『天と地の守り人』の3冊の最後のところに、上橋菜穂子さんと荻原規子さんと、佐藤多佳子さんの鼎談が3回に分割して掲載されています。
そのなかで上橋さんがファンタジーについて熱く語っています。
そうか、そういう考え方で守り人は生まれたのですね。
それと、ファンタジーって、そういう捉え方でいいんですね。
子どもを読者として捉えた物語って、そういう作者の意図があったんですね。
というようなことを思いました。
ちょっと感動しました。
リスペクトの思いがわいてきました。
印象深い上橋さんの話をここに抜書きします。
「今、見えているもの以外の『世界』があることをリアルに感じるのを『ファンタジー』だというのかもしれない。
でもね、それが当たり前の現実だと思っている人たちは世界中にいるし、とくに、ちょつと前の時代では、それはすごくリアルな感覚だったような気がするのです。
日本人の生活でも、あの世とか世界とか異界とかを常に意識してきだわけだし」
「物語って、あるときから、自分で物語を生んでいくことがあるような気がする」
「物語を読み、主人公と同化して、その物語世界を生き抜いてみると、自分の内側から、『強く生きていこう』と思えたりする。
物語でしか伝えられない何かがあると思うんです」
「もう一度生き直したいという気力がわずかにでも生まれた時期に、ファンタジーを読んだら、ファンタジーというものがもつ、『ほかの世界を想像し、そこに生きてしまえる力』が独特の助けになるような気がするんです。
そこで一生懸命生きて帰ってきたとき、『これしかない』と思っていた今の現実、行き止まりだ、と思っていたところに、別な可能性が見える。
どんな状況の中でも、人は生きてきたんだな、と納得できる。
他者がやってきたがんばりが、自分の心に火を灯す。
物語の中から戻ってくると、今の自分のいる場所が、それまでとは少し違う風景に見え、風を感じることができる。
それが、物語のもつ大きな力のような気がしているのです」
荻原さんの「なぜ生きているほうが面白いのかを、具体的なシーンの肌触りで伝えないと何もわからないでしょう。その肌触りを届けたいと思うのです」という発言を受けて……
「だからこそ、子どもにも読まれる意味があるのでしょうね。
大人の文学では否定から発するものも多く、それはもちろん、深みを描ける。
でも、あらゆる事象がすべて否定されていく虚無を思いながら、それでも、と肯定を書こうとすることは、また、凄まじく難しいことなのだと思う。
それを真面目にやってみようと思ったのが、作家としてのスタートだったのだと、いまこうして話しながら気がつきました」
「肯定を必死に考えて物語を紡いでいるような感覚」
「子どもの頃、生きていることにプラスの意味を見出せないときに、サトクリフの歴史物を読んで、これほどの絶望に生きながら、それでも、明日を生きようとする姿が美しく見えた。
自分もなんとか生きてみようと思えた。
物語が与えてくれた力はすごく大きかった。
子どもの本と言われているものの中には、そういう向き合い方をしているものがいっぱいあると思う」
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kemomo
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