サラ☆の物語な毎日とハル文庫

三津田さんの物語⑧~フサコさんの結婚

@サラ☆

 

三津田さんの物語、8回目です。

いよいよ結婚話が持ち上がりました。

 

 

★フサコさんの結婚

 

京都の女子専門学校を卒業して、そのころ西大久保にあった実家に戻ってからは、

フサコさんは習い事に打ち込む、気楽な生活を送っていました。

「当時の娘たちは仕事を持たないのが普通でしたよ」とフサコさん。

家庭の事情で働きに出る人や、教育者など専門職に就く人は別でしたが、

いまのように誰もが仕事をもつ時代ではなかったのです。

 

とはいえ、習い事もたくさんこなせば、忙しいものです。

お母さんにはお茶、お花、習字、それから和裁を習うように言われました。

フサコさん自身が興味をもって選んだのはバイオリンと社交ダンス。

 

とくにバイオリンは、ロシア人について勉強したというバイオリンの先生を

自分で見つけてきて、熱心に打ち込みました。

かなりの名器といわれるバイオリンも購入し、

ベートーベンの「スプリング・ソナタ」などを、

難なく弾きこなせるまでに上達しました。

(ちなみに、フサコさんの実家の居間には蓄音機が置かれ、

お父さんが買い求めたクラシックのレコードが何百枚もあったそうです。

フサコさんはそれらのレコードをかけては、美しい調べに浸ったものでした。)

 

そんな生活が大好きだったフサコさんは、

「私は、結婚はしません」と宣言していました。

口にこそ出しませんでしたが、お母さんが亭主関白のお父さんの世話に

振り回される姿をずっと見て育ちましたから、

自分はそうはなりたくないと思っていたのです。

 

ところが下に妹が2人いるわけですから、

お母さんにしてみれば、そういうわけにはいきません。

このままでは婚期を逃してしまうと見切りをつけ、

金の草鞋(かねのわらじ)でもって、お婿さんになる人を探してきました。

 

「金の草鞋を履いて探す」というのは、昔からよく使われる言い方で、

「いくら歩いても擦り減らない金属製の草鞋を履いて、根気よく方々を探す」

という意味です。つまり、

滅多にいない、いいお婿さんを見つけ出してきた、ということでしょうか。

老女になったフサコさん自身が

「母は金の草鞋で私のお婿さんになる人を探してきたの」と言っていましたから、

きっとよい旦那様だったのでしょうね。

 

さて、白羽の矢がたったのは、ポルトガルから帰国したばかり、

拓務省(外地の統治・監督、移民事務等を担当)勤務の4歳年上の三津田氏でした。

お母さん好みの、背の高いハンサムな男性で、金沢の知人のつてで見つけたそうです。

 

お母さんは世話好きで鷹揚な人でした。

そこで毎日三津田氏を夕食に招き、

一人暮らしで不便な生活をしていた三津田氏の面倒を見ていました。

せっかく見つけてきた花婿候補を逃したくない、

という気持ちもあったかもしれませんね。

 

ですから、フサコさんは三津田氏を紹介された次の日から、

毎日いっしょに食事をすることになったのです。

しかも、その状態は1年近くも続きました。

毎日顔を合わせ、少しは言葉も交わすでしょうから、

少なくとも気心の知れた間柄にはなっていったのではないでしょうか。

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