リーマンの鯉釣り日記

鯉釣りを始めて、もうかれこれ40年、鯉釣りが好きなんですと言える気持ちを持ち続けていたいです。

神社、教え子、教育、本

2019年12月30日 | 教育
 昨日、神社の清掃と正月の飾り付けを行う。神社の組当番で組長でもあるので、いろいろ前準備とか含め、時間を取られる作業です。まだ元旦とどんどが続きますが。なんとか作業も早朝から始めて、午前中に終わり、その後慰霊碑の清掃を行い、また畑の清掃を行い、墓参りを行い、その後門松作りのために伐採した松の木の後片付けを行い、一息ついて、夜は教え子と焼肉を食べに市内へ。
 今回はまだ初々しい大学生の男子二人で、近況報告を中心に話してくれました。推薦入試で名工大と同志社へ行った二人ですが、まだ同級生では浪人した生徒も多くいて気軽に声を掛けにくいそうで、彼らなりに気を使ってる時期です。2時間強の食事と雑談から今のその世代の感覚を聞ける機会として貴重な時間でした。
 名工大の建築系へ行った生徒からは、微積分の講義が分かたなくて困っているとか。受講している学生皆がそう感じているそうで、受講している全員がほとんど理解できなくて困ってるそうで、それを聞いた同志社の学生は、同志社ではそんな場合には、大学側へその旨を伝えて、担当教官に授業の改善を要求することができるそうです。名工大もそれらしき手段はあるそうですが、まだ1回生ではそんなこともできないような雰囲気らしい。
 実際に講義録がネットにアップされているのを見せてくれましたが、大学1回生のこの時期の微積分に関しては難しすぎる内容で、教官の趣味のような感覚で学生の理解を意識する内容とは思えません。見せてくれた一部は、テーラー展開の話で、それを多変数の関数で講義していて、もう一方の線形代数の講義でまだ十分に行列もきちんと学んでいない学生に行列を使いながらの多変数の関数のテーラー展開の講義はとても名工大の学生には無理です。東大京大でも、普通は1変数の関数でのテーラー展開になるのすが。、この数学の先生は何を考えているのでしょうか。おまけに、名工大なので、理学部数学科ではなく、工学部の学生が対象で、この学生は建築系の学生なのに。
 大学の先生も大変だという話はよく聞きますが、さすがにこの話には愕然としました。高校で言えば、工業高校の生徒に、東大京大の入試問題を普段の授業で行うようなことで、常識的にも高校ではそんなことは行いませんが、大学ではそれに類するようなことが未だに行われていることに愕然としました。昔の私の時代の大学教養部の微積分でもこんな内容の講義はなく、確かに当時は分からない奴は頭が悪い!という風潮の講義ではありましたが、それでも今思い出しても、これはなかったです。先生の趣味でやってる感じで、学生のことを何も考えてないですね。困ったものです。
 この話を聞いただけで、名工大のイメージが悪くなりそうです。最近はどの大学も学生の教育に対しての力の入れ方も増してきて、却って学生を甘やかしすぎているのではないかと思うことも多いのですが、さすがにこれはひどすぎます。妙に教え子の主張に同意してしまてる自分がいましたが、それ以外にも色々楽しい話も聞いて時間を忘れるくらいです。
 同志社の学生は法学部の政治学科の学生だったので、こちらは文系の話が中心。最近読んだ本で何か印象に残ってるのがあるかと聞かれ、山本義隆の「近代日本150年」(岩波新書)を挙げました。

政治にしても、建築にしてもそれを学ぶ上でも歴史は必須で、従来の近代史の本にはない、科学者の視点からの切り口の展開は、我々が今まで知らなかった事実があることに、目から鱗の内容の本でした。特にて京都帝国大学や東北帝国大学の創設に関して、日清戦争の賠償金や足尾鉱毒事件の足尾銅山の古河財閥が関係しているなど、これまでの高校の教科書や歴史書にはない内容には驚かされます。さらに著者の博学には今更ながら頭が下がります。東大紛争が終わった時点で、日本の将来ノーベル物理学賞を取れる研究者が一人減ったと言われたことは、未だに頭に残っています。
 科学者がその知見から歴史を書くことで今までとは違った切り口を見せてもらえることは読者としてありがたいです。同じようなことは、加藤周一の「日本文学史序説」


を読んだ時も感じました。歴史に造詣がある思想家が日本文学史を書くことで、文学者の書いた文学史よりも奥の深い幅切り口での文学史は読んでいて納得のいく感覚があります。


 

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