プリンス・エドワード島は、カナダの東の端、大西洋に面するセント・ローレンス湾に浮かぶ小さな島です。
小さいながら、プリンス・エドワード・アイランド州として、カナダにある州の一つ。ただし、面積も人口も一番小さいのですが。
プリンス・エドワード島と呼ばれるようになったのは、一七九八年のこと。当時ハリファックス駐在のイギリス軍を指揮していた、ケント公エドワードにちなんで名づけられました。ケント公エドワードは、ヴィクトリア女王の父親にあたる人です。
新大陸が発見されてからというもの、ヨーロッパから多くの人たちが新天地を目指してアメリカ大陸へと入植してきました。『赤毛のアン』の作者ルーシー・モード・モンゴメリの先祖も、そのような人々の一人でした。
十八世紀半ばごろ、ルーシー・モード・モンゴメリのおじいさんのそのまたおじいさん、ヒュー・モンゴメリは、スコットランドからカナダを目指して妻とともに大西洋を渡っていったのです。
当時、大西洋航路は五日ぐらいかかったそうです。 ところで、ヒューの妻は、船に乗った途端にひどい船酔いに見舞われ、死ぬほど辛い思いをしていました。 ちょうど船がプリンス・エドワード島の北の沖合いに差しかかったところで、船長は錨をおろして新鮮な水を補給することにしました。 そして、ヒューの妻に、「陸に上がってみれば気分がよくなるから」と上陸をすすめたのです。 陸にあがったヒューの妻は、なんということ! 二度と船に乗ろうとはしませんでした。 「船なんて、もうまっぴら。また船に乗るくらいなら、ここに住むことにします」と宣言し、誰が何と言おうと、てこでも動かなかったそうです。 そんなわけでヒュー・モンゴメリは仕方なく船から荷物を全部降ろしました。そして、プリンス・エドワード島を移住の地と定め、住み着きました。そして、モンゴメリの一族を繁栄させていったということです。
ヒュー・モンゴメリの孫のそのまた孫で、作家となったルーシー・モード・モンゴメリは、プリンス・エドワード島について、こんなことを言っています。
「わたしが生まれたこの土地を、わたしがどんなに愛していることか──故郷の匂いがわたしの血に流れこんでいるのです。ふるさとの響きがいまもわたしの耳の中で鳴り響いています。たとえどこに住もうとも、あの島に打ちよせる波のささやきが「島に帰れ」と夢の中でくりかえすのです。この島に生まれたということに、また島を抱きしめるように包み込むセント・ロレンス湾の青い海に、どのように感謝したらいいでしょう」(『険しい道・モンゴメリ自叙伝』L・M・モンゴメリ著、山口昌子訳/篠崎書林より)
プリンス・エドワード島は『赤毛のアン』の物語の中で、あるいはモンゴメリの他の作品中に描写されるように、大変美しい島です。青い海、木々の緑、可憐に咲き誇る花々。赤土の沃土に、赤い道。
そんなキラキラした癒しに満ちた自然の風景の中で、アンの物語は紡がれていきました。
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