時間を取りたいって言う話はどこかで聞いた事があるし、
人生の7割だか8割だかを移動に費やすのは虚しいって
言ってるのを読んだ記憶があるし、
今年はボリショイでオペラ振ったりするし
勉強する時間も欲しいんでしょうね。
まあ、そんなところかなと。

実際、身動きできない飛行機での長い移動、時差ぼけ、
言葉や文化の通じない国で基本的に他人ばかりが相手の仕事でストレス溜めてるのに
一日サボれば自分にわかる、二日サボれば妻にわかる、
三日サボれば一般人にわかるといわれるピアノの世界、
ピアノのポテンシャルを下げないようにするには
毎日毎日何があっても、移動先の見知らぬ国で
ピアノの練習場所を見つけ、何時間かかけて練習する必要があって
これって、とんでもなくストレスフルだと思います。

時間が欲しいという思いにとらわれたときに、
ここを削りたいと思うのは不思議じゃないのかもしれません。

要するにくたびれて切れちゃったのかなと。

そういう状態だったら、こちらは冷静に受け止めて
やりたいようにやって満足するのを待つのが正解だと思うんですね。
騒ぎ過ぎるのは良くないと。
本人がまたピアノを弾きたくなった時にすんなり再開できるような環境を
作って待っているのがいいような気がします。
ああいうタイプは無暗につつけば、
意固地になって二度とピアノなんか弾かないとか言い出しそうなので。

もしかすると、すでにトッパンホールがそういうつつき方をしたせいで
引退なんて言葉が飛び出てきたのかも知れませんね。
おかしなことにならなきゃいいけど。

作曲するための時間が欲しいという理由なら
ピアノ曲を作って、その曲を演奏するために帰ってきてくれるなんてのは
いいですねぇ。
自作曲のCDなんか作って。ロックスターみたい。

クラシックの世界じゃ、そういうのはクロスオーバーなんていわれて、
クラヲタは仕分けをしたがるけど
ショパンやリストくらいまでの時代はそういう形をとっていたし、
今のロックはそういう形だし、
大衆に支持される音楽のあり方はそういう形が一番自然なんだと思います。
古典曲かいわゆる現代音楽をしかつめらしく演奏する以外は認めないなんて
変だしね。

ということで、あんまり騒がずに気長に待とうと思います。
もっとも、待ってる間にクラシックマイブーム終わってるかもしれないけど(笑)。
マイブーム復活の周期と合ったりしたらまた楽しいかもしれませんね。
実はアシュケナージのN響音楽監督就任はまさにそういうタイミングでした。
偏狭なクラヲタどもに台無しにされたけど。

それはともかく、最後に八つ当たりさせてもらいます。
なんでまるたの好きなピアニストはみんなしてピアノ弾かないとか言い出す?!
今年は好きなピアニストのリサイタルてんこ盛りで楽しめるはずだったのに!!

追記
2/20以降に、上記トッパンのブログにアクセスされた方はお気づきと思いますが、
記事が修正されていました。やっぱり引退は間違いだったようです


RNOチケット買いました

2007年01月21日 17時39分21秒 | クラシック音楽
RNOのチケットが発売され、
結局アシュケナージの予定が判らなかったので、
えーい、ままよ、と買ってしまうことにしました。

アシュケナージのツアー予定は、
一瞬、ジャパンアーツのサイトに載って、
それによれば6月上旬できっちりRNOとバッティングしてたんですが、
年明けに見てみると、なくなってるし(汗)。

何かもめてるんですかねぇ。
やっぱり指揮のついでは無理なんですかねぇ。
ジャパンアーツの戦略で今はまだ出さないことにしたとか?
それともやっぱり中止かなぁ。
そんなことはありそうな気はしてましたが。

しかし、パパは良いとしても、これで仕事が減った長男は困るんじゃ。

ということで、まあいいことにして、
RNOのチケット買ってしまいました。

そういえば、プレトニョフの10月のリサイタル予定も
ジャパンアーツのサイトからも、濃い目のファンサイトからも
無くなってますね。
東フィルで協奏曲をやるときのソリスト、メルニコフと
リサイタル予定の期間がかなりかぶっていて、
なかなか大胆な日付設定だなぁとは思っていたんですが、
そこが問題になったんでしょうか。
それともギャラでもめてるとか?
あるいはやっぱり指揮のついでは無理なのか。

ギャラの問題ならアシュケナージ、プレトニョフのピアノなら
かなり高額なチケット設定でも売れ残る心配は無いと思うんで、
(あー、いや、プレトニョフはどうでしょう、知名度が今ひとつだから)
そういう問題じゃないんでしょうね。

でも、トッパンホールなんてプレトニョフのリサイタルチケット
セット券ではもう売っちゃってますよね。
どうするのなかぁ。
予定が決まってないからサイトから下ろしただけならいいんでしょうけど
中止になったんならかなり面倒なことになる気がします。

ところで、プレトニョフのインタビューと
去年の東フィルの第9の様子がこちらで見られます。
mozillaでは見れなくて、IEなら見れました。

インタビュー、ロシア語(笑)。
英語だって喋れるでしょうに。くたびれきった顔してましたが
英語喋るの面倒だったのかな?

しかし、演奏会も終わった今、このサイトって何を目的として
こんなものをアップしているのか今ひとつ不明です。
まあ、いいけど。
これ、DVD化されないかなー。

オボーリンのラフマニノフ

2007年01月07日 17時06分33秒 | クラシック音楽
オボーリンがラフマニノフP協2番を弾いているDVDを見つけました。
これ。

オボーリンのピアノは録音があまり多くなくて、
オイストラフの伴奏はあるんですが、
オボーリンのピアノが主の録音で、
今聴けるのはおそらく、
ロシアの昔のピアニストの録音を集めたちょっと怪しげなCD
このDVDだけなのでは思います。
貴重な録音と思います。

このDVD、CDショップでよく見かけてはいたんですが、
背表紙に曲目と指揮者名「渡邉暁雄」と日フィルしか
書いていなくて、ソリスト名が書いてありません。
で、渡邉暁雄には全く興味が無いので手に取る事もなく
これがオボーリンのピアノだとは全く気がつかなかったと。

オボーリンのラフマニノフの他にも、
ハイドシェックのブラームスなんかも入っていて、
結構なDVDなんですから、
背表紙を「渡邉暁雄、オボーリン、ハイドシェック、日フィル」
に書き換えれば、いまの5倍はきっと売れるのに。
というよりは、今の背表紙じゃ全く殆ど売れないんじゃ?と思います。
もったいないです。

それはさておき、オボーリンはアシュケナージのnominal師匠として
有名な人なんですが、
演奏の質はよく似ている、というか、
イグムノフから続く同じ系列の人はみんなこういう演奏をする
という感じの演奏です。

収録はオボーリンが60歳の時で、
若干年齢的な衰えはあるのかなとも思いますが、
超絶技巧をひけらかす事も強調する事もなく
難曲を何でもないもののようにあっさりと弾きこなして
あちこちに跳ぶ音符を追いかけて旋律が行方不明になる事もなく
こういう曲はこういう風に弾くのは当然といった風情で淡々と弾いていきます。
旋律を重視し、オケと協調し、でしゃばらずに
ピアノの技巧を見せるのではなく音楽の美しさを前面に出そうとする
ピアノはとても美しいです。

正しくは美しかったんだろうなぁと想像される、でしょうか。
録音が悪いのか、ホールが悪いのか、ピアノが悪いのか、調律が悪いのか、
オケはそれのどれのせいでもなくひでーもんでしたが、
それを除いても、音、悪いです。

自分はよく、ピアノはデッドなホールで聴きたいなんてことを
書きますが、
ここまでデッドだとひどすぎて泣けてきます。

オケのひどさはこの時代だと仕方ないんでしょうか。
伝統的にひどい日本の管はおいておいても、
打楽器がひどいです。楽器もぼよ~んとへたれた音を出してますが、
それよりなにより、リズムが全然あってないです。
たまーに、こんなにリズム感悪くてよくプロになれたなぁという
打楽器奏者居なくも無いですが、
ここまでひどいのは初めて聴きました。

約40年前の録音ですが、この頃から比べれば
日本のオケも進歩したってことでしょうか。

ちなみに、オボーリンがアシュケナージの「名目上の」先生であるというのは
オボーリンはツアーが忙しく殆ど教わっておらず、
実質アシスタントに教わったとアシュケナージ自身が言っているからです。

しかし師弟関係はそれほど密接なものでなくても
このDVDのラフマニノフは
やっぱり同じ系列のピアニストだなぁと感じさせてくれるものでした。





ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ

2007年01月01日 21時16分12秒 | クラシック音楽
録り溜めビデオ鑑賞第2弾は
「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」です。

誰かが、これのバレンボイム像が悪くて
バレンボイムが怒ったとか何とかいう話をしてましたが、
見た感想は、「割れ鍋に綴じ蓋?」という感じ。

バレンボイムがデュ・プレと結婚したのは
人物に魅かれたというより、
自分の地位と名声と将来にふさわしい伴侶が欲しい
という打算に基づいているような印象を受けましたが、
デュ・プレの方は優しくしてくれる男だったら誰でもいい色情狂?

バレンボイムを一方的には責められないよなーと思いつつ、
実はこの映画の原作の「風のジャクリーヌ」という本を
買うだけ買って読んでない「つんどく」状態で持っているので
パラパラめくってみたら、全然違うじゃん!
あの本の内容をゴシップ記事用に3行で要約して
ゴシップ映画にふさわしいシーンを三題話風に寄せ集めると
ああいう映画になるんだろうと言う感じでした。
本の方をパラパラ読んだ印象では
ジャクリーヌはもっとずっとろくでなしで、病状が徐々に進行する様子も
もっとずっと悲惨で、話や感情はもっとずっと複雑で重たいものでした。

あの映画、だ~れがあんな脚本にしたんだかねぇ。
ひでーっす。
バレンボイムが怒ったとしたら、自分の描かれ方じゃなくて
あのひどい映画自体に怒ったんじゃ?

プレトニョフ 東フィル@オペラシティ (2006/12/22)

2006年12月24日 18時12分25秒 | クラシック音楽
一昨日ですが、会社をさくっと切り上げて(ヒヤヒヤだった(笑))
行ってきました。

まずは、タネーエフ「ダマスカスのヨハネ」
ニコライ・ルービンシテインの追悼のための曲だとか。
カンタータです。

合唱が抜群でした。
オケはまあ、うん、えーと、その、という感じ。
ダイナミックレンジがちゃんと取れてないんですよね。
小さいところがちゃんと小さくならず、
大きいところも大きくならなくて。
無理にやらせようとすると管がへたるのかわかってたんでしょうね。
この曲のポイントは合唱と管楽器なので
管楽器にひっくり返られたりしたら目も当てられないから
仕方なかったんでしょう。

面白かったのは終わった後、しばらく拍手がならなくて。
きっとみんな第9を聴きに来ていて、こっちの曲は知らないんだろうなぁと。
終わり方も盛り上がって終わるのではなく、静かにフェードアウトしていく
感じなので判りにくかったのかもしれません。
プレトニョフ、ちょっと機嫌悪そうでした(笑)。

お次は、ベートーヴェン、第9。
第1楽章が一番面白かったです。
プレトニョフらしい独特の表現が沢山ありました。
楽章が進むに連れて普通になって行った感じがしたのは
要するに練習が間に合わなかったということでしょうか。

第3楽章あたりは練習の途中な感じで
少しバランスの悪いところもあったように思いました。
第4楽章は普通に迫力あってよかったです。
オケはプレトニョフの指示と関係なく進んでるような感じも若干あって、
これまで死ぬほどやってきた曲だと
独自の解釈でやらせるのはすごく難しいのかも、と思いました。

ソロですが、バリトンはよかったですねぇ。
ソプラノは美人だし、声量が有ったけど、少し喉から声出してる感じ。
痩せ型だったので、もう少し胴回りが太くなると素晴らしいのかも。

一方、アルト、座ってる間中プレトニョフの方を眺めっぱなし。
あれは、何? 秋波を送ってるんでしょうか(爆)。
ちゃんと前向いてないとみっともないです。
いやまあ、いいんですよ。特等席だし、ある種の特権な訳ですから
間近で指揮者に見惚れていても。
背中の肉に食い込むようなドレス着ていてもね、もちろんいいんです。
仕事をきちんとしてくれているのなら。

正直、全然声出てなくて。あの体格で何故こんなに声が出ない、
と突っ込みたくなるほど声が出てませんでした。
なのに変なこぶしまわしてて浮き上がってるし、
指揮者に見惚れてるし、ちょーっとなんだかなぁという感じでした。

そうそう、カメラが入ってましたが、
テレビやるんですかねぇ。

これで、次は来年のRNOですね。
楽しみなんだけど、東京近郊の公演が、
みなとみらい1回と平日のオペラシティ2回のみ。
もう他の地方公演も大体決まってますが、ミューザには来てくれないんでしょうか。
演目はオペラシティの方がいいけど、平日だし、
みなとみらいは土日だけど、ショスタコなんですよねぇ。
どうすっかなー。

というか、これのチケット発売までにアシュケナージの
予定は決まるんだろうか。



来年のチケット

2006年11月18日 14時02分26秒 | クラシック音楽
なんかもう来年夏秋のチケットが売り出されてるそうで。
鬼が笑っちゃいますね。
来年の6月とか10月とかなんて、
生きてるかどうかも怪しいとは言わないけれども、
同じところに住んでいるかどうかやや怪しいし、
平日なんて言われたら、コンサートに行けるかどうかなんて全く判らないです。
会議、外出、出張、締め切り、納期、etc.
無茶言わんで欲しいです。

何の話をしているかというと
プレトニョフの来年10月のリサイタル、セット券ならもう買えるそうで。
来年10月なんて今の会社に居るかどうかも判らん!!

アシュケナージの6月の文化会館公演ももうチケット買えるんですよね。
演目が今シーズンでは数少ないアシュケナージ向きの良さげな演目。
是非行きたいところではありますが、
そんな先の話、行ける保証は全く無いです。
日本人受けの悪そうな演目だし、直前でもきっとチケット買えると思うので
これは置いておこうっと。

問題は、この時期、プレトニョフがRNOを連れて来日すること。
例の濃い目のファンサイト情報によると5月の終わり頃まで台湾で、
その後日本らしいです。
名古屋しかやらないってことはないと思うので、
その後、東京近郊にも来るとは思うんですが。

とすると時期がアシュケナージの来日時期と重なるんですね。
N響のwebを見る限り、指揮は6月中~下旬なんだけれども、
確か、この時期、ついでにお兄ちゃんを連れてデュエットでピアノの公演をやるはず。
(また中止にならなければ(笑))
これがどこに入るかなんですよね。
指揮の合間の6月中旬にやるか、指揮が終わってから7月にやるか
はたまた指揮の前に6月上旬にやるか。
7月って普通もうシーズン終わってるのでこの時期コンサートはあまり
やらないことを考えると、中旬か上旬。
Deccaの公式サイトに行くと、6月上旬はぽっかり穴が開いていて
すごくここらに入るっぽい感じが・・。
上旬にやられるとRNOの来日と重なるなー。

自分としては
アシュケナージのピアノ > RNO
なので、最優先でアシュケナージのピアノ聴きに行きますが、
でも両方聴きたい!
日程が重ならないことをというか、
どっちも同じ週の平日みたいな聴きに行くことが物理的に殆ど不可能な日程に
ならないことを祈るのみです。
どっちかミューザに来てくれれば負担は減るんですけど(笑)。
両方来てくれれば大歓迎!!


プレトニョフの肉声

2006年11月03日 10時53分58秒 | クラシック音楽
Youtubeでプレトニョフが弾くショパンエチュード25-7を見つけました。

グラモフォン移籍第1弾のショパンのCDの販促用のビデオかなにかだったようで、
プレトニョフ本人がこのCDにかける意気込みのようなものを語っています。
プレトニョフ若いです。

これだけ長く喋っているのを聞いたのは初めてです。
意外と声高いですね。でも口の中でぼそぼそ喋ってます。
内弁慶のオレ様全開なしゃべり方(笑)。

なまりもかなりきついです。
聞いていてなまっているのか文法が間違っているのか、
判別できない部分も多々ありました。
そりゃ、こちらの聞き取り能力の問題かもしれませんが。

なお聞き取ってみた内容はこんな感じ。

Chopin's music is very various.
There is sad moment, tragic, dramatic, sometimes gay happy,and everything.
Well for me, it's the emotional music that makes that difficult to play.
That's why I must say that somebody plays Chopin
it reveals his own nature, I mean, the nature of the performer very much.
There's nothing to hide behind.

This Chopin CD is the first recording which I do for the Deutsche Grammophon.
So I wanted to start this recording with something very essential in music.
And therefore I think Chopin, the selection of Chopin pieces,
there present almost all sides in Chopin's nature.
There I use all my technique, I used all my knowledge of different piano sounds
to make this music sound like I think it was invented.

多少違ってるところはあると思いますが、内容はそんなに違ってないと思います。
どのみち大したこと言ってないです(笑)。
まあ、声聞けてよかったかなという感じ。

アシュケナージの声は最近N響アワーあたりでよく聞けるようになりましたが
同じロシア語なまりでこうも違うかと思いました。
なまりにも性格でるんだなぁとつくづく思います。
アシュケナージが開けっぴろげに早口で喋り、
ロシア語なまりを全く気にしてないのに比べて、
なまりにコンプレックス抱えるように考え考え口ごもりながら喋ってます。

でも、まあ、面白かったです。

これも含めてYoutubeは著作権法違反なコンテンツが殆どで、
Googleの買収でそれが変わるかとか言われてますが、
Youtubeからその手のコンテンツを取り去ったらほとんど何も残らないですね。
著作権協会とかがキーキー言ってますが、
結局こういうものに需要があるんだと思います。
見逃してしまったテレビ番組とか、
簡単には入手できない古いテレビやビデオなどなど。
それらをリーズナブルな値段で手軽に見れるようにしてくれれば
こういった違法サイトは減っていくと思います。
キーキー言う前に根本的な問題を解決することを考えた方が
建設的ですね。

このプレトニョフの販促ビデオ、売ってたら買いますよ、きっと。

鉄っちゃんとクラヲタ

2006年10月14日 10時25分28秒 | クラシック音楽
鉄子の旅を読みながら、昨夜録画したハーディング指揮のモーツァルトを聴いています。
#その組み合わせがすでに間違っている気はしないでもないですが(笑)。

どちらも素人目には区別が付かない細かいことを気にする
濃い目のヲタの世界の世界なのに
ヲタとしての性質に何か大きい、全く埋められない差があるなぁ
なんてことを考えてしまうのは、物思いの秋のせいかもしれません。

何が一番違うかというと、クラヲタからは愛を感じないんですね。
鉄っちゃん、確かに鬱陶しいかもしれませんが、
鉄道を愛してやまない気持ちは痛いほどで
自分には到底理解できないけれども、微笑ましい、応援してあげようという気にさせられます。

一方でクラヲタは大抵鼻持ちならないヤロウばかりのように感じます。
ブログ読んでても、多くは偉そうに断定調(ですます調ではなくて)で書いてますしね。
何を偉そうにウンチク語ってやがる、フン!とか思ってしまうんですね。

こう感じる原因について考えてみました。

鉄子の旅に出てくる人のようなごく少数(日本中に一人か二人くらい?)の人を除いて、
鉄っちゃんは殆どみんな完全な趣味でやっていますね。
で、趣味自体が好きでないと到底続かない根気を要求します。
(わざわざ遠くの鉄道に乗りに行ったり、急行に乗れば速いのに各駅に乗ったり)
とにかく時間が膨大に掛かります。
また、鉄道に乗りに行く・見に行くという積極的な行動を要求します。
仕事なら嫌でもやるかもしれないけれども、
趣味ならばよほど好きでないとやっていられない類のものな訳です。

一方クラシックは、音大や音高出または、習い事で音楽ばっかりやらされて
それしか判らない、またはそれしか出来ないけれども
プロになれるほどの実力も気合もなかった人が多いような気がします。
要するに世間知らずの上に、それしか判らないからぐだぐだ言ってるだけで
本当に音楽好きなのかどうかかなり怪しいです。
また、クラシック鑑賞は鉄っちゃんでいること程のエネルギーを要求しません。
コンサートホールは近場に山ほどあって楽に行けるし、
安い席もけっこうあるし、
CD聴くなら、通販で買って自分の部屋のステレオで聴くだけです。

で、嫌でも遠出をしなければならない鉄っちゃんは
例えヲタでも、ある程度の社会性を自然に身に付ける必要に迫られますが、
基本的に閉じこもっていても何の問題もなく、
音楽の練習をするならば閉じこもらざるを得ないクラヲタは
殆ど社会性を身に付ける機会が無いように感じます。
クラヲタの言動の端々に反感を感じる理由の一つでは無いでしょうか。

あと、音楽家を目指していたわけではない残りクラヲタの多くは
ブランド志向、権力志向で
クラシック好きな自分に酔ってるだけのように見えますね。

そんなこんなで、音楽そのものにはあまり愛を感じてないんじゃないかと。

もう一つ、提供する側の質の差もあるような気がします。
クラシック音楽家の多くは、小さい頃から自分の意思と関係なく音楽漬けで
ある意味職業の選択の余地が無かった人が多いようです。
その点でも本当に好きかどうかかなり怪しい人が多いように思います。

鉄道を作る側だってただのサラリーマンじゃん、
というご意見もあるかと思いますが、
乗り物系の製造・運営会社に行く人って
かなりの率でその道のヲタが多く、
また、就職を決める年齢になってから職業を選べるので
自分の意思で好きな仕事を選んでいるんですね。
なので、実はかなり好きで作っている人が多いように思います。

まるたは鉄道屋さんの知り合いはいませんが
自動車メーカに就職した何人かの知り合いは結構濃い目の車好きだったように
思います。
また、「駅前探検倶楽部」はそもそも鉄っちゃんが企画した事業だというのは
有名な話です。

別にどうしても愛がなければ事業が成り立たないわけではない鉄道の世界に
これだけ愛着があふれているのに、
本来愛がなければ成り立たないクラシック音楽の世界に
あまり愛が無いっていうのはおかしな話で、
結局、クラシック音楽がメジャーになりきれない、
クラヲタが世間から愛を持って受け入れられない理由は
そもそもクラヲタ達に愛が無いからだということではないかと思うのです。

最後にどうでもいいことを。
「鉄子の旅」の主人公のマンガ家、ちょっと引きすぎじゃない?
マンガとしては、鉄っちゃんがいて、突っ込み役がいるならば、
語り手はそれを眺めている中立な人にするべきじゃないでしょうか。
引きすぎているマンガ家の視点で強制的に読まされるのはあまり面白くないですね。
あのマンガ家の意見が世間の大多数の感じ方と一致しているとはあまり思えませんし。
主人公を代えられないなら、同行する編集さんが事実上主な語り手役になるように
書いたほうが読みやすい気がしますね。