サラ☆の物語な毎日とハル文庫

『消えた王子』の教育法

『消えた王子』に登場するロリスタン親子は亡命者です。
したがって、マルコはほかの子のように学校に通うこともできず、その教育は父親のロリスタンが一手に引き受けています。
大変貧しい生活です。
しかしながら、ロリスタンは息子のマルコをリーダーシップを備えた一流の人間に育て上げなければなりません。
そういう星の元に、そういう運命を背負っ て生まれてきたのです。

さて、そんななか、ロリスタンがマルコに施した教育とは、どのようなものだったのでしょうか?

●見たものは忘れずに記憶すること

見たものは記憶すること。それがマルコの使命です。
父親はこういいます。
「おまえは世間の普通の子どものような教育を受けることができない。
おまえの場合は旅行から、ひろい世界から教育を受けるのだ。
教わったことを身につけて、決して忘れないように」

「親子は、おとずれた町の美術館や画廊、何世紀にもわたって多くの愛好者たちが仰ぎ見てきた絵や彫刻のならぶ場所をめぐり歩いた。
大芸術家たちの感じたこと、彼らの創造の苦しみを語ることによって、父親はその作品をすまなお生きている人の熱い思いのこもるものとして息子に感じとらせ、興味のつきない、魅力的なものにしてくれた。
イタリア、ドイツ、フランス、スペイン、イギリス──行く先々でマルコはそれぞれり国の巨匠たちの作品を鑑賞した。彼らはマルコにとっては昔の人ではなく、すばらしい剣をふるい、輝かしい松明をかかげる、生きている偉人たちだった。
美術館でも、画廊でも、図書館でも、歴史的な建造物でも、父親は最初の機会にはかならず同行した。
父親の目を通して見た、その最初の訪問のあと、マルコは同じ美術館、同じ画廊、同じ建造物をひとりで何度もたずねた。
すべたのものを観察し、何ものも忘れないという訓練を重ねて、マルコは、自分がそうした訓練をつむことこそが父親の願いであることを感じていた。
すばらしい宝物のならぶ、そうした場所は、マルコの教室だった。
そうした豊かな、しかし風変わりな教育こそ、マルコの生活のもっとも興味深い部分であった」
マルコはさまざなものを観察して、記憶する訓練をしました。
記憶するということは訓練できるんですね。
子どもの記憶力が優れていれば、勉強なんて鬼に金棒です。

●見たものをできるだけ正確に再現して話す

そして、ここのところがキモだと思うのですが、マルコは次のようなゲームをして、さらに楽しみを倍増するのです。

「マルコの発明したゲームがある。
おもしろいが、ごく単純なものだった。
昼間見たものをどれだけ記憶して正確に表現できるか、夜、父親にためしてもらうのだ。
それはマルコの大好きな時間だった。
考えぶかげなまなざしに関心をたたえて、息子の話に耳をかたむける父親。
マルコはときおり、気に入った作品をスケッチし、父親に見せて質問した。
そういうとき、父親はいつも、期待を上まわる、豊かな内容の説明をしてくれ、マルコはその話を胸にきざみつけた」

話をすることは大事です。
人は話すことで意思を通じさせることができるのです。
的確に、きちんと、細部にわたって話す訓練というのは、子育てのなかで大事なことではないかと思うのです。
いかにして、話す力を身につけさせるか。
それは、きちんと聞くことではないか。
親が話し上手なら、子どもも話し上手だろう……
ともいえそうですが、なんにしても、子どもに話すことの楽しさを、身をもって感じさせることが大事ではないかと思うのです。
だから、マルコが考え出したこのゲームは、とても優れた教育方法ではないかと思うのです。

●多国語を話せるバイリンガル

マルコは小さいときから、いろいろな国を旅してきたので、何ヶ国語も話せるバイリンガルとして成長します。
マルコと父親は大切な秘密を抱えた亡命者。
自分や自分の生活については、いっさい語らないというのが父と子の約束でした。
「父親はマルコに、どこの国に行っても、そこの言語特有の発音と言いまわしに気をくばるようにと言って聞かせ、そこで生まれ育った子どもと同じようなしゃべり方をするようにしむけた。
『どこの国でも、その国で生まれ育った人間のように見えなくてはね。
イギリスにいるときは、英語以外の言葉はまったく知らないような顔をすること。
フランス語やドイツ語、いや、どこの国の言葉にしても、英語以外はまったく知らないようにふるまわなければならない』」

「さまざまな言語のなかで暮らしてきた子どもの場合によくあるように、マルコにとってはそれぞれが母国語のようなものだった」のです。
  
●自分をコントロールする

マルコは物心ついて以来、自分をおさえる訓練を受けてきました。
マルコは友達に、こんなふうに語っています。
「よけいなことは口にしないってことも大切じゃないだろうか。
ぼくだったら息子に、戦いにのぞむ将軍のように、自分をおさえることを学ばせたい。
やるつもりでなかったことを、うっかりやってしまったり、あとで恥ずかしく思うようなことをしたりしないようにね」

そして、父親からこういうふうに学んでいます。
「心のうちに荒れ狂う感情を爆発させることは、恐水病にかかった動物を解き放つことと同じで、危険だし、およそばかげているってことなのさ。
自分がまずめちゃめちゃになるんだから」

「物事がうまくいかないときや、さびしいとき、父さんはぼくに、すわって自分の好きなことを考えてごらんって教えてくれた──絵とか、本とか、記念碑とか、すばらしい場所のこととか。
そうすると、ほかのくだらないものが押しだされて、心が正しく動き出す」

「一か八かの土壇場で自分をおさえることができれば、きみだって、そのことに気づくだろう。
自分の本能や、気持ちにまかせて行動するものは、おろかなことをやりかねない。
いったん決心すれば、自制できるものなんだよ」

●食事のマナーの大切さ

ロリスタンは食事のマナーの大事さについて、息子のマルコにこう語っています。

「乾いたパンと冷たい水だけという食事でも、紳士にふさわしい作法で食べることはできるはずだ。
不精な習慣はすぐ身につくものだからね。
空腹でガツガツしているときでも、育ちのいい人間なら、そうは見えないだろう。
人間と犬では、出来がちがう。
怒ったとき、苦痛なつき、犬はほえる。
しかし人間はほえない」

だからマルコは、
「自分をコントロールすることを知っており、つねに礼儀正しく、優雅に、しかも自然に振舞うことができた。
まだほんの少年でありながら、目立って姿勢がせよく、頭をしゃんと上げていながら、気どりとか、はったりをまったく感じさせず、少年にありがちなぎこちなさもなかった」
のでした。

時代背景は第一次世界対戦前。
自動車はまだ登場せず、馬車と汽車が交通機関という時代の話ですから、科学や数学、そしてITも話にはまだ登場しません。
しかし、教育の骨子は今に至ってもこれでも十分という気がします。

語学も何もかも、自分で体験して、生きた知識として忘れないで記憶すること。
自分をコントロールすることを学ぶこと。
この二つの点をしっかり抑えれば、後の仔細なことは付属としてついてくる。
したがって、この点に留意して子育てをすれば、優れた子どもを育てることができるのではなかろうかと思うのです。
ああ面白い!!

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