クリスマスが終わってしまった!(はやい! はやすぎる!!)
昨日バタバタしていてアップしそこねたクリスマス・ブック。
遅ればせになってしまったけど…。
マーク・トゥエインの姪の娘というジーン・ウェブスターが
1912年に発表した『あしながおじさん』(DADDY-LONG-LEGS)。
ジョン・グリア孤児院で育ったジェルーシャ・アボット(ジュディ)という女の子が
篤志家の評議員スミス氏(匿名)の援助で、
女子大学に進学することからはじまる物語。
ジュディは教育を受ける代わりに、評議員のスミス氏に
大学生活のようすを手紙に書くことが義務付けられます。
本は、そのジュディの手紙でつづられていきます。
『あしながおじさん』のクリスマスについては、
スミス氏から毎年届くクリスマス・プレゼントに注目!
…これまで、クリスマス・プレゼントなどもらったことのないジュディ。
大学一年生の最初のクリスマスにあしながおじ様から届いたのは、
5枚の金貨でした。
大学1年生のクリスマス
「おじ様のくださいました五枚の金貨には驚嘆いたしました!
私は今までクリスマスの贈物というものをもらったことがないのでございます。
(これまでにもたくさんのものをくださったのに…)その上こんなにいただくべきではないような気がいたします。
それにしてもやっぱり私はうれしがっているのでございます。」
(新潮文庫/松本恵子訳より抜粋。以下おなじ)
そのお金でジュディは七つの品を買いました。
①皮ケース付銀測腕時計
②マシューアーノルドの詩集
③湯たんぽ
④ひざかけ毛布
⑤黄色い原稿用紙五百枚
⑥類語辞典
⑦絹くつした一足
これらの品はカリフォルニア州に住む家族や親せきから
箱詰めになって送り届けられたことにして。
父からは時計、ひざかけ毛布は母から…といった具合です。
「おじ様は私の家族を一まとめにした役を演じるのをいやとはおっしゃいますまいね?」
大学2年生のクリスマス
とくべつに記述はないけれど、やっぱり金貨が贈られたようです。
ジュディが買ったのは新しいドレス。
「今年のクリスマス・プレゼントはおじ様からだけで、
家の人たちからは愛をこめた言葉を贈ってくれただけなのです。」
大学2年のクリスマスは
大学で親友になったサリー・マクブライドのマサチューセッツ州の家に招かれ
そこで過ごします。
ジュディのために開いてくれたダンス・パーティ。初めての経験です。
「私は新しい白の夜会服を着ました
(これはおじ様からのクリスマス・プレゼントでございます。まことにありがとうございます)。
それに白い長てぶくろをして、白じゅすの舞踏靴をはきました。
申し分ない完全な幸福としてただ一つ欠けていた点は、
ジミー・マクブライドと腕を組んでコチロンの先頭に立って行進したときの私の姿を
リペット院長(ジョン・グリア孤児院の院長)に見せてやれなかったことでございます。」
大学3年生のクリスマス
今年も金貨?
いえ、それが違うのです。
大学3年のクリスマスは、同じく大学の友人、ジュリア・ペンデルトンの家に招待され
ニューヨークで過ごします。
そして、スミス氏からのクリスマス・プレゼントはお金から品物へと変わります。
「これから二課目の授業に出て、トランクとスーツ・ケースをつめて、
四時の列車に乗らなければならないのです──
けれども、クリスマスの贈物を、どんなにありがたがっているか、
一言おじ様にお礼を申上げずに出発することはできません。
毛皮のえり巻きも、首飾りも、絹のスカーフも、手袋も、ハンカチも、本も、お金入れも、
みんな私の大好きなものばかりです──わけても私のいちばん好きなのはおじ様ですわ!
でもおじ様はこんなことをなすって、私を甘やかしておしまいになる法はないとぞんじます。
私だってただの人間──しかも若い娘でございますもの!
おじ様がこうして世俗的な美しいもので私の心をわきへそらしておしまいになるのでは、
どうしてわきめもふらずに勉学にいそしむことができましょう!」
そして大学4年生のクリスマス
スミス氏からのプレゼントについて、ジュディはこのように手紙を書いています。
「私の大好きなおじ様
おじ様は常識なんて持ち合わせていらっしゃらないんですのね。
一人の娘に十七もクリスマスの贈物をするものではないということがおわかりになりませんの?
私が社会主義者であることをどうぞご記憶くださいまし。
おじ様は私を財閥政治主義者にするおつもりなのですか?…
おじ様は世界一ご親切な方です
──また世界一のおばかさんでいらっしゃいます!」
ほらほら、クリスマス・プレゼントの部分だけを抜き出すと、
何かが進展し、変化しています。
あしながおじさんのプロットは、あのアガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』や
『オリエント急行殺人事件』にも匹敵するような見事なもの。
一回使われたら、もう二番煎じと思われることは確実なので二度と使えないような仕掛けでした。
子どもには、プレゼント内容の変化の裏にあるものが見抜けない。
大人になってはじめて『あしながおじさん』を読む人は、
存在は謎のままの「あしながおじさん」の実像を
途中で「もしかして」と気づくことができるのでしょうか?
『あしながおじさん』のクリスマス・プレゼントには
〝スミス氏とは誰か?〟というミステリーの重要なカギが張り付いています。