豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

超個人的疑問⑦

2012-08-22 02:39:25 | 超個人的疑問
2年前、2010年4月13日の朝。

父親が仕事に行く前だったので7時から7時半くらい迄の間に、恐らく健康な父親との最後の会話をしました。

1949年生まれの父親は12月29日生まれで60歳。

「還暦を迎えて残りの人生も少なくなったけど、どう? 何か得たものはあるの?」といった感じの質問を僕はした。

もっとぶっきらぼうな言い方だったけど。


親父は「なんもかわらんわ」と言った。


「なんもかわらんわ」というこの言葉が引き金になって、僕は生まれた時にもあって死ぬ瞬間にもあるであろう自分自身に気付く。

もちろん、それは最近になってのことで、その時は60年も生きて何も変わらないなんて! と思っていたが(笑)


社会的な面では「0パブリック」を表明した坂口恭平さんが、とても明解な行動をしてイリュージョンを起こしている。


彼の「社会という無意識の中に何かを持ち込むのではなく、新しく0から創って行こう」というメッセージは素晴らしい!


今、僕は自身が概念でない生身の豊田真大を表現していくことしか思いつかない。

かっこわるい、ぐうたら人間の僕も人間であり、本来の自分があり、何やら嘘の人生を生かされている。

しかし、世界の外では自由なので、日常で起きてきたことや、思ったことを書いていくことなら出来る。




少しだけ、すっきりしたので仕事へ行ってきます。

ああっ、鬱だあ(笑)

超個人的疑問⑥

2012-08-22 01:40:18 | 超個人的疑問
かなり書いてきたので疲れてきました。

東京ではまた散々な目に遭います。

音楽はピアノ教室に通って、自分でPCの音楽作る機械で遊んでましたが、新聞配達という仕事があんなにきついとは知りませんでした。

初日から「自転車で配達」ということを知りますが、体力的にぜんぜんついて行けない。

夜は道路からの雑音が凄いし、部屋は3畳くらいで、秋だったけどめちゃめちゃ寒い。

ホームシックにはかかるし、ストレスも限界になって、もともと大した気合いがなかったのも問題。

僕は新聞店で仲良くなった2人組とお酒を飲み歩いてバカ騒ぎをすることになります。

おもしろかったけど、やっぱり小さい頃からの問題が解決されていないので、ここでも本当に冗談を生きていると思っていました。

ちなみに僕がお世話になった新聞店は秋葉原駅の直ぐ近くでした。

あとからメイド喫茶とかAKBとか出来て有名になるけど、そのときは電気の街であんまりおもしろくなかったなあ。


2001年4月。

上京から5ヶ月して東京から帰ってきます。

それからはバイトを転々としながら、ああでもない、こうでもないと唸っている日々。

友人Yくんとも色々な話をして、ああ素晴らしいなと感じる時が何度もありましたが、それが具体的行動に結びついたのは数えるくらいしかありません。


『ファイナルファンタジー11』で廃人になってみたり、インターネットラジオ放送をしてみたり、恋愛したりしました。


基本的に疑問について、あきらめの境地にいながら、社会的なことにも全力で物事に取り組めない日々。


今の会社に入ってからも同じ傾向が続いていて、煮詰まってきたら座禅をしたり、精神世界系の本を読んでみたりしていました。

『Iam that -私は在る』(ニサルガダッタ・マハラジ)がお気に入りでした。

このように逃避的な人生を2008年まで続けることになります。

その間にもたくさんの出来事があったので、社会的な方の経験値はしだいに増してはいると思います。


2008年Yくんの友人の影響?で『岡本太郎』の本にはまります。

危険だと思う方向にかけろ! ということで僕もいろいろな体験をしに行きました。

いろんな人にも会いました。

詳しくは書けませんが、ある人達に教えて貰うことで僕は一つの全体的な体験をします。

その体験とは『僕と僕の周囲にある印象が分離されることがなくなって広がる』ということです。

それは、恐らく煮詰めれば「リーラ」で体験したことと「自己の存在」を認識することに橋わたしできるような経験です。

宇宙とわたしはひとつのもので出来ているのではないか。

本来の自己とは認識の外にあるのではないかと感じだしたのがこの頃です。


何かが始まってきたと思えていた2010年の4月13日。

仕事前に自宅で、身体感覚をスキャンする(と小池龍之介さんが言われている)座禅に近いものをしている時でした。

母親が駆け足で仕事から帰ってきて「父親が事故をして病院へ搬送中」だと言う。

この時、また同時に出来事が起きるという不思議な感じを受けました。


この前日か前々日、僕は東京へ赴いて自分の疑問に対する何かを与えてくれるであろう人たちと一緒に様々な経験をしてきたばかりでした。

そして、この日の僕の座禅は今までにないくらい透明で、上空と僕を繋ぐエネルギーの流れをしっかりと捉えることができていたのです。

「すごく良い感じだ」と思っている最中に母親が焦燥して駆けつけてきたのです。


それから病院で生死の境を彷徨う父親を見てから家へ帰ります。

手術は成功しましたが、いつ元に戻るかも分かりません。

病院の喫煙所で呆然として煙草を吹かしていました。

すると空に浮かびあがる夕陽がなにかとてつもなく印象的に自分に入ってくる。

これは小学生の頃に遊び回って夕方になった時に見た夕陽です。

そして、その綺麗な夕陽の感覚は、「リーラ」で綺麗になった時の感覚とまるで一緒なのです。


僕は、その時に思いました。

自分を忘れることで対象と自分の距離感が近くなり非常にリアルに印象を受け取ることが出来るのだと。


しかし同時に、父親が倒れて否応なく自分自身に対する社会的責任を感じざるを得ません。

たった今、これらの記事を書いてみて、社会的なことと心霊的なことは人生の中で同期して僕にやってくるのだと気が付きました。


僕は今度もまた同じ方向へ、つまり社会的な方向へ行きます。

今、付き合っている千鶴さんと出会ったのもこの頃です。

自分の体験が深まった時に父親が事故にあったというのは正に転換せよという天の声にしか聞こえませんでした。


現在、この疑問。

「冗談でしかないと思える世の中で自分自身の正体を暴くこと、切り札を突きつけること」で、新たなショックがやってきています。

尋常ではないと思える勢いで「坂口恭平さん」が社会にメッセージを送っています。

友人のYくんが僕にYouTubeで面白い番組があると教えてくれたのが最近のことです。

そして同時に社会的な面では僕は経済的に行き詰まりつつあり、新たな展開に挑戦せざるを得ないという状況なのです!!


今日の鬱も、それらの中で生まれてきたものとしか思えません。

超個人的疑問⑤

2012-08-22 01:06:05 | 超個人的疑問
三重県に帰ると大学の友人Iくんと、その友人のSさんが出迎えてくれる。

僕たちの間では「リーラ」を体験してからハグをするということが一般的になっていた。

今では恥ずかしくて出来ないが、その当時は抵抗感もなく女の子とでも自然にハグすることができた。


それから少しも時間が経たない内に僕はこのIくんの友人のSさんが好きになります。

この時に、それから10年くらい解くことができなかった愛情の問題が僕に降り注いできました。

結局Sさんとの関係は上手くいかなかったのですが、このタイミングが「リーラ」での体験とほとんど同時に起こったことで僕は「愛」と「愛情」の違いを全く混同してしまいパニック状態に陥ります。

Sさんとの関係が、完全に絶たれそうだと思った時から、それまでも、今からもたぶんないであろうほぼ絶食状態に何日か陥りました。

そして大学にも通うことがなくなっていきます。


やけくそになって今まで以上にバカバカしいことに感情を発散させようとしてしまいます。

「愛」と「愛情」との違いを認識していないままで、愛を感じた体験的な実感と理解の薄い概念で生きて行くことしかできない。

愛の問題と性の問題と執着(欲)の問題がいっきに噴出して僕に襲ってきたのだから今から考えるとあのパニック精神状態も自然なことではないだろうか。


で、僕はバイト先の友人や、Yくんと遊びながら、またこの世の中でマジメにやっても仕方ない状態へ移行していきます。

その時の僕の気持ちは「愛とは何か、自然な関係とは何か、みんな分かってない」「僕が何かしたら分かるようになるだろう」というものでした。

この経験で煮えたぎる釜の中に放り入れられた僕は「リーラ」の体験の本当らしさと、個人的に経験してきた人間関係での失敗を埋め合わせる必要に駆られます。


で、本の中に秘密が書いてあるかもしれない(笑)

まあ本を読むのが好きだった傾向がここで出てきて色々な心理学や精神世界系の本を探すようになります。

しかし、どれを読んでみても心底感動するものがない。

あるとき、コリンウィルソンの『アウトサイダー』か澁澤達彦さんの本か忘れたが、どちらかでゲオルギー・イワーノヴィッチ・グルジェフという人を知って興味が沸く。

名古屋の大きめの書店へ行き『グルジェフ弟子たちに語る』という本を買ってきて読んだが、これしかないと思った。


彼の本の中では自己想起という概念が語られているが僕はこれが大好きになり、適当に思いついては挑戦しだしたりした。


同時にYくんとは音楽のことで夢中になり、バイト先(カラオケ店)の友人ともバンドやろうぜーと浮かれている。


たいして練習もしないのにオレは音楽で食いたいと思い、東京の専門学校へ行こうとした。

お金ないので、新聞配達でもしたら奨学金がもらえていけるらしいと知り、電話して次の月くらいに東京へ行った。

音楽や芸術が、社会を変えたことなど一度もないのになぜ僕は興奮していたのか(笑)

ちなみに僕の音楽はめちゃくちゃなので、お笑いのネタにもなりません。

たいていの人が凍り付いてどん引きしますが、友人のYくんだけはおもしろがってくれます。

いろんな機械が壊れたり、体調が悪くなったりするとも言われます。


僕は、今になっては恥ずかしいので忘れてしまいたいですが(笑)

超個人的疑問④

2012-08-22 00:13:07 | 超個人的疑問
僕は高校2年生のころから、かなりの数の本を読んだと思う。

といっても記憶に残っているものはほとんどないけど、数で言えば100冊以上は読んだはずだ。

その時は自分なりに概念が出来ていたのだけど、それが何だったのか今は思い出せない。

とにかくIくんに「ユリイカ」に誘われた時、反射的な恐怖心を和らげるために「僕は確認しに行くんだ」と思ったのを覚えている。

何しろIくんの話はぶっ飛んでいて「彼は出会った人全員のことを背景も含めてすべて覚えている」とか「クソみたいなおもしろくない世の中がとても輝かしくなる」と言ったような感じだった。

そんなすごいぶっとんだ人に会って、自分の考えの正しさを確認してやる!

最近までそうだったが、この時も『悲観的』な思いが作り出した概念をいじって得意になっていた。


ユリイカは大阪センイシティホテルで2日間開催された。

1997年2月頭の土日だった。

内容は書けないが、体験として僕は「自分を出してだいじょうぶ」という安心感を得た。

最後にセミナーを通して仲良くなったMさんが「どうしたんだよ」と笑った時に、僕の逃げたい感情が溶けて「ああ、これは安心して良いんだ」と思って泣きそうになったことが印象に残っている。


僕たちの心の中にはダイアモンドがある。

そのダイアモンドは糞に包まれて光を放てない。

糞とは観念のことだ。

この観念を取り払うことで私たち本来の輝かしい生を取り戻すことができる。



これが阿部さんが主張したことだった。

しかし僕は何を勘違いしたのか、超我が儘な感情的エネルギー発散野郎になりさがった(笑)


「ユリイカ」は理論的な側面が強かったが、もっと実地に体験する場として希望者は「リーラ」というセミナーに参加できる。

僕は「リーラ」に参加したかったが、お金がなく2月ではなく3月の回に参加した。

参加する前に聞いたことでは「リーラ」に参加すると音楽がとてつもなく心地よくリアルに聞こえてくるとか、星空の光が太陽のように輝いて見えるとか、いろんな噂があった(笑)

1997年3月の最後の週の金・土・日の3日間、僕はこの「リーラ」に参加した。

開催されたのは浜松の方広寺というお寺であった。

こちらも詳しい内容は書かないが、観念というか鬱積したエネルギーの解放を通して、とても繊細な感受性を取り戻すということができた。

すべての内容が終わってみんなで座禅を組んでから目を開いた時、外の日本庭園風に手入れされている庭の石がとてつもなく光って見えて仰天したのを強烈に覚えている。

なんか光って見えるどころじゃなく、本当に輝いている。

めちゃめちゃ綺麗に掃除した感じ。

僕は「普段人前で抑制されている嘘のない気持ちを全力で、本気で、エネルギッシュに発散しまくる」ということが「静けさと繊細な感受性」を取り戻すことになるという体験をしたのだと思っている。

僕は浮かれていたが、この帰りの電車の中でこれまでずっと疑問に思っていて、これから解決していかなければいけない問題とぶつかっていることに気が付いていなかった。

とてつもなく綺麗な世界に住んでいる僕は、そのセミナーで仲良くなった広島の老人の方と新幹線の中で話した。

その人は確か、世間的にかなり成功している人だった。

彼が、セミナーが終わって少ししか時間がたっていないのにもう抑圧的な傾向を見せ始めていたのだ。

『さっきまでのあなたが本当なのか、それとも今のあなたが本当なのか』

社会という巨大な敵が目の前に現れてくるわけだが、僕は気楽に、たいしたことないさぁと浮かれ続ける!