おはようございます!!
ハル文庫の高橋です。
年末も押し迫ってまいりましたね。
今日を入れて、あと4日。
皆さま、気ぜわしいと思いますが、
そんな中、サラさんから回ってきた三津田さんのお話を
連日、一挙公開です。
そして「残りの楽しみは、また来年」だそうです。
きっとサラさんは、三津田さんの話を書くのが楽しみなんでしょうね。
三津田さんはご主人がなくなって、公務員の官舎を出ることになり、
娘と自分と二人で住む家を探しました。
そして、いよいよ引っ越してきたのです。
それを機に決めたこととは…?
五月末、青い空がどこまでも続く気持ちの良い日に、
フサコさんは新しい家に引っ越してきました。
横浜の官舎から持ってきた荷物は、そんなに多くはありません。
そもそも終戦の翌年に、北朝鮮の平壌から身一つで脱出したとき、
荷物は何もかも、置いてきたのです。
日本での戦後の生活は、何もないところから始まりました。
ですから、三津田家はたくさんの荷物に囲まれて生活していたわけではありません。
それに「当時の日本人は、旧家でもなければ、
そんなに荷物を持たない生活をしていたのではないかしら」
と娘の直子さんが話していました。
夫の三津田氏のもちものでもってきたのは、本棚いっぱいの書物です。
(主のいない後の荷物は処分してきました。)
その本を応接間にするつもりの六畳間に仕舞い、
台所の道具と自分たちの荷物を片付ければ、引っ越しは完了です。
泣いても笑っても、とにかく新しい生活が始まりました。
三津田氏と共に暮らした家に、もう三津田氏はいないのですから、
後ろを振り返っても仕方ありません。
前を向いて進んでいくのみです。
フサコさんは、引っ越しをするときに一つ決めたことがありました。
これまでの人間関係を大幅に縮小すること。
つまりお金のかかるお付き合いはやめることにしたのです。
夫の収入があればこそ、冠婚葬祭のやりとりにしても、
何の差しさわりもなくやれていたのです。
たまには奥様方と歌舞伎を見にいったり、美味しいと評判の洋食屋さんに、
食事に行ったりする余裕もあったわけです。
でもこれからは、生活をできるだけ切り詰めていかなければなりません。
「虚礼廃止ですよ!」とフサコさんは考えました。
「生活が変わるのだから、人間関係が変わるのも当然のこと」
と自分に言い聞かせました。
「ごくごく親しい友人と、弟や従兄弟のように心許せる親戚以外、
おつきあいはやめましょう」
決めたからには、勇気をもって対処するのみです。
「とにかく、夫の死をともに悲しんでくれる娘がいるわ」と、
フサコさんは顔を上げ、窓の向こうに拡がる空を見て考えました。
一挙公開というわりには短い話です。
「でも、三津田さんらしい、サバサバした考え方だわ」
とサラさんが言っていましたよ。
それでは、慌ただしい師走ですが、
素敵な1日をお過ごしください!