豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

超個人的疑問③

2012-08-21 23:43:21 | 超個人的疑問
僕は鈴鹿国際大学という地元の出来たばかりの大学へ入学した。

生きることについて何も考えていないので、何かシステムに流されていくしかない。

しかも一生懸命に世間的に意味のあることに集中できないという僕の病気が勉強する事を妨げ続けている。

みんなさあ、これって何かの演技なんでしょう? という感覚が抜けきっていない。


出来たばかりの大学で印象に残っているのは、

司馬遼太郎さんが年に一回だけ講義に来るという宣伝もあった(実際は実現しなかったけど)

田原総一郎さんの番組で見たりした西部邁さんという方も講義に来ていた(僕はけっこう好きだった)

西部さんの講義なんて1回だけ受けただけで内容も忘れたけど、授業中に煙草が吸いたいと「お前一本くれ」ということで煙草あげたのを覚えている(笑) 

こういう出来事の方が概念的なことよりも記憶に残る。


大学では三島由紀夫の影響で主に澁澤達彦さんの『快楽主義の哲学』という本にはまっていた。

それから村上春樹の影響で『グレートギャツビー』と、村上龍の影響で『地獄の季節』が好きだった。

図書館で授業受けずに本を読んだりしていた。

確か、ヒトラーの本も読んでいたがあまり印象に残っていない。


音楽はボブディランとか、これも村上春樹の影響できいていたくらいかな。

あとは小室哲哉さんの曲や、Mr.childrenの曲が流行っていてどちらも好きだった。


友人のYくんは坂本龍一が好きだった。


何かおもしろくないという感情がマックスに達していたある日。

大学の友人IくんとMくんが目の覚めるようなテンションで僕を妖しげなセミナーへ誘う(笑)


それは阿部敏郎さんという方が大阪で主催している「ユリイカ」というものだった。

超個人的疑問②

2012-08-21 23:10:04 | 超個人的疑問
高校生の頃から色々と問題は表面化してきた。

高校生になっても、生きることを何も考えず、僕はバカなことばかりしていた。

何かマジメに生きていること、マジメにやっていることに耐えられなくなる。

高校一年生の頃、僕は椎名誠さんの『探検隊○○に行く』とか笑える本を読んだりするのが好きだった。

きっと学校社会や世間の人がやらないような楽しくてバカバカしいことに憧れていたのだろう。

この頃から『憧れて本で楽しむ』のだけれど、実際には気が弱くて何もやれないわけだ(笑)

でも何か強制されることからは逃げたいと思う。


高校2年生の時は好きな子ができて振られた。11月20日だった。

それからやけになって鬱状態で、友達とも喧嘩とかしてたら、毎日帰りの電車待ちの時間が暇になった。

ひとりになって同じようにひとりでいたと思うYくんと仲良くなる。

このYくんが世間に対する疑問を晴れる可能性を示してくれる。

彼はビートルズのCDを全部持っていて、僕に貸してくれた。

『イマジン』くらいは授業で聞いたけど僕は洋楽なんてそれまで映画の中でしか聞いていなかったくらいだった。

僕の知らないだけで、何か新しくて楽しいことが世界にはあるのだと思い、躍動感のある、開放的な気分になった。

今まで抵抗といえばバカバカしいことしか知らない僕が、ここから少し心理的な方向が変わってきた。


彼は村上春樹の小説をもっていて『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を貸してくれた。

これがまた、おもしろくて何かこう主人公の『僕』のテンションに引っ張られて行く。


そして、その後にここぞとばかりに切り札『聖なる予言』という本を借りた。

偶然の一致、エネルギーの存在、などなど色々なことが書かれていた。

この本のことでYくんとはいつも話したりしていた。

この頃よく『世界は0なのか1なのか』という話をしていたのを覚えているが詳細を忘れてしまった。


僕は小説を読むのが前以上に大好きになり、村上春樹、村上龍、三島由起夫、太宰治などを読んだ。

村上龍の『コインロッカーベイビーズ』は今でも好きだ。

でも、坊主にしたりして「ちょっと世間からずれてます」と主張してバカバカしいことをやっているのは変わらない。


聖なる予言からYくんは心理学的なことに興味がでてユングにはまっていた。

ユングの集合的無意識の話や、河合隼雄というこれもYくんの好きな人の話をよくした。


偶然の一致、エネルギーの奪い合い、すべては繋がっているなどの観念が生まれたのはこの頃だ。

超個人的疑問①

2012-08-21 22:09:22 | 超個人的疑問
さて、鬱状態を発散させるために、僕の「疑問」に関係する今までの出来事を思い出せるかぎり書いていきます。


小さい時に見た夢で未だに覚えているものがある。

僕は真っ暗闇の中で河原を歩いている。

周りは真っ暗な陰のような人がたくさんいて、向こうの方の光っている建物を目指してぞろぞろと歩いている。

僕が意味も分からずに、のそのそとその列を一緒になって歩いていると母親の切実な声が聞こえてくる。

「真大! 真大!」と声がするのだ。

そこで僕は列から離れて草むらの中を声のする方へどんどん歩いて行く。

本当にジャングルみたいで真っ暗な森の中を、声だけを頼りに進んでいく。

と、突然、落とし穴に落ちてしまう。

「おがくず」のような匂いがして叫びながら落ちていくと僕は目を覚まして……。


僕が2歳の時、百日咳と水疱瘡と40度の発熱で「今日熱が下がらなければ死ぬ」と医師に言われたらしい。

はっきり思い出せないが、この夢を見たのはその時なんじゃないかと昔から思っている。


そういえば僕は正夢をよく見る。

何年も前に見た不可解で見たこともない光景が何十年も経ってから姿を現すと怖くなる。

この夢の中で見た光景のいる場所に何十年後に立っているというのはどういう不思議だろう。


これもいつのことか思い出せないが、ホントに小さな頃、自宅のぼっとン便所へ行く時に家族が家の中で笑いながら会話しているのを聞いて「これは演技してるんじゃないだろうか」と思った記憶がある

この家も人も何もかもが冗談みたいなバカな演技で、偽装で、バーンって正体表す人がでてきて大笑いして終わるみたいな感覚。

それこそジョーカーの声が響き渡って(笑)

小さいながらも何となく嘘っぽいこの人生に疑問を感じていたのかもしれない。


小学校~中学校にいる間は僕は基本的にバカでエロで虐められている人間だった。

基本的な性格が弱いのか、何かすぐに人に頼ってみたり、意地を張ってみたり、バカなことを言ってみたりする。

でも基本的に恥ずかしがり屋なだけだと自分では思う。

今でもそうだけど、これでいろんな人に迷惑をかけるタイプだった。

中学校を卒業するまでのあいだ、疑問に関する印象的なことはあまり覚えていない。


小学校2年生の時に父親が学研の『豊臣秀吉』という漫画を買ってくれた。

それから歴史が好きになっていろんな漫画を読み、中学生になってからは司馬遼太郎さんが好きになって『竜馬がゆく』とかを読んだ。

小説の主人公や歴史の物語に登場する人たちは世間ばなれしているが生き生きとしている。


はっきり覚えていないが4年生か5年生の2年間、夏休みに高野山の研修に参加した。

仏教のお寺なので座禅を組んだ記憶があるがその時に、障子の向こうから閉じた瞼に光が射している印象をとても明確に覚えている。

そういえば、この光が増している感覚は後年、方向寺でセミナーを受けた時にも感じた。

こういった瞬間の記憶は何十年経っても明確に質感を持って思い出すことができる。


これもいつだったか覚えていないが親戚のオジサンが亡くなるときに僕は家でひとりで留守番を頼まれた。

はじめて人間は死んでしまうんだということを感じて泣けてきた。

僕はなぜかお風呂に入ってずっと神様に「どうか無事でありますように」とお願いしたが、あっけなく亡くなった。

眠りに落ちる前にとても怖かった。


でも、いろんな瞬間で僕はジョーカー(切り札)の声を期待していたのかもしれない(笑)

そんなこと言ったって、今に、バーンって本当の正体を現した人がきて何もかも冗談になるんでしょ??

死ぬなんて嘘でしょ??

35歳になっても、いつまでたっても、ジョーカーの声は聞こえてこないけれど……。

鬱の兆候あり

2012-08-21 13:28:25 | 日記
今、佐野元春さんの『約束の橋』をYouTubeで聞いている。


今朝は体調が悪くなってしまい、鬱状態もあいまって仕事を休みます。

一日寝ていて夜になってから一刻堂で台湾ラーメンを食べてきました。

このままではアカンなといつも思うんだけど具体的に行動に結びつく物が見つからない。


この間の新政府ラジオで坂口恭平さんが『約束の橋』を歌っていて久しぶりに聞いて良い歌だなと思った。

タイトルが分からなかったのでネットで調べて聞いている。


http://www.youtube.com/watch?v=nnwrfBHdnZE


人間っていいなあ、こうやって良い歌があって。

みんなで心のままに行動できたらおもしろい世の中になるんだろうなと思う。

しっかし、この歌、今聞くと泣けてくるね。


行動を制限しているのは不安だなんてことは誰でも知っているわけだけれど、それでも同じまんまなのは何かな?

確信の不足? 目的の曖昧さ? 理解の低さ?

なんてことを考えたりしながら悲観的気分に浸る8月21日火曜日であります。


僕の好きな阿部敏郎さんが『個』から『全体性』への目覚めについてブログで語っていますが、僕の周りでこのような価値観の変化が具体的に見える事って少ない。

でも、阿部さんはもう凄く価値観が変化したようなことを書いている。

さて、今日は鬱状態なので20歳の頃から疑問に思い、長く鬱積したこの問題に対して書いてみよう!

答えはないけど……表現することを生きていこう。