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まるたの日々

まるたです。少しばかり音楽と本とその他趣味の話を。

ルガンスキーのダブルヘッダー

2008年04月05日 12時54分40秒 | クラシック音楽
ルガンスキーの紀尾井ホールのリサイタル、
今日からプレオーダーなんですが、
ミューザの協奏曲と同じ日かい!

どっちかで手抜きされそう。
というか、どっちも手抜きするんじゃ?
とは言いつつ、紀尾井ホールのプレオーダーも出してみようと思ってます。

ああっ、でもこれで酷かったら嫌いになっちゃうかも。
でも、ミューザのチケットは買っちゃったので
毒を食らわば皿までですかねー。
夜にミューザの方が家に帰るのは楽なんですけど、
まあ、いいや。翌日休みにして4連休にしてしまえ(←取らぬ狸)。

ラフマニノフの映画

2008年01月12日 12時17分19秒 | クラシック音楽
ラフマニノフの手紙をもとにつづったドキュメンタリー映画が
売り出されています。
Harvest Of Sorrow-tony Palmer's Film About Rachmaninov

プレトニョフが出演していていますが、
これは10年位前の映画なので、前にちょっと噂があった
ラフマニノフの伝記映画とは別物でしょう。

見所はプレトニョフがこれのために演奏したと思われる
コレルリの主題による変奏曲ですね。
なかなかレアな映像です。

その他にもRNOによる交響曲がちょっとだけありますが、
なんか安っぽい映像エフェクトがかかっててイマイチな感じ。
あとは、アバド/BPOとのパガニーニなんかも入ってますが、
これは1997年のジルベスターコンサートの画像の流用です。

ただ、このDVDの大部分はゲルギエフ&マリインスキー
協奏曲はそれ+ヤブロンスキーです。
ゲルギエフとヤブロンスキーの組み合わせってどうよって思いましたが、
思ったよりもずっと良くかみ合ってました。

なお、輸入盤なので日本語字幕なしです。
英語字幕はついてます。
ドキュメンタリーなので、殆どの音楽はBGM的に使われています。

ゲルギエフ、徹子の部屋に出演

2007年11月14日 21時13分38秒 | クラシック音楽
ゲルギエフのインタビューが見たいというよりは、
黒柳徹子との咬み合わせが見たくて録画しました。

咬み合わせっていうよりは、会話が噛み合ってない(笑)。
両名必死です。結構笑えます。ってファンに怒られそう。

しかし、なんで徹子の部屋?ってつらつら思うに、
来年のオペラのチケット全然売れてなくて、宣伝のためかなと。

あ、今来たジャパンアーツぴあのダイレクトメールによると
再放送やるみたいです。
11月19日(月) 9:30PM ~ 10:05PM BS朝日

アンデルジェフスキ@三鷹市芸術文化センター (2007/11/10)

2007年11月11日 18時27分44秒 | クラシック音楽
ちょっと個人的にいま一つだったので、かるーく書いてみたいと思います。

まずは、曲目。
バッハ イギリス組曲第6番
シマノフスキ 仮面
ベートーヴェン ディアッベリ変奏曲
じつは、1番目の曲は当初の予定では第4番の予定だったんですが
当日、行ってみると本人による曲目変更の謝罪が挟まってて、
納得できるレベルになってないからやっぱやめるってことらしいです。
ということで、2年前と半分同じ曲目になってしまいました。

で、感想ですが、
あれだけの演奏できればクラヲタ大絶賛だろうって感じで
全体的にすごくできは良かったんですけど、
なんとなーく、よそよそしい感じがしたんですね。
なんというか、もうCDそのまんまというか、
どうしてもCDまではなりきれないので
CDの劣化コピーというか。
今、そこにいて、今、感情があって、
何か感情を表現しようとしているという感じがしませんでした。
あるとしたらCDに近い演奏をしたいという感情しかなかったような感じ。

2年前より音色の使い分けなんか磨きがかかっていて
本当にCD聴いて感動した音がそのまんま再現されてたわけですが、
あまりにそのまんまなので、
これだったら家でCD聴いてりゃいーや、とか思ってしまったと。

完璧主義も行き過ぎるとこんなことになるんだなぁと思いました。
多少出来は悪くともイギリス組曲は4番でやってくれた方が良かったかもしれません。

まあ、調子も悪かったのかも。
デュトワ/N響の1日目で見せた全開のお愛想笑いしてたし、
アンコールも1曲だけだったし。
ちなみにアンコールの曲目はチェックし忘れました。
聴いた感じバッハみたいだったけど・・・。

2年前はCD程のクオリティはなくとも
もっと想いが伝わってきたように思います。

好きだったアーチストが、変な方向を目指し始めて
自分が好きだった面がなくなってしまったような
そんな淋しさを感じたコンサートでした。






プレトニョフ 東フィル@サントリー (2007/10/19)

2007年10月20日 10時50分13秒 | クラシック音楽
ということで、聴いてきました。

今回もなんだかマナーは悪く…。
美しいピアニッシモを奏でているときにガムをクチャクチャ噛む音を
聞かされる身にもなって欲しいです。

それはともかく。

今回は、前回よりずっと良かったです。

前半はプロコフィエフピアノ協奏曲第2番。
ソリストは前回と同じくアレクサンドル・メルニコフ。
「皇帝」の100倍くらい良かったです。
というより「皇帝」がマイナスだったから比率が求まらない感じ。
ピアノが主役の場面で音量でオケに負けてることは度々ありましたが、
全体的に、ロマンチックで美しくてよかったですね。

プレトニョフの指揮も面白くて、あれ?こんな曲だったかなと思うこともたびたび。
第2楽章なんかは蒸気機関車が汽笛や蒸気音を響かせながら走っていくようでした。
第3楽章は私の記憶では、「ロメオとジュリエット」の騎士たちの踊りに
近い曲のように思ってたんですが、
なんだか全く違う曲のように聞こえました。

この曲の一番のお気に入りは
第4楽章前半の「犬神家の一族」(旧版)のテーマ風の部分で、
ピアノ独奏をゆっくりと静かに始めて
オケにつなぐように不気味に盛り上がって行って欲しかったんですが、
今回は、ソロの部分がそこだけで閉じていて自己完結で盛り上がり
オケまでのつながりがあんまり考えられてなくてつまんなかったですね。
犬神家風にやって欲しかったんですが。
(それ、違う曲だから(笑))

で、アンコールは
スクリャービン 2つの詩曲Op.32 第1番。
もう、すんごい美しかったです。鳥肌もんでした。
「皇帝」を弾いた人とも、プロコを弾いた人とも完全に別人。
弱音を中心に効果的に硬い音を織り交ぜ、微妙な響きを大切にした
ため息が出るようなロマンチックさでした。
音も良く揃ってたし、ミスタッチも無かったし。
ただ、微妙な響きを大切にする人の特徴で、音は小さめでした。

オケに負けない音を出さなきゃいけない協奏曲は無理なのか
もしたしたら、ソリストの音量に配慮が足りない
プレトニョフとの協奏曲は無理だっただけかもしれないけど、
「皇帝」ではもともと得意じゃない大音量を出そうとして
他が全部お留守になった、で当たりのような気がしました。

プロコでも少し無理しているようで、音の揃い方が悪く
ミスタッチも多かったんですが、それでも微妙な表現なんかは
ちゃんとできてて、美しかったです。
協奏曲じゃなくてリサイタルなら行ってみたいと思いました。

ちなみに、コンサート終了後に普段着に着替えたメルニコフが
通路に居るのを見かけましたが、
青いチェックのネル?のワイシャツに下はジーンズだったかで、
これから日曜大工を始ようとしてるアメリカ人のお父さんのようでした。
演奏の時は黒い蝶ネクタイにジャケットだったんですが、
なんか、ホテルのラウンジの給仕長さんって感じでした。
せめて燕尾服にしておけばよかったのにね。
音楽家って雰囲気、全然無いです。

なお、東フィル、前半ではやっぱりティンパニーの音がおかしかったような。
まるたの耳がいかれたんでしょうか?

さて、後半ですが、チャイコフスキー交響曲第4番です。
第1楽章は、なんだか、リズムが全然取れてなくて
すごく気持ちが悪かったです。
音のバランスの悪い席で聴いたんですが、
そのせいばかりじゃない気が。
全体的に、アクセントを置くべき場所にアクセントが無くて
拍子が切れ目無く漫然と流れていき、
管がついて行けなくなって、いつのまにか半拍ずれた?みたいな。

ということで、飛ばして、第2楽章。
こちらはうってかわって、とても美しかったです。
冒頭のあれは、イングリッシュホルンの音のように聞こえましたが、
イングリッシュホルンは構成に入ってないし、
オーボエですかねぇ。それにしては野太い音(笑)だったんですが。
それはともかく、ちょっと涙もの美しさでした。
プレトニョフは、今回特に、メロディ部分を強調するような感じの指揮で
第2楽章ではこれがぴったりハマってました。

第3楽章は面白かったですね。
RNOのCDの第3楽章も面白かったけど、それとは別の感じの面白さ。
ところどころリズムを強調したり、ジェットコースターのように
強弱緩急をつけて、とても楽しげになっていました。

第4楽章は、どことなくくるみ割り人形のように響く部分が沢山あって
楽しげでした。

この辺りで気がついたんですが、
プレトニョフのチャイコは理由はわかりませんが、
ドキドキさせるものがあるなぁと前々から思っていたんですが、
この人のチャイコは楽しげなんですね。
スタッカート気味にする癖もありますが、
拍子のとり方も最後の拍をちょっと弾くような感じにすることが多くて
なんか、おもちゃの国のようというか。

前にどこかで書きましたが、チャイコの後期交響曲は
どれも気がめいるように暗いと思ってたんですが、
プレトニョフにかかると、迫力とかあまり気にしないし、
重低音もあまり気にしないし、
メロディの重たい部分はスタッカートかけてすっとばしていくせいで
暗い曲でも、なんだか楽しげに聞こえてくると。

音を大きくする部分は沢山あるんですが、
大抵の人は(権威を大切にする人は?(笑))、
そこで重低音を強調し、テンポを落として
壮大な感じにせさようとすると思うんですけど
プレトニョフは、音が大きいところでも、
フレーズの切れを悪くしたり、テンポを落としたりしないので、
疾走感があったり、軽やかだったりするんですね。
迫力には欠けてしまうようなところがあって、
一部の(権威に支配されたい?(笑))クラヲタには受けが悪かろうと
納得しました。
まあ、迫力の定義にも疑問はありますけど。

もともとチャイコって曲は綺麗だから、
辛気臭くならない演奏を心がければ
とても楽しくなるってことですね。

ということで、今回、前半・後半とも、
ブラボーも拍手も日曜日とは比較にならない量でした。

日曜日の段階ではやっぱり東フィルじゃなくてRNOで聴きたいなぁと
思いましたが、
今回は、東フィルでも結構いけるじゃんと思いました。

余談ですが、
チャイコ第1楽章の途中で第1ヴァイオリンの真ん中らへんから
煙が上がってましたが、あれは何?。
何か燃えたんでしょうか(笑)。
それからチャイコではコンマスの弓が切れまくって、
第4楽章の最後まで持つか心配でしたが、なんとか持ったようでした。
コンマス、いつものめがねで小太りの人じゃなかったですね。

プレトニョフ 東フィル@オーチャード (2007/10/14)

2007年10月15日 21時29分56秒 | クラシック音楽
えー、行ってきました。

東フィルには珍しく、お年寄りのお客さんが多く
マナーが悪かったです。
毎度おなじみのN響の客のマナーの悪さは
お年寄りが多いせいでしょうか。
イビキはかくわ、演奏中にセンスでバタバタ扇ぐわ。
あんまりお年寄りに厳しいことは言いたくないんですが、
もうちょっと回りに気を使ってもらえると。

それはおいておいて。

前半の曲は、
まず、チャイコフスキー「眠れる森の美女」から。
えーと、独自の選曲だったみたいで有名な曲が一曲も入ってませんでした。
まさか序曲もやらないとは思いませんでした。
客の反応も鈍かったです。

後半の「ボルト」とかも独自の選曲だったようなんですが、
こういうときは、選曲がわかった時点でホームページとかで
発表できないものでしょうか? > 東フィルさん
予想しない曲ばかり聞かされると、ちょっとつらいです。

ということで、さくっと次の曲ベートーヴェン皇帝に。
ソリストはアレクサンドル・メルニコフ。

まず、メルニコフ、ビラの写真はオオウソですっかりおっさんになってました。
頭頂部が、これはもしかして円形脱毛症(?)と見まごうほど
鮮やかに抜け落ちており、全体的にまるくなってました。
音楽家というよりは、成田で良く見かける白人ビジネスマンのよう。
いままで、プレトニョフはロシアの新人ピアニストではかわいい男の子ばっかり
選ぶよね、とか思ってて、メルニコフも御多分に洩れないと思ってたんですが、
誤解だったようです。ごめんなさい。

それはともかく、メルニコフ、調子悪かったんでしょうか。
メルニコフ聴くのはこれが初めてだったんですが、
ミスタッチは多いし、指は回ってないし、音は揃ってないし。
どう考えても効果を狙ってはずしたんじゃないような外し方を
あちこちでしてました。音は大きかったんですが。
比較的編成が大きいオケに負けない音を出すために他の部分が全部お留守に
なったんでしょうか。
解釈的はオーソドックスだったし、指はこれといって回らないし、
音色に対する気配りはないし。
何が売りのピアニストなんだか良く判りませんでした。
ベートーヴェンは得意じゃないのかな?
次はプロコを聴きますが、そっち方面のほうが得意なのかも。
でも、足元を見なくてもどこでソフトペダル踏んでるか判るような人が
プロコ得意ってあり? まあ、聴いてみましょう。

東フィルさんは、弦が綺麗でした。
第2楽章がとても良かったです。

今回、全体的に管は予想外に健闘してました。
まだヘタレてたけど予想してほどひどくはなかったです。
でも、打楽器がひどかったです。
もれなく調子っぱずれでした。
ティンパニーなんかは音は無闇にでかいのに、
なんだか妙に汚い音で、耳障りに響いてました。
あれはチューニングがずれてたのかな?
小太鼓とかも、進んでいくうちにいつの間にか半拍子ずれていたり。
その他どう考えてもずれてるというか、指揮見てるかお前、
みたいなのが多かったです。
せっかく管が頑張ったのに、これじゃねぇ。

後半ですが、
カバレフスキー コラ・ブルニョン序曲
ショスタコーヴィチ バレエ組曲「ボルト」から
シチェドリン お茶目なチャストゥシカ
です。

はっきり言って、管楽器が非常に重要な曲ばかりで
この選曲は東フィルへの嫌がらせではないかとすら
思ってましたが、
管楽器は予想外に健闘してました。

ボルトは8曲の組曲と6曲の組曲の2バージョンあるらしくて、
6曲版で予習したんですが、本番では8曲の組曲をベースに
曲順を入れ替えたり、どこか違う部分から持ってきたりしたようでした。
だーから、そういうのは、あらかじめ告知してね。

プレトニョフの指揮は、うーん、割合フツーな感じ。
スタッカートを多用するプレトニョフ特有の感じはあったんですが、
リズムを揺らすような部分はあまりありませんでした。
難しいことをやらせても東フィルついてこれないって学習したのかもしれません。
オリジナリティを出すには、解釈の部分でやるよりは
選曲に特徴を持たせたほうが無難とか思ったのかも。

今回のプレトニョフ、顔色良かったですね。
楽しそうだったし元気そうでした。
以前の妊娠8ヶ月?みたいなお腹が7ヶ月?くらいには減ってました。
でも、それで曲がフツーだと、ピアニスト辞めて負担が減って
毎日が楽になって楽しくなって、ヤキが回った(笑)のかと
当初は思いましたが、
6月のショスタコはヤキが回った人間にはできない技だったので
相手によって対応を変えたんでしょう。

まあ、ボルトなんかはショスタコってよりはプロコやムソルグスキー的な
感じになってたし、
(もともとそんなにショスタコ臭の強い曲ではないんですが)
その辺は、プレトニョフの解釈がかなり入っていたのかもしれません。
あんまり聴きこんでない曲だと、そういうところ良く判らなくて。
知らない曲をプレトニョフで聴くと、
それがあまりにも自然で、他のものを聴けなくなることがよくあるので
単に、そういうことだったのかも。

全然違う話ですが、
渋谷のBook 1stが移転中で閉まってました。
あれがないと、欲しい本が簡単に見つからないことがわかりました。
大盛堂もバラバラになって規模縮小したし、Tsutayaは半分以上レンタルだし、
紀伊国屋はあんまり大きくないし。
旭日屋書店(だったかな?)の跡地に移るらしいんですが、
前ほど敷地面積ないと思うし、
どういう風に削るんでしょうね。
削り方によっては渋谷に足が向かなくなるかも。さびしいですね。

いいなあ

2007年07月16日 19時55分22秒 | クラシック音楽
アンデルジェフスキとプレトニョフの競演

シンガポールの人がうらやましい!!

日本でこんなのやってくれたら、
仕事全部ほったらかしてでも行くのに!!

プレトニョフとアシュケナージの競演が、
どっちがピアノでもいいんだけど(笑)、
絶対にありえなくなってしまった今、
この組み合わせって、まるたにとっては現代最高の組み合わせです。

プレトニョフとアシュケナージは解釈的に絶対合わないだろうとか
言う人が居そうですが、
プレトニョフが自己主張しまくっても、
アシュケナージはソリストに合わせるタイプだし
どっちも似た系統のロシアロマン主義だし
実現すれば結構いけると思います。
過去には有ったらしいですが。

どっちかっていうと、
完璧主義者アンデルジェフスキと自己主張全開の指揮者プレトニョフの
組み合わせの方が難しいかも。
音楽的な方向性もかなり違うし、
この二人ってケンカしそう(笑)。

でも聴いてみたいです。

アンデルジェフスキとアシュケナージでもいいなぁ。
再来年にはアシュケナージはN響で来日するらしいという噂もあるんですが、
その時のソリストは(グリモーみたいなヘタクソじゃなくて)
是非ともアンデルジェフスキで(笑)。


アシュケナージ/N響(2007/6/30 NHKホール)

2007年07月01日 10時12分21秒 | クラシック音楽
チケット取りそこなったんですが、自由席で聴いてきました。

この日はアシュケナージ最後の日だけあって、
見た事も無いほどの超満員。

この日の演目はベートーヴェン第6番と第7番。
N響の面々もさすがに気合が入っていたようです。
これまでで聴いた事も無いほどの熱演(笑)。
普段からこれやればいいのにね。

まずは、第6番。
端正な田園でした。ベートーヴェンというよりモーツァルトのよう。
第2楽章が美しかったです。
やっぱりアシュケナージは緩徐楽章の人ですね。

昔っからアシュケナージのベートーヴェンは
どんな形にしろベートーヴェンらしくないなと思っていました。
でも、本人はベートーヴェン大好きらしいです。

まるたは小さい頃からベートーヴェンだけは
ドイツ風の演奏を刷り込まれたので、
ドイツ風でないベートーヴェンには本能的に拒否反応が出ていました。
ベートーヴェンのピアノソナタに至っては、
子供の頃刷り込まれた演奏に近いもの以外全く受け入れられない始末。
アシュケナージのベトピアノソナタはショパンのようで
アシュケナージ好きなのに、ダメ!っと思ってしまい
さすがに自分の反応の異常さに、刷り込みってなんて恐ろしい、と思っていました。
最近はだいぶ緩んできましたが。

ロシアの音楽家ってドイツ物好きでも得意でも無い人でも
ベートーヴェンだけは別格のようで、
口を揃えて好きだというし、積極的に演奏もしますよね。
結果として面白くはあっても全然ベートーヴェンらしくないんですが。
これって謎ですねぇ。

話が逸れましたが、お次は、第7番。
実は、第2楽章がもうとてつもなく美しくて、
この日の他の部分の演奏が全部どこかに飛んで行ってしまいました。
だからあまり感想書けてません(笑)。

第2楽章以外の部分については、
田園より7番の方がよりベートーヴェンらしかったし、
ノリも迫力もあったと思うんですが、
第2楽章が印象強すぎて、もうどうでも良くなってました。

印象が強かったのは第2楽章の始めの部分。
まるでプレトニョフのような極端なスタッカートと
消え入るようなピアニッシモ(ピアニッシッシモ?)で始まり、
美しいメロディを柔らかい音と弱音とで練り上げて
どこまでも悲しく切なく歌っていました。
ベートーヴェンというよりはショパンのようであり、
まるで、アシュケナージのピアノの音が聴こえてくるようでした。
ちょっと鳥肌が立ちました。

アシュケナージのピアノを好きになったのは、
この人の弱音の美しさに魅かれたからだというのを思い出しました。
アシュケナージのピアノは
一般には主旋律の硬質な音の方が特徴として上げられることが多いんですが
個人的には、硬質な音と時折入ってくる柔らかく小さい音との組み合せが
絶妙な美しさをかもしており、
また、主旋律を支える部分のくぐもった音が
主旋律と明確なコントラストを作っていて、
それが歌うような美しさの秘密と思っています。
硬質な音一本ではあの美しさは出てこないと。

そんなこんなで、
第2楽章の余韻に酔っている間にあっという間に演奏終了。
ブラボーは6番より7番の方が良く飛んでました。

最後に花束贈呈がありました。
真赤なバラの花束でした。
こんな日ぐらい、アンコールやってもいいのにね。
NHKホール定期のアンコールやらないシステムは改善の余地があると思います。

ちなみに、この日配られたチラシによると、
来年8月にアシュケナージ指揮でEUユースオケが神奈川県民ホールで公演するとのこと。
嬉しいっちゃ、嬉しいんですが、
8月? しかも神奈川県民ホールのみ?
どういう趣旨の公演かさっぱりわからないです。
去年のイタリアパドヴァ管弦楽団の来日公演も潰れちゃったし、
あまり真に受けないことにしときましょうか。

アシュケナージ/N響(2007/6/23 NHKホール)

2007年06月24日 17時42分43秒 | クラシック音楽
まずは一曲目、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番
ソリストは清水和音。

正直当初ソリストにかなり不安があったんですが、
数ヶ月前のTANTOクラシックで、清水和音がいかにこの3番を愛しているかを
気合を入れて語っており、その時放送された演奏を聴いて
テクニック的には全く問題無いことが判りました。

それで昨日のは、ピアノは予定通りテクニック的な不安は無く、
ちょっと軽く流れすぎている感はあったにしろ、
オケと調和した美しい演奏でした。
オケの方は、あまりでしゃばることもなく、
ピアノを立てるような感じで、
あまり多くない、オケのみのパートは十分な美しさで
アシュケナージらしさが出ていました。

多分、技術的には、RNOや上原彩子の方が断然上と思うんですが、
協奏曲はピアノ曲でも管弦楽曲でもなく協奏曲である以上、
ソロとオケがどんな形にしろ、相乗効果が得られるように演奏されるべきと
思うので、(そういう点でまるたはツィメルマンのラフマ2番が許せない)
今回のアシュケナージ、清水和音の組み合わせは
とても良かったと思います。

アシュケナージN響音楽監督就任期間中唯一のラフマニノフってことで
聴く側も過剰な期待を抱き気味でしたが、
3番ってショパンのP協ほどではないにしても
割合オケ比率の低い曲で、
アシュケナージのラフマニノフを堪能するんだったら
2番で聴きたかったな、などとワガママな感想を持ちました。

ちなみに清水和音、
ロン・ティボーで優勝した直後に
NHKの朝のニュース番組に出演したことがあるんですが、
まるたは大昔に、それを見たときの印象をまだ覚えています。

紅顔の美青年だったし、
またうちの家族が、クラシックピアニストのことなど何も知らないガキンチョに
「ほら、これが日本一のピアニストだよ」などと言うものだから、
強烈に印象が残っています。

しかし、今はもうなんだか人相悪くなっちゃって、
体もぷくんぷくんだし、昔の面影無いですねー(笑)。
時の流れは残酷だー。
人間40を超えたら自分の顔には責任持たなくちゃ。
やっぱり○人が3人もいるとかじゃ、人相も悪くなろうというもの。
そういう意味ではプレトニョフもそうかも。
この人も激しく人間的に問題ありそうだし。

脱線しましたが、美しいラフマニノフでした。

つづいて、チャイコフスキー マンフレッド交響曲。
ラフマの方がかなり小さめの編成だったので、
マンフレッドの出だしの音の大きさにビビリました(笑)。

とにかく編成が大きくて、舞台からはみ出したらしく、
打楽器の一部が舞台袖に隠れていたらしいです。
鐘の音がするのに、打楽器隊は誰も動いてなくて、
どうやら舞台袖で演奏しているらしいと。

終わりの方にパイプオルガンとかも出てきました。
舞台右手にへんな鍵盤楽器があるなー、
チェレスタにして大きいなー、なんだろなーと思っていたら
パイプオルガンのコンソールでした。
ちなみにNHKホールにパイプオルガンがあるのを初めて知りました。
今まで気づかなくて。
あれって、いつもあそこにありましたかね?
スイッチを押すと壁が開いてうぃーんっと出で来るんだと楽しいな。
んな訳ないか。

それはともかく。
マンフレッドに抱いていた印象は、
あちこちにどこかで聴いたようなチャイコ特有のフレーズが出てくるものの、
全体的に散漫で冗長、まとまりが悪いというものだったんですが、
昨日のは、全体が良くまとまって、最後に向かってよく盛り上がっていました。
終わり方が尻切れトンボなのはもうそういう曲だからしようがないんですが。

特に第3楽章が美しかったです。
アシュケナージはこういうのがやっぱり得意ですね。
一転して、暗く重苦しく辛気臭い感じの部分は
どうしても感情がうまく入ってこない印象を受けました。
短調でも切ない感じの部分は上手いんですが。

ということで、アシュケナージの任期は終わりに近づいています。
ラフマ、もっと聴きたかったです。
寂しいなぁ。
あ、でも次は「ピアノの森」に期待。



サイン会

2007年06月23日 22時09分22秒 | クラシック音楽
本日、NHKホールでアシュケナージ/N響を聴いてきました。
感想はまた後で、というか、気合があるときに別途。
気合が無いと書かないかも(汗)。
出来は良かったと思うんですが、
例によってNHKホールの客のマナーが悪くて、集中して聴けなかったので。

それはともかく、ホールに写真のようなチラシが置いてありました。
う~ん、いくか? サイン会。
もうきっとこれが最後だしねぇ。見納めと思うと行っとくべきのような気も…。

来シーズンからN響の桂冠指揮者には就任するらしいんですが、
N響って名前だけのなんとか指揮者沢山いるし、
これだけ関係が悪化するともう呼ばれないんじゃという気もするし、
こっちとしてもNHKホールもN響ももう沢山という気もするし。

アシュケナージって東フィルみたいなオケの方が合うんじゃないかという
気がしますが、まあ、これは有り得ないと思うし。

やっぱり今年で見納めですよねぇ。
そう思うとサイン会、魅力的では有りますが、
馬鹿げて混んでそう。人込み、凄い苦手なんですよねぇ。


評論

2007年06月08日 20時12分35秒 | クラシック音楽
今日の夕刊に、みなとみらいのRNOの評論が載ってたんですが。

プレトニョフの音楽はロシアっぽくないんだそうですよ、
ゲルギエフと比べて(嘲笑)。
ああ、この批評家にとってロシア=ゲルギエフなのね、
ロシアのロマンティシズムとか全く理解していないのね、と。

まあ、バイアスかかるのは個人の勝手だし、
それが音楽評論家って名乗るのも勝手だけど、
こんな趣味に走ってるだけのクソったれが
朝日新聞みたいな大新聞に評論書いてるってのが許せないです。
評論家選べよ! 朝日新聞!

あ、もしかして、アシュケナージバッシングのきっかけになった評論家ってコイツ?!

日本の音楽評論家って本当にグレード低いです。
海外の音楽雑誌とかたまに買って見るけど、
そういうの読むたびに、記事のグレードの差を感じます。
日本のは単に行き過ぎたクラヲタによる同人誌なんですよね。
ジャーナリズムになってないんですよ。


プレトニョフの本

2007年06月08日 19時54分41秒 | クラシック音楽
プレトニョフの本が自費出版系電子書籍で買えるとかで、
丁度、むかーし買ったwebmoneyがまだいくらか残っていたので、
買って読んでみました。

…つまんねー…。

訳者のあとがきが全てを物語ってますね。
「この本は三社から出版を断られた。称賛ばかりでつまらないというのである。」

プレトニョフ本人をより良く理解するための内容は一切無く、
どこかのコンサート評のいいところだけを集めたというか、そんな感じ。
褒めてるだけの部分をすっ飛ばしながら読んでいったら
読むところが殆どありませんでした。
まあ、かなり本人から内容を制限されたんでしょう。
プレトニョフの伝記は、是非本人が死んだ後に書かれた物を読んでみたいものです。
←ファンとは思えない言いっぷり。ひでぇ(笑)。
そんなこと言ってると自分の方が先に死んだりするよねー。反省反省。

大体500円くらいだったんですが、
中に含まれる昔の写真を見るための代金と思えばそれでいいってくらいかな。
「3歳半のミーシャ」、可愛かったです(笑)。
しかし、電子書籍を見るために結構面倒くさい処理も必要だったので、
赤字かも。

ちなみにwebmoney。2,3年前にやっぱり500円くらいのものを買いたくて、
最少額2000円のwebmoneyを買ったんですが、
その500円を使ったまま、その後ずーっと手付かずでした。
まあ、使える場面にめったに会わないしねー。
使用期限が無いのは覚えてたけど、会社潰れたりするし(笑)、
まだ使えてよかったです。


プレトニョフ/RNO@オペラシティ(2007/6/5)

2007年06月06日 20時54分40秒 | クラシック音楽
ということで、リターンマッチしてきました。

まず最初は
シベリウス フィンランディア
んー、なんだかフツー。

次は、
シベリウス ヴァイオリン協奏曲。ソリストは樫本大進。
微妙にソロとオケがかみ合ってなかった?
というよりは、こんな曲だったっけ、特にオケの方、という感じで、
合ってるか合ってないかも判りませんでした。なんだそりゃ。
ヴァイオリンだと殆どメロディーのみになっちゃうから、
多少ずれても、わざとかずれちゃったのか判別付かない感じもあるし。
聴きなれたの印象違ってたのは確かでした。
オケの音量が大きかったし。でも、ヴァイオリンは負けてませんでした。

樫本大進はフェドセーエフでチャイコのVn協聴いたことがあるんですが、
そっちの方がずっと自然だったし、弾きやすそうだったように思います。
まあ、どうみてもフェドセーエフの方が
音楽的にも人間的にも付き合いやすい人だと思うし。

あと、今回の曲は、低音で奏でる部分が多くて、
樫本君、あまり低音は得意じゃないか、
あるいは、楽器があまり低音を綺麗に出せないのか、
苦しそうだったし、高音がすごく美音だっただけに、低音の響きの悪さが
際立っちゃった感じはありました。
まあ、でも、それなりに良かったです。

プレトニョフも今回はご機嫌でした。
カーテンコールも出てきたし。

つづいて、チャイコフスキー、交響曲5番。
やー、よかったです。
やっぱり、プレトニョフはチャイコフスキーな人だとつくづく思いました。
特にどこが良いって言えないんですが、
聴いててどきどきしてくる感じがあるんですよね。

2年ほど前のプレトニョフのリサイタルの最後のアンコール曲が
チャイコのノクターンで、これがすごくよくて、
一気にプレトニョフのファンになったときのことを思い出しました。
ノクターンなんて知らない曲だったのに、これって
やっぱり、この人のチャイコフスキーには何か魔力(笑)があるのかなと。

ただ、この人はあくまでも、冬、とか、夜、とか、室内、のイメージなんですね。
ロシアの大自然、とか、太陽とか、夕暮れ、とかそういうイメージは
全く無いです。

第1楽章の長調に転調する辺りは、単に流れの中にあって、
その次の盛り上がりへのつなぎみたいな感じだったし、
第2楽章はなんだか、葬送行進曲というか、故人を偲ぶ会で演奏されている
ような雰囲気で、
アシュケナージが春とか、過ぎ行く夏の夕暮れとか
そういう物をイメージさせたのとすごく対照的だなと思いました。
やっぱ性格でるよねー(笑)。

で、アンコールは
チャイコフスキー 「眠りの森の美女」よりワルツ
グラズノフ 「ライモンダ」より「スペインの踊り」

2曲目はこのリズムと微妙にチャイコフスキーになりきれない感じと
カスタネットに記憶があるなと思って、昔の記録をたどってみたら、
一昨年の東フィル定期でやったアンコール曲と同じ曲でした。
でも、全然違いますねー、響きというかノリというか、
今回の方が踊り出したくなるようで全然楽しそうでした。

チャイコフスキーになりきれない感じのグラズノフでしたが、
5番、眠り、と来て、プレトニョフのチャイコの余韻を壊さない曲だったので
良かったです。
やっぱり、プレトニョフのチャイコは良い!と満足して家路につきました。

正確には、家路につこうとしたら、
そこらじゅうの座席の下に放置されたチラシの束を見て
気分が悪くなったんですが。

あれってどうにかならないんですかね~。
招聘元は覚悟の上なんだろうけど、
ああいう状態を見せられるこっちの身にもなって欲しいです。
「不要なチラシはこちらに捨ててください」みたいな
チラシ回収箱とか置けないんですかね。
こういうことを平気でできる人が、綺麗なおべべきて、
良識のある大人のフリをして、
良識のある大人が来る場所に混ざりこんでいることがすごく不快です。

ちなみに、この現象、オペラシティが一番ひどいです。
なんで?

まあ、それはともかく、秋の東フィルもチャイコなので、
やっぱり聴きに行かなくちゃ!と思ったのでした。


プレトニョフ/RNO@みなとみらい(2007/6/2)

2007年06月03日 16時36分51秒 | クラシック音楽
最近なんだか忙しくて、ちょっとブログ更新意欲(体力?)が減退しています。
6月にあれやこれやコンサート入れたけど、
(6月に固まって来るし(涙))
行くのがおっくうになりつつあります。
ということで、実はあんまり予習をしなかったです。

それはともかく、
一曲目は、チャイコフスキー、イタリア奇想曲。
追加があったのは知ってたんですが、全然予習しなかったです(汗)。
何回かは聴いたことあるけど、全然覚えてなくて。

曲はイタリアというよりは、くるみ割り人形な感じ、つまり、
ロシアの冬の暖炉の前みたいな感じでした。
暖かくて楽しいんですが、全く太陽の匂いがしなかったです。
チャイコフスキーは全く太陽と無縁な感じの人だし、
プレトニョフもYou belong to the nightな感じの人だし、ロシアのオケだし、
イタリア~な感じを求めるのは無理だったのかもしれません。
でも、綺麗な曲でした。曲名とのギャップを気にせずに、
チャイコフスキーの可愛らしい曲というイメージで聴けばOKなんでしょう。

続いて、ラフマニノフ ピアノ協奏曲3番、ソリストは上原彩子。
今回ほとんど予習しなかったので、
実は、この曲をピンポイントで聴きに行ったのに近い状態だったんですが、

ひでぇ。

ハンガリー国立フィルの時ほどじゃないですが、
オケとピアノが全く合ってなかったです。
カデンツァとかは良かったんですけどね~。
テンポがしょっちゅうずれてたし、
オケとピアノの音のバランスが悪かったし。

上原彩子って音量無いんですかね?
他の曲より編成を小さくしたオケの音に負けてました。
ピアノが主旋律を奏でてるときに、特に大きくも無いオケの音にかき消されて
聞こえなくて。

パンフを見ると、RNO、来日してからこっち毎日コンサートやってます。
6/1もどこぞの音大でやったらしいです。
で、上原彩子との競演はこの日が初めて。
ということは、全然リハーサルやってないんじゃ?
ぶっつけか、当日の朝に1回やったか、そんなもんじゃないかと。

そういうことは往々にしてあるとは噂には聞いてますが、
高いチケット料金取るんだから、そういうことをするときは、
それでもちゃんといける演奏家でやって欲しいです。
昨日のラフマはあの値段で売り物にしてはいけないレベルでした。
まあ、チケットが高い理由の半分は円安のせいだと思うけど。
それでもねぇ~。
正直あれだけ聴きに行ったのに、あんな状態だったので爆死しました(涙)。

プレトニョフもやる気なさそうに、バーにもたれて指揮してましたしねぇ。
カーテンコールなんか一度も出てこなかったですよ。
まあ、本人も納得してないのかもしれませんね。

でも、ブラボーが飛ぶんですよねぇ。
ハンガリー国立フィルの時も飛んでたけど、
あれって何? 聴いてないの? 何でもいいの? 指が回ってればいいの?
お友達? 雇われブラボーおじさん?
それともチチが揺れてたからOK?

どうでもいいけど、上原彩子の衣装、チチが揺れてました(爆)。
上半身ホルターネックな感じのドレスで、
多分、ブラジャーもコルセットも無しで、ドレスの内側につけた
パッドだけだったんじゃないかと。
パーティーで着るならともかく、コンサート用の衣装にするなら、
特注でコルセット作った方が良かったんじゃないでしょうか。
なんかすご~く変な感じでした。

で、次はショスタコの交響曲第5番。
正直、ショスタコ大っ嫌いで。
意欲減退云々関係なく予習なんかしたくなかったです。
まあ、前にゲルギエフを聴きに行くために予習したし、
去年、ショスタコイヤーとかで耳にタコが出来るほど聞かされたし、
改めて予習しなくてもいいかな、とか思ってました。

これが、意外に良かったんですよ。
この日一番の出来かなぁ。
あんまりショスタコっぽくなくて、ちょっとプロコフィエフっぽくて
すごく聴きやすかったです。
まるたがショスタコ嫌いな理由の7割くらいが無くなってた感じがします。
そもそもそんなに聴きこんでないから、どこがどうって具体的に言えないんですが。

まるたがショスタコ嫌いな理由は、
あの気味の悪い繋がり方のメロディーと不協和音を
ヒステリックな金管と腹に響く低音で強調してるところなんですが、
昨日のは、曲が自然に響くテンポやイメージを設定し、
不協和音の中でも響きの綺麗な部分やつながりやすい部分を抜き出して強調してたように思います。
全体をそんな感じで作ってるから、強い音であの特有のメロディを出すところとの
コントラストがハッキリしてて、
強い部分は、自然に受け止めるのではなく何か特異な部分として聴けばいい、
という感じで聴けたんですね。

ふ~ん、意外と聴きやすくなるんだ、と思いました。
だからといって、これでショスタコのイメージが改善されたってことは
無いですけど。プレトニョフだからだと思うし。
こういうの聴くとやっぱこの人って曲の構成力高いなぁと改めて思います。

しかし、まるたはショスタコ嫌いなので昨日のは全くOKですが、
ショスタコのショスタコらしいところが好きな人に受けたかどうかは?です。

RNOはアジアツアーの殆ど毎日コンサートという無理な日程の割には、
疲れが出てなくて、音の揃いも良かったし、外したり、ひっくり返ったり、
遅れたりっていうのが殆ど無かったです。
ロシアのオケだけあって、やっぱり管楽器が良かったですね~。
金管がへたれてないのはもちろんだけど、
木管が良かったなー。オーボエの人がすごーく良かったです。

それから、
前にフェドセーエフのモスクワ放送響を聴きに行ったときも感じましたが、
やっぱり指揮者とオケの意思の疎通の仕方が客演でやるのとじゃ全然違いますよね。

東フィルとやるとどうしてもプレトニョフ特有のとっぴな部分が浮き上がってしまって、
変わってりゃそれでいいみたいな一部のクラヲタには受けるのかもしれないけど、
ちょっと全体的な統一感とかまとまりに欠けてしまう印象がありました。

RNOはさすがに長年付きあってるだけあって、
隅々までプレトニョフの解釈がいきわたっていて、
そこだけ取り出せばとっぴとも思える部分が、
全体の中で上手く流れに乗っているというか、
きちんと構成された一部分として存在しているように聞こえました。

最後にアンコールは
J.シュトラウスII ハンガリー万歳
グリンカかと思った(笑)。
ハチャトゥリアン レギンスカ
ボロディンかと思った(笑)。

どちらもノリのいい軽快な曲でした。
この辺りではプレトニョフもご機嫌でしたね。
やっぱラフマニノフは納得してなかったんでしょうねぇ。
いや、それってちゃんとリハーサルしなかったのが悪いわけだし。

つーことで、火曜日(だったかな?)にリターンマッチしてきます。
今度は曲目的にももうちょっと楽しめると思うんですが、
どうかなぁ。

We Want the Light

2007年05月03日 22時22分55秒 | クラシック音楽
We Want the Light

第2次世界大戦中のユダヤ人迫害を音楽の立場からつづったドキュメンタリーです。
アシュケナージが登場するというので買ったんですが、
日本語字幕無し。
英語の字幕が付いていて、音声と字幕と両方あれば何とかなる感じでした。
字幕なしでも、字幕だけ(登場人物が時々ドイツ語やらフランス語で喋りだすことがあった)でも、
ちょっとつらかったです。

2枚組みのDVDで、本編は短いんですが、
おまけとして、4時間にわたる関係者インタビューがあって
字幕から目が離せない状態なので、ながらでみることができなくて
テレビの前にちゃんと座って見る時間を確保しなくちゃいけなかったために
見るのに1週間くらいかかりました。
あー、疲れた。

もう本編の内容忘れました(笑)。
インタビューの方がインパクト強かったですし。
クラシック音楽関係者のインタビューがあって、
総合すると、
ワーグナーは強烈な反ユダヤ主義のろくでなしである、
しかしワーグナーの音楽は素晴らしく、
音楽の素晴らしさと人間の素晴らしさは関係無い、
という意見が大勢を占めたようです。

興味深かったのは、インタビュアーがワーグナーと反ユダヤ主義の
話を振ると、殆どの人は
「こいつはどうしてこんな話をいつまでも続けようとするんだ」
といった嫌そうな表情で上に書いたような内容の答えをしていたこと。
まあ、実際問題として、ワーグナーが許せないから
ワーグナーの音楽などクズだとは言えませんがな。
たとえそう思っていても、それを言ったら、
「ユダヤ人が嫌いだ、ユダヤ人の音楽などクズだ」と言った
ワーグナーと同じ穴に落ちてしまうし。

ただ、もし、現代社会で反ユダヤ主義的行動をすれば、
そいつは間違いなくろくでなしだけれども、
あの当時の行動として反ユダヤ主義的な言動がろくでなしのものであったかは
ちょっと怪しいんですね。
インタビューされてた人は余りそういう時代背景を考慮していたとは言えず、
人種差別的言動=ろくでなし、と切り捨てているようにも見受けられました。

ワーグナーが生存していた19世紀の中ごろは反ユダヤの嵐が吹き荒れていた頃で、
こういう言動をしたのは周りの動きに敏感だっただけにも見えます。

さらに、ワーグナーのオペラは立身出世物語系の壮大なのが多くて、
まるたはこういうのを好きな人って三国志とか戦国武将の話とかそれ系の話が好きな
人が多いように思うのです。
よく言えば上昇志向の強い人、
悪く言うと、無駄にプライドが高くて、故にコンプレックスの強い人。

このあたりを紐解いていくと、
反ユダヤ主義の成り立ちとも繋がって行くようです。
あの頃のヨーロッパの主にお金周りははユダヤ人に支配されていることが多かった
らしいです。
まあ、勤勉で優秀な人が多かったんだと思いますが、
そういうお金持ちや優秀な人が、
なんだか自分とは違う宗教と違う生活習慣で
一見、自分達に溶け込んでいるようなのに、
実は、自分達を絶対に中には入れない、閉じた世界を持っているというのは
無駄なプライドが高い人のコンプレックスを刺激したらしく、
反ユダヤ主義自体が大体そんなところから出てきたらしいんですが、
こういう思想が、これまたコンプレックスの強そうなワーグナーという人に
渡りに船だったのは容易に想像付くわけです。
また、ああいう粘着質な大作を書く人が、
粘着質に特定の思想に思い入れるなんて有りそうだしね。

時代背景的にも、平等思想が行き渡っていたとは言いがたく、
封建社会がやっと終わるかどうかという時代で、
人種差別など当たり前、植民地も奴隷も当たり前、
やっとこさ、異教徒=悪魔という構図から出たかどうかという時代に
そうでなくてもろくでなしが多かったんじゃないかという音楽家に
現代的で当時としてはとてつもなく博愛的な人種の平等思想を持っていろ
という方が無理だったんじゃないかと。

ワーグナーとヒットラーは殆ど同時にはこの世に居なかったわけで、
どっちかというと、
ワーグナーはヒットラーに利用されただけと見るのが正しいのかなと。
まあ、利用されやすい中身だったのは確かですね。
民族主義、ナショナリズムは失業などがひどくなってくると
政治の道具に利用されやすくなる思想で、
そういう中身のオペラを書いていたわけだから。

ただ、今ならそういう思想にもブレーキがかかるところですが、
(今のニッポン、ちと怪しいけど(笑))
ワーグナーの時代にブレーキをかけられるだけの思考を
哲学者でも経済学者でも思想家でも無い人に持っていろというのは
ちょっと苦しいかも。
実際、ワーグナー以外にも、
あの時代の音楽家で反ユダヤ主義者は多かったらしいです。
チャイコフスキーは有名としても、
(この人ってどこまでろくでなし?(笑))
ショパンとかムソルグスキーとか。ほんまかいなって感じ。

ただ、だからワーグナーをナチスと切り離して聴くべきとまでは思いません。
これがヒットラーに利用されたのは事実だし、
迫害されたユダヤ人には
聴きたくもないものだというのは当然だと思いますしね。
もうワーグナー自身がどうだったという話とは関係なくなってると思います。
ビデオでインタビューされていたユダヤ系の方々は
時代背景が何であれ、ワーグナーの話などしたくもないんでしょうね。

なお、このフィルム、
ヌーペンという監督さんが作ったフィルムなんですが、
この人はクラシックのドキュメンタリーをいろいろ作っていて、
アシュケナージ、結構出てきます。
指揮してることの方が多いんですが、
ピアノも結構弾いています。

この監督は演奏者の顔より手元を映す手法を取る人で、
特にこちらのDVDなんかでは、
アシュケナージのピアノを弾いている手元が長時間映されていたりして
これはこれで結構貴重だったりします。
もっとも、ヴァイオリンや歌の伴奏が多いので
そんなに超絶技巧を披露している訳ではないです。
半分BGMとして使われてることもあって、
ゆったりした曲が多いし。

アシュケナージの指、結構太くて、
前にどこか外国の雑誌で、
「指がソーセージのように太い」って書いてあったのを思い出しました(笑)。

あと、このシリーズで
アシュケナージが展覧会の絵を弾いているフィルムがあるらしいです。
これも輸入キボー!! というか、復刻キボー!! かな?